イメージ 1

 今日は、昭和時代前期の1945年(昭和20)に、東海地方で三河地震(M6.8)が起き、死者2,306人を出した日です。
 この地震は、午前3時38分23秒に愛知県南部の三河湾内で発生したマグニチュード6.8の直下型地震で、これによって、三ヶ根山の山麓部を東側の南北方向から北側の東西方向に迂回して、深溝断層(陸上部で18km、総延長は28km、最大の高低差は約2m、横ずれ変異量は約1m)が形成され、岡崎平野南部や三ヶ根山地周辺で最大震度7の揺れが起きました。
 この結果、地割れが発生し、多くの建物が倒壊、死者・行方不明者2,306人、負傷者3,866人、家屋の全壊は7,221戸、半壊1万6,555戸、全焼2戸、半焼3戸などの大きな被害が発生したとされます。37日前に発生した昭和東南海地震と重複した地域では、前の地震で損傷した家屋の修復が、戦時下の物資や人手の不足もあって間に合わず、それが倒壊して被害を大きくしたとも言われてきました。
 しかし、太平洋戦争下であったため、民心不安をあおることはもとより、軍需生産力にも大きく影響したため、戦時報道管制のもとで地震に関する資料は極秘とされ、被害に関する報道は厳しく規制されます。このため、被害実態はもっと大きかったとも言われ、政府(軍部)によって「隠された地震」とされてきました。
 また、1945年(昭和20)の終戦前後に、鳥取地震(1943年9月10日)、昭和東南海地震(1944年12月7日)、昭和南海地震(1946年12月21日)と共に、4年連続で1,000人を超える死者を出した4大地震の一つとしても知られています。
 尚、1977年(昭和52)に、被害が大きかった愛知県安城市藤井町に、「三河地震追憶之碑」が建立されました。

〇「三河地震追憶之碑」(昭和52年11月建立)の碑文

【表面】

 昭和二十年一月十三日未明、突如として起こった三河地震は、藤井住民の尊い生命財産を奪った。この大惨事は、藤井住民の瞼に痛恨として今もなお、深く灼きついている。
 当時、藤井は百十七個であったが、数度の上下動と共に、一瞬にして殆どの家屋が倒壊し、住民はその下敷きとなった。暗闇の中で互いに安否を確め合いながら、屋根裏を素手で打ち破り、戸外へ這い出すことができたものの引き続く轟音や閃光。つぎつぎに襲い来る余震に脅かされながら、住民は一丸となって死傷者の救出や手当に奔走した。こうした血まみれの努力にも拘らず、絶命する者が続出し、まさに、この世の生き地獄そのものであった。
 しかも敗色濃き戦火の末期にて三河地震の惨状は公表されず、住民は物心両面にわたって、筆舌に尽くし難い惨苦を嘗めた。
 爾来三十有余年、住民の自力によって復興をみた今日、往時の惨状を偲び、帰らざる災没者の冥福を祈ると共に、この実状を永く後世に伝えるために、ここに藤井町住民の総意により、この碑を建立する。

 昭和五十二年十一月 
     安城市藤井町

【裏面】

     災 害 記 録
 日時   昭和二十年一月十三日午前三時三十分
 震度   七以上
 総戸数  一一七戸
 被災人口 六一一名 外疎開児童三〇名
 即死者数 六七 名 (内焼死三名)
 重症者数 九七 名
 住家全壊 一四六棟(内焼失一棟) 同上半壊 三〇棟    
 非住家全壊一五九棟        同上半壊 六四棟

    公共建造物 
    
     (略)
 
    災没者芳名

     (略)

  注:縦書きの碑文を横書きに改めてあります

☆明治時代以降に日本周辺で起きた被害の大きかった地震ワースト12

1. 関東地震[関東大震災](1923年9月1日)死者・行方不明者105,385人<マグニチュード7.9>
2. 東北地方太平洋沖地震[東日本大震災](2011年3月11日)死者・行方不明者22,010人<マグニチュード9.0>
3. 明治三陸地震(1896年6月15日)死者・行方不明者21,959人<マグニチュード8.2>
4. 濃尾地震(1891年10月28日)死者・行方不明者7,273人<マグニチュード8.0>
5. 兵庫県南部地震[阪神・淡路大震災](1995年1月17日)死者・行方不明者6,437人<マグニチュード7.3>
6. 福井地震(1948年6月28日)死者・行方不明者3,769人<マグニチュード7.1>
7. 昭和三陸地震(1933年3月3日)死者・行方不明者3,064人<マグニチュード8.1>
8. 北丹後地震(1927年3月7日)死者2,912人<マグニチュード7.3>
9. 三河地震(1945年1月13日)死者・行方不明者1,961人<マグニチュード6.8>
10,昭和南海地震(1946年12月21日)死者・行方不明者1,443人<マグニチュード8.0>
11.昭和東南海地震(1944年12月7日)死者・行方不明者1,223人<マグニチュード7.9>
12.鳥取地震(1943年9月10日)死者1,083人<マグニチュード7.2>