これは、公武合体論を推進し、孝明天皇の妹和宮降嫁を実現させた老中安藤信正が、水戸浪士を中心とする尊王攘夷派の志士6名によって、登城途中の江戸城坂下門外で襲われ負傷した事件でした。
1860年(安政7)3月3日、桜田門外の変で大老井伊直弼が殺害された後、幕閣の中心に立った安藤は、尊王攘夷派の幕政批判を緩和するために、首席老中久世広周と共に公武合体策を推し進めます。特に安藤は、その一環として皇女和宮を第14代将軍徳川家茂に降嫁させる方策(和宮降嫁)を1860年(万延元)10月に実現し、翌年2月11日には婚儀が行われることとなっていました。
これによって、開国政策と共に尊王攘夷派の激しい怒りを買い、大橋訥庵らを中心とする宇都宮藩士、水戸藩士らは安藤を襲撃する計画を立てます。
しかし、計画は事前に発覚し、訥庵は1月12日に捕らえられたものの、水戸浪士を中心とする6名が、1月15日午前8時頃に、江戸城登城途中の老中安藤信正行列を襲撃しました。以前の桜田門外の変のこともあり、行列の警護は厳重で、50名余りの供回りがいたため、思うようにいかず、安藤に軽傷を負わせましたが、襲撃者6名はその場で斬殺されます。
その後安藤は、4月に老中を罷免、8月には隠居・蟄居を命じられ、磐城平藩は2万石を減封されました。
この事件は、江戸幕府の権威をさらに失墜させ、尊攘運動がいっそう盛んになっていきます。
〇幕末の政治状況略年表(日付は旧暦です)
<1858年(安政5)>
・4月23日 井伊直弼が江戸幕府大老となる
・6月19日 日米修好通商条約が結ばれる
・7月10日 日蘭修好通商条約が結ばれる
・7月11日 日露修好通商条約が結ばれる
・7月18日 日英修好通商条約が結ばれる
・9月3日 日仏修好通商条約が結ばれる
<1859年(安政6)>
・9月 安政の大獄が起こる(吉田松陰、橋本左内、頼三樹三郎等8名が死刑となる)
<1860年(安政7/万延元)>
・3月3日 桜田門外の変で井伊直弼が殺される
・10月18日 孝明天皇は和宮の降嫁を勅許する
<1862年(文久2)>
・1月15日 坂下門外の変が起こり、老中安藤信正が負傷する
・2月11日 孝明天皇の妹和宮が将軍家茂と結婚し、公武合体運動がすすめられる
・4月11日 安藤信正が老中を罷免される
・8月21日 生麦事件が起こる
<1863年(文久3)>
・3月4日 第14代将軍徳川家茂が上洛する
・5月 下関戦争が起こる
・7月2~4日 薩英戦争が起こる
<1864年(元治元)>
・7月19日 長州藩士が京都御所を襲う(蛤御門の変)
・8月5~7日 四国艦隊下関砲撃事件(英・米・蘭・仏4ヶ国の艦船が下関を砲撃、占領する)
・5月 長州征伐(第一次)が始まる
<1865年(慶応元)>
・1月23日 長州征伐(第二次)が始まる
・この頃、 物価が上がり、各地で打ちこわしが起こる
<1866年(慶応2)>
・1月21日 薩摩藩と長州藩が連合する(薩長連合)
・5月13日 幕府が英・仏・米・蘭と改税約書(江戸条約)に調印する
・7月20日 第14代将軍徳川家茂が死亡する
・12月5日 徳川慶喜が第15代将軍となる
・福沢諭吉の「西洋事情」の刊行が始まる
<1867年(慶応3)>
・10月14日 大政奉還が行われる
・12月9日 王政復古の大号令が発せられる
<1868年(慶応4/明治元)>
・3月15日 五箇条の御誓文、五榜の掲示が発布される
・4月4日 江戸城が無血開城する