前日夜半から西方からの強風が吹き始め、平均13m/s、最大18m/sにも及ぶようになりました。日付を超えた0時35分頃、市街西部の清助町新道の木工所から出火し、ポンプ車3台が出動、一端鎮火しかかった時、別の木工所の柾葺き屋根に飛び火し、延焼します。
火の回りが早く、3台のポンプ車では手が回らず、近隣から消防車15台が駆け付けたものの、火勢が強く次々と延焼し、ようやく午前8時頃までには鎮火しました。
これによる被害は、死者3名、負傷者132名、焼失家屋2,237棟(住家1,295棟、非住家942棟)、焼失面積83.6ha、罹災世帯1,755世帯、罹災人員8,790名にのぼり、当時の市街地のおよそ42%に達するものとなります。市役所をはじめ、警察署(能代市警察署、山本地区警察署)・裁判所・郵便局・営林署・食糧公団・信用組合・勧業銀行支店・青森銀行支店・民生病院などが軒並み焼失し、被害総額は47億2,500万円にもなりました。
火災後の復興では、都市計画が策定され、防火帯を意識した、幅員30mの道路や公園・緑化、消火施設の充実などが図られました。
しかし、7年後の1956年(昭和31)3月20日に、再び第二次能代大火が起き、約31.5haを焼失しています。この時の被害では、死者はありませんでしたが、負傷者194名、焼失家屋1,156戸、1,475棟、罹災世帯数1,248世帯、罹災人員6,087名に及び、被害総額も約30億円に達しました。
〇太平洋戦争後の日本の大火(500棟以上の焼失で、地震によるものを除く)
・1947年(昭和22)4月20日 - 飯田大火(長野県飯田市)
死者・行方不明者3名、焼失棟数3,742棟、焼損面積約48ha、罹災戸数4,010戸、罹災人員17,778名
・1949年(昭和24)2月20日 - 第一次能代大火(秋田県能代市)
死者3名、負傷者132名、焼失家屋2,237棟、焼失面積83.6ha、罹災世帯1,755世帯、罹災人員8,790名
・1952年(昭和27)4月17日 - 鳥取大火(鳥取県鳥取市)
死者3名、罹災家屋5,228戸、罹災面積約160ha、罹災者2万451人
・1954年(昭和29)9月26日 - 岩内大火(北海道岩内郡岩内町)
死者35名、負傷者551名、行方不明3名、焼失戸数3,298戸、焼失面積約106ha、罹災者16,622名
・1955年(昭和30)10月1日 - 新潟大火(新潟県新潟市)
行方不明者1名、負傷者175名、焼失棟数892棟、焼失面積約26ha、罹災世帯1,193世帯、罹災人員5,901名
・1956年(昭和31)3月20日 - 第二次能代大火(秋田県能代市)
死者なし、負傷者194名、焼失家屋1,475棟、焼失面積約31.5ha、罹災世帯1,248世帯、罹災人員6,087名
・1956年(昭和31)9月10日 - 魚津大火(富山県魚津市)
死者5名、負傷者170名(うち重傷者5名)、焼失戸数1,583戸、罹災者7,219名
・1965年(昭和40)1月11日 - 伊豆大島大火(東京都大島町)
死者なし、全焼戸数584棟418戸、焼失面積約16.5ha、罹災世帯408世帯1,273名、被害総額20億7千万円
・1976年(昭和51)10月29日 - 酒田大火(山形県酒田市)
死者1名、焼失棟数1,774棟、焼失面積約22.5ha、被災者約3,300名、被害総額約405億円