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 今日は、戦国時代の1530年(享禄3)に、武将・戦国大名上杉謙信の生まれた日ですが、新暦では2月18日となります。
 上杉謙信(うえすぎ けんしん)は、越後守護代の父・長尾為景の四男(母・長尾顕吉の娘)として生まれましたが、幼名は虎千代と言いました。
 1536年(天文5)に、父・為景が隠居し、兄・晴景が家督を継ぎましたが、1542年(天文11)には、父・為景が亡くなっています。1543年(天文12)8月15日に元服して長尾景虎と名乗り、9月には兄・晴景の命を受け、古志郡司として春日山城を出立して三条城、次いで栃尾城に入りました。
 1548年(天文17)に、守護上杉定実の仲介で、兄・晴景の養子となる形で春日山城主となり、1551年(天文20)には、義兄の長尾政景をも陰謀で倒して、上・中越地方の統一を実現します。
 1552年(天文21)、関東管領上杉憲政は北条氏康に攻められ、景虎を頼って、越後国へ逃亡してきたので、それを助けて関東に出兵しました。1553年(天文22)に、武田信玄との第一次川中島の戦いが起こりますが、その後11年にわたり好敵手として、第五次まで断続して戦います。
 一方、1553年(天文22)に、初めて上洛して後奈良天皇や室町幕府第13代将軍足利義輝に拝謁し、翌年には、北条氏康・今川義元と甲相駿三国同盟が結ばれました。
 1559年(永禄2)に再度上洛し、将軍足利義輝に謁見、後奈良天皇から従五位下弾正少弼に任ぜられ、翌年には、北陸にも進出し、一向一揆との戦いが始まります。1561年(永禄4)に、北条氏を小田原の本城まで追い詰めますが破れず撤退するものの、翌年には上杉憲政から譲られて関東管領となり、上杉氏を名乗りました。
 1569年(永禄12)に、北条氏康に請われて上野一国の割譲と氏康の子三郎氏秀の入嗣を条件に講和、翌年には入道して謙信と名乗ります。1572年(元亀3)に、織田信長との同盟を機に越中を平定、1577年(天正5)には、七尾城を陥落させ、能登の手中とし、手取川の戦いでも織田軍を破りました。
 しかし、1578年(天正6)3月13日に、越後春日山城内で、数え年49歳で亡くなっています。

〇上杉謙信関係略年表(日付は旧暦です)

・1530年(享禄3)1月21日 越後守護代の父・長尾為景の四男(母・長尾顕吉の娘)として生まれる
・1536年(天文5)8月 父・為景が隠居し、兄・晴景が家督を継ぐ
・1542年(天文11)12月 父・為景が亡くなる
・1543年(天文12)8月15日 元服して長尾景虎と名乗る
・1543年(天文12)9月 晴景の命を受け、古志郡司として春日山城を出立して三条城、次いで栃尾城に入る
・1548年(天文17) 守護上杉定実の仲介で、兄・晴景の養子となる形で春日山城主となる
・1551年(天文20) 義兄の長尾政景をも陰謀で倒して、上・中越地方の統一を実現する
・1552年(天文21)1月 関東管領上杉憲政は北条氏康に攻められ、越後国へ逃亡してくる
・1552年(天文21)8月 関東管領上杉憲政を助けて関東に出兵する
・1553年(天文22) 武田信玄との第一次川中島の戦いが起こる
・1553年(天文22)9月 初めて上洛し、後奈良天皇や室町幕府第13代将軍足利義輝に拝謁する
・1554年(天文23) 北条氏康・今川義元と甲相駿三国同盟が結ばれる
・1555年(天文24) 武田信玄との第二次川中島の戦いが起こる
・1557年(弘治3) 武田信玄との第三次川中島の戦いが起こる
・1559年(永禄2) 再度上洛し、将軍足利義輝に謁見、後奈良天皇から従五位下弾正少弼に任ぜられる
・1560年(永禄3) 北陸にも進出し、一向一揆との戦いが始まる
・1561年(永禄4) 北条氏を小田原の本城まで追い詰めるが破れず撤退する
・1561年(永禄4)閏3月16日 上杉憲政から譲られて関東管領となり、上杉氏を名乗る
・1561年(永禄4)8月、武田信玄との第四次川中島の戦いが起こる
・1564年(永禄7) 武田信玄との第五次川中島の戦いが起こる
・1569年(永禄12) 北条氏康に請われて上野一国の割譲と氏康の子三郎氏秀の入嗣を条件に講和する
・1570年(元亀元) 入道して謙信と名乗る
・1572年(元亀3) 織田信長との同盟を機に越中を平定する
・1573年(元亀4)4月12日 ライバルだった武田信玄が死去する
・1577年(天正5)9月15日 能登の七尾城を陥落させ、手中とする
・1577年(天正5)9月23日 手取川の戦いで織田軍を破る
・1578年(天正6)3月13日 越後春日山城内で、49歳で亡くなる