司馬遼太郎(しば りょうたろう)は、大正時代の1923年(大正12)8月7日に、大阪府大阪市浪速区神田町で薬局を経営する父・福田是定と母・直枝の次男として生まれましたが、本名は福田定一と言いました。
私立上宮中学校を経て、1942年(昭和17)に旧制大阪外国語学校(現在の大阪大学外国語学部)蒙古語学科に入学、1943年(昭和18)に学徒出陣で満州(現中国東北地方)に出征します。
戦車隊の士官生活を経験、戦後復員し、新日本新聞社を経て、1948年(昭和23)に産経新聞社へ入社、文化部長、出版局次長を歴任しました。
一方、仕事のかたわら寺内大吉らと同人誌『近代説話』を創刊して小説を書き、1956年(昭和31)に懸賞応募の『ペルシャの幻術師』が講談倶楽部賞を受賞し、さらに『梟の城』 (1959年) で直木賞を受けます。
1961年(昭和36)に、産経新聞社を退社して作家業に専念、『風神の門』などの忍者物から、次第に本格的歴史小説の分野に進み、『竜馬がゆく』(1962~66年)、『国盗り物語』(1965~66年)で菊池寛賞を受賞しました。
その後も、戦国、幕末、明治を舞台とする変革期の人間を、綿密な資料に基づく独自な歴史解釈で描き、『殉死』(1967年)で毎日芸術賞、『歴史を紀行する』(1968年)で文芸春秋読者賞、『世に棲む日日』(1969~70年)で吉川英治文学賞、『ひとびとの跫音』(1981年)で読売文学賞小説賞、『街道をゆく―南蛮のみちI』(1984年)で日本文学大賞、『韃靼疾風録』(1987年)で大仏次郎賞など数々の栄誉に輝きます。
また、1981年(昭和56)には日本芸術院会員となり、1991年(平成3)に文化功労者、1993年(平成5)に文化勲章を受章しましたが、1996年(平成8)2月12日に、大阪において、72歳で亡くなりました。
尚、2001年(平成13)に大阪府東大阪市の旧居と隣接する「司馬遼太郎記念館」が公開されています。
〇司馬遼太郎の主要な著作
・『ペルシャの幻術師』(1956年)講談倶楽部賞受賞
・『戈壁の匈奴』(1957年)
・『梟の城』(1959年)直木賞受賞
・『風神の門』(1961~62年)
・『竜馬がゆく』(1962~66年)菊池寛賞受賞
・『国盗り物語』(1965~66年)菊池寛賞受賞
・『殉死』(1967年)毎日芸術賞受賞
・紀行『歴史を紀行する』(1968年)文芸春秋読者賞受賞
・『歳月』(1968~69年)
・『世に棲む日日』(1969~70年)吉川英治文学賞受賞
・『城塞』(1969~71年)
・『花神』(1969~71年)
・『坂の上の雲』 (1968~73年)
・『播磨灘物語』(1975年)
・『空海の風景』(1975年)
・『翔ぶが如く』(1975~76年)
・『ひとびとの跫音』(1981年)読売文学賞小説賞受賞
・『菜の花の沖』(1982年)
・『歴史小説の革新』(1983年)朝日賞受賞
・『箱根の坂』(1984年)
・『街道をゆく―南蛮のみちI』(1984年)日本文学大賞学芸部門受賞
・『ロシアについて』(1986年)読売文学賞随筆紀行賞受賞
・『韃靼疾風録』(1987年)大仏次郎賞受賞
・紀行『街道をゆく』(1971~96年)
・対談集『国家・宗教・日本人』(1996年)
・対談集『日本人への遺言』(1997年)