ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

2018年12月

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 今日は、明治時代前期の1888年(明治21)に、小説家・劇作家・実業家菊池寛の生まれた日です。
 菊池寛(きくち かん)は、香川県高松市七番丁で、高松藩の儒学者の家柄の父・菊池武脩、母・カツの4男として生れましたが、本名は「ひろし」と読みました。
 香川県立高松中学校(現在の県立高松高等学校)を経て、1908年(明治41)に東京高等師範学校に入学しましたが、翌年除籍されます。1910(明治43)に第一高等学校文科に入学したものの、1913年(大正2) に退学、京都帝国大学英文学科に入学しました。
 在学中に第三次・第四次「新思潮」同人となり、戯曲『屋上の狂人』、『海の勇者』等を発表しますが認められず、1916年(大正5)に京大を卒業します。
 時事新報社の社会部の記者となり、1918年(大正7)に小説『無名作家の日記』、『忠直卿(ただなおきょう)行状記』を発表し、文壇での地位を確立しました。翌年に時事新報社を退き、大阪毎日新聞社の客員となり、1920年(大正9)に、新聞連載の通俗小説『真珠夫人』 の成功によってに領域を広げます。
 1923年(大正12)に文藝春秋社を創設して、雑誌『文藝春秋』を創刊、1926年(大正15)には文藝家協会を組織、1935年(昭和10)には、芥川龍之介賞、直木三十五賞を創設して、作家の育成、文芸の普及に努めました。1937年(昭和12)に帝国芸術院会員となり、1939年(昭和14)に菊池寛賞を設定します。
 戦時中は日本文学報国会や大東亜文学者大会の役員を勤め、翼賛運動の一翼を担い、1943年(昭和18)には、大日本映画製作株式会社(大映)の初代社長にもなりました。
 そのために、戦後は公職追放の憂き目に遭い、1948年(昭和23)3月6日に、東京の自宅において、59歳で亡くなっています。

〇菊池寛の主要な著作

・戯曲『屋上の狂人』(1916年)
・戯曲『海の勇者』(1916年)
・戯曲『父帰る』(1917)
・小説『ゼラール中尉』(1918年)
・小説『無名作家の日記』(1918年)
・小説『忠直卿(ただなおきょう)行状記』(1918年)
・小説『恩讐(おんしゅう)の彼方(かなた)に』(1919年)
・小説『藤十郎の恋』(1919年)
・小説『真珠夫人』(1920年)
・小説『入れ札』(1921年)
・小説『蘭学事始』(1921年)
・小説『火華(ひばな)』(1922年)
・戯曲『義民甚兵衛』(1923年)
・戯曲『時の氏神』(1924年)
・小説『第二の接吻(せっぷん)』(1925年)
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 今日は、明治時代後期の1899年(明治32)に、小説家尾崎一雄が生まれた日です。
 尾崎一雄(おざき かずお)は、三重県宇治山田(現在の伊勢市)で、代々宗我神社(神奈川県)の神官を務めた家系の父・尾崎八束の子として生まれました。
 神奈川県小田原郊外下曽我(現在の小田原市)で育ち、神奈川県立小田原中学校(現在の県立小田原高等学校)から、早稲田高等学院へ入り、 1923年(大正12)に、私淑していた志賀直哉を訪ね、師事するようになりました。翌年、早稲田大学文学部国文科へ入学し、同人雑誌『主潮』を推進、それに『二月の蜜蜂』 (1925年)を書き、好評を得ます。
 1927年(昭和2)大学卒業後行きづまり、貧困と沈滞の生活を送りましたが、再起して第1創作集『暢気眼鏡 (のんきめがね) 』(1933年) によって 第5回芥川賞を受賞しました。
 太平洋戦争中に病を得て、帰郷して療養しましたが、戦後は、『虫のいろいろ』(1948年)、『懶い春』(1949年)、『なめくじ横丁』(1950年)などを発表し、私小説・心境小説に独自な境地を開きます。
 1961年(昭和36)に 『まぼろしの記』で第15回野間文芸賞、1964年(昭和39)に芸術院会員、1975年(昭和50)に自伝的回想『あの日この日』で第28回野間文芸賞、1978年(昭和53)に文化勲章受章と数々の栄誉も受けました。
 しかし、1983年(昭和58)3月31日に、神奈川県小田原市において、83歳で亡くなっています。

〇尾崎一雄の主要な著作

・『二月の蜜蜂』(1925年)
・『暢気眼鏡(のんきめがね)』(1933年)1937年第5芥川賞受賞
・『虫のいろいろ』(1948年)
・『懶い春』(1949年)
・『なめくじ横丁』(1950年)
・『すみっこ』(1955年)
・『まぼろしの記』(1961年)野間文芸賞受賞
・『虫も樹(き)も』(1965年)
・『あの日この日』(1970~73年)
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 今日は、昭和時代後期の1975年(昭和50)に、国鉄最後の蒸気機関車(SL)牽引による定期貨物列車が夕張線(現在の石勝線)で運転された日です。
 蒸気機関車(SL)は、日本においては、明治5年9月12日(1872年10月14日)に、新橋駅(後の汐留貨物駅)~横浜駅(現在の桜木町駅)間を結ぶ日本初の鉄道が開業して以来、鉄道輸送を担ってきましたが、当初の官営鉄道(国鉄)の車両は1号機関車などすべてイギリス製の車両(北海道の官営幌内鉄道ではアメリカ様式、九州鉄道ではドイツ様式が採用された )でした。
 1893年(明治26)にイギリス人技術者の指揮の下、日本初の国産機関車である860形(A9形)が鉄道庁神戸工場で製造され、その後量産されるようになっていきます。
 大正時代から昭和時代前期にかけて、蒸気機関車(SL)の全盛期を迎えましたが、電気モーターやディーゼルエンジン等の動力方式が採用されるようになり、1948年(昭和23)のE10形5両が製造されたのを最後に国鉄における蒸気機関車製造は終了しました。
 そして、1959年(昭和34)に「動力近代化計画」が答申され、電化、ディーゼル化が推進されるようになります。その後、国鉄では次々と蒸気機関車は置き換えられていって、1974年(昭和49)11月に本州から、1975年(昭和50)3月に九州から相次いで姿を消しました。
 最後に残った北海道でも、同年12月14日、C57 135による室蘭本線室蘭~岩見沢間の225列車の運転を最後として、蒸気機関車(SL)牽引の定期旅客列車は姿を消し、貨物輸送も12月24日の夕張線(現・石勝線)でのD51 241による石炭列車が最後となり、国鉄の本線上からはなくなります。ただし、入換え仕業としては1976年(昭和51)3月2日まで追分機関区の9600形が使用されていました。
 民営鉄道でも同時期に蒸気機関車(SL)は姿を消していき、専用鉄道でも1982年(昭和57)の室蘭市における鉄原コークスを最後に、蒸気機関車(SL)の使用は終了しています。
 一方で蒸気機関車(SL)を残していく動きもあり、1972年(昭和47)の鉄道100年を契機に、国鉄蒸気機関車(SL)の恒久的な動態保存が始められ、同年10月に梅小路蒸気機関車館(於:京都市)が開館しました。このSLを用いて、開館直後から1974年(昭和49)までC62形やC61形を用いた「SL白鷺号」が京都~姫路間に行楽シーズンに運行されています。
 また、1976年(昭和51)7月9日に、大井川鐵道が、蒸気機関車(SL)の動態保存運転を開始し、輸送用の蒸気機関車(SL)としての命脈が保たれることとなりました。国鉄でも、1979年(昭和54)8月1日から、国鉄復活蒸機第1号となるC57 1による「SLやまぐち号」が運転を開始します。
 これらが、人気となりその後各地のJRグループや私鉄でも蒸気機関車(SL)が復活運転されるようになっていきました。

〇蒸気機関車(SL)の動態保存運転(構内運転を含む)一覧

<JRグループ>
・北海道旅客鉄道(JR北海道)
 C11形(C11 171)---「SL冬の湿原号」として使用
・東日本旅客鉄道(JR東日本)
 D51形(D51 498)---「SLみなかみ」などで使用
 C57形(C57 180)---「SLばんえつ物語」などで使用
 C58形(C58 239)---「SL銀河」などで使用
 C61形(C61 20)---「SLみなかみ」などで使用
・西日本旅客鉄道(JR西日本)
 8620形(8630)--- 梅小路蒸気機関車館で動態保存
 B20形(B20 10)---梅小路蒸気機関車館で動態保存
 C56形(C56 160)---梅小路蒸気機関車館で動態保存、「SL北びわこ号」などで使用
 C57形(C57 1)---梅小路蒸気機関車館で動態保存、「SLやまぐち号」などで使用
 C61形(C61 2)---梅小路蒸気機関車館で動態保存
 C62形(C62 2)---梅小路蒸気機関車館で動態保存
 D51形(D51 200)---梅小路蒸気機関車館で動態保存
・九州旅客鉄道(JR九州)
 8620形(58654)---「SL人吉」として使用

<私鉄>
・大井川鐵道
 C10形(C10 8)--- SL急行として使用
 C11形(C11 190)---SL急行として使用
 C11形(C11 227)---SL急行として使用
 C56形(C56 44)---SL急行として使用中
・秩父鉄道
 C58形(C58 363)---「パレオエクスプレス」として使用
・真岡鐵道
 C11形(C11 325)---「SLもおか」として使用
 C12形(C12 66)---「SLもおか」として使用
・東武鉄道
 C11形(C11 207)---「SL大樹」として使用
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 今日は、明治時代前期の1874年(明治7)に、洋画家和田英作の生まれた日です。
 和田英作(わだ えいさく)は、鹿児島県肝属郡垂水村(現在の垂水市)で、牧師の父・和田秀豊、母・川上トヨの長男として生まれました。
 1878年(明治11)に家族で上京し、東京府麻布区の麻布仲ノ町に住みます。1887年(明治20)に鞆絵小学校高等科を卒業し、明治学院予科に入学、上杉熊松に洋画の基礎を学びました。
 絵画の道に進むことを決意し、1891年(明治24)には明治学院を中退、上杉の紹介で曽山の洋画塾に入塾します。その後、原田直次郎、黒田清輝に師事し、1895年(明治28)には、第4回内国勧業博覧会に『海辺の早春』を出品して2等賞となりました。
 翌年白馬会創立に参加、東京美術学校西洋画科が創設されると、助教授を命ぜられましたが、辞して西洋学科選科に編入し、1897年(明治30)に修了します。
 卒業制作の『渡頭の夕暮』は、1900年(明治33)パリ万博に出品し、選外佳作賞を受けました。一方、文部省留学生としてパリに留学、ラファエル・コランに師事し、木炭画と油絵を学びます。フランスとイタリアを巡歴し、1903年(明治36)に帰国、東京美術学校教授に就任しました。
 1919年(大正8)帝国美術院会員となり、1923年(大正12)フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章を叙勲、1932年(昭和7)に東京美術学校校長、1934年(昭和9)には帝室技芸員となります。1943年(昭和18)に文化勲章を受章、太平洋戦争後も、1951年(昭和26)に文化功労者、1953年(昭和28)には日本芸術院の第一部長に選ばれました。
 しかし、1959年(昭和34)1月3日に、静岡県清水市において、84歳で亡くなっています。

〇和田英作の主要な作品

・『海辺の早春』(1895年)
・『機織』(1897年)
・『渡頭(ととう)の夕暮』(1897年)東京藝術大学大学美術館蔵
・『思郷』(1902年)東京藝術大学大学美術館蔵
・『こだま』(1902年)
・『風景』(1904年)
・『おうな』 (1908年)東京国立近代美術館蔵
・『H夫人肖像』(1912年)
・『紅富士』(1916年)フジヤマミュージアム蔵
・『黄衣の少女』(1931年)
・『知立神社の杜』(1952年)知立市民俗資料館蔵
・『三保富士』(1953年) 小杉放菴記念日光美術館蔵
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 今日は、昭和時代前期の1945年(昭和20)に、「労働組合法」が制定された日で、「労働組合法制定記念日」とも呼ばれています。
 この法律は、労働者の団結権、団体交渉権等を保障し労働者の地位向上を図ることを目的とする法律で、「労働基準法」、「労働関係調整法」と共に労働三法と言われてきました。
 大正時代の1920年(大正9)頃から労働運動の活発化を背景として、農商務省、内務省において20近くの労働組合法案が作成されます。政府も1926年(大正15)と1931年(昭和6)に法案を帝国議会に提出しましたが、資本家等の強い反対によって、いずれも日の目をみることはありませんでした。
 太平洋戦争後の占領下において、連合国最高司令部(GHQ)は、1945年(昭和20)10月11日に、「ポツダム宣言」や「アメリカの初期対日方針」を具体化するものとして、五大改革指令(”愎佑硫鯤釗↓∀働組合結成の促進、3惺散軌蕕亮由化、だ貔政治からの解放、シ从僂量閏膕宗砲鯑鐱楡府に出します。
 これに基づいて、 「国防保安法」「軍機保護法」「言論出版集会結社等臨時取締法」「不穏文書臨時取締法」(10月12日)、 「治安維持法」「思想犯保護観察法」(10月13日)、 「治安警察法」(10月20日)など労働組合活動を弾圧していた諸法令、制度が撤廃され、政治犯とされていた労働組合関係者も釈放されます。
 その中で、政府は「労務法制審議会」を設置し、労働組合法案の作成を諮問し、その答申に基づいて、帝国議会で審議され、12月22日に法律第51号として制定、翌年3月1日に施行されました。
 GHQの強い指示の下で、戦前の内務省社会局案を参照し、独自に作成されたものでしたが、「職業ノ種類ヲ問ハズ賃金、給料其ノ他之ニ準ズル収入ニ依リ生活スル者」すべてを労組法上の労働者としてとらえ、工・職・官公吏に等しく団結権、争議権を保障した点で、社会局原案とは大きく異なり、戦後民主主義を形成していく上で、画期的なものとされています。
 警察官、消防職員、監獄職員については例外的に団結権が認められていませんでしたが、争議行為に対する刑事・民事免責が規定され、使用者による不当労働行為(労働者の組合結成・加入や組合活動に対する差別的取扱い、黄犬契約等)を刑罰によって禁止、労働協約の規範的効力や一般的拘束力の制度が設けられていました。
 しかし、占領軍の戦後民主化政策の転換があり、3月闘争(全逓三月闘争)後、再び盛り上がろうとしていた官公労の労働運動を抑圧するため、1948年(昭和23)7月31日に「昭和二十三年七月二十二日附内閣総理大臣宛連合国最高司令官書簡に基く臨時措置に関する政令」(政令201号)が出され、公務員労働者から団結権のみを残し、団体交渉権を厳しく制限し、争議権を奪うものとなります。この政令は、同年12月の「国家公務員法」改正、「公共企業体労働関係法」の制定に継承され、官公労働者の争議権が剥奪され続けることになりました。
 このような流れの中で、1949年(昭和24)6月1日、全面的に改正されましたが、その目的は、旧労組法の「団結権ノ保障及団体交渉権ノ保護助成ニ依リ労働者ノ地位ノ向上ヲ図リ経済ノ興隆ニ寄与スル」(1条)ことから、「労働者が使用者との交渉において対等の立場に立つことを促進することにより労働者の地位を向上させること」に改められます。
 これは、経営権の尊重を前提としたうえで、労働者と経営者間に団体交渉を主軸とする労使関係秩序を形成することとされました。主要な改正点は、〇藩兌圓陵?彗緝修糧楼呂魍搬腓靴道駛椶梁Δ亡浜?Ε哀襦璽廚鮗茲蟾?漾会社の業務から組合を排除、組合専従者の給与の会社負担を「経費援助」にあたるとして禁止する。∩塙腟約の必要記載事項を詳細に規定し、組合の内部運営への法規制を強め、それに反する規約をもつ組合を「法外組合」として労組法・労働関係調整法上の一定の保護の付与を否定する。A塙膤萋阿鰺?海箸垢觧藩兌圓砲茲觝絞迷垓?紡个垢覯僻骸腟舛魏?瓠原状回復主義を内容とする不当労働行為制度を導入する。ご鋐妥?荼紊力働協約を一方当事者の意思表示によって解約できる道を開き、使用者はこれに基づき自動延長中の協約を解約し、一方的に人員整理を行うことができるようになる、など労働組合に不利な内容とされます。労働組合側は既得権の侵害、組合弾圧法として反対しましたが、同法改正は成立しました。
 その後、部分的に何度か改正され、現在に至っています。

〇「労働組合法」(抄文)1945年(昭和20)制定、1949年(昭和24)全面改正

第一章 総則

(目的)

第一条 この法律は、労働者が使用者との交渉において対等の立場に立つことを促進することにより労働者の地位を向上させること、労働者がその労働条件について交渉するために自ら代表者を選出することその他の団体行動を行うために自主的に労働組合を組織し、団結することを擁護すること並びに使用者と労働者との関係を規制する労働協約を締結するための団体交渉をすること及びその手続を助成することを目的とする。
2 刑法(明治四十年法律第四十五号)第三十五条の規定は、労働組合の団体交渉その他の行為であつて前項に掲げる目的を達成するためにした正当なものについて適用があるものとする。但し、いかなる場合においても、暴力の行使は、労働組合の正当な行為と解釈されてはならない。

(労働組合)

第二条 この法律で「労働組合」とは、労働者が主体となつて自主的に労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的として組織する団体又はその連合団体をいう。但し、左の各号の一に該当するものは、この限りでない。

一 役員、雇入解雇昇進又は異動に関して直接の権限を持つ監督的地位にある労働者、使用者の労働関係についての計画と方針とに関する機密の事項に接し、そのためにその職務上の義務と責任とが当該労働組合の組合員としての誠意と責任とに直接にてヽ いヽ 触する監督的地位にある労働者その他使用者の利益を代表する者の参加を許すもの
二 団体の運営のための経費の支出につき使用者の経理上の援助を受けるもの。但し、労働者が労働時間中に時間又は賃金を失うことなく使用者と協議し、又は交渉することを使用者が許すことを妨げるものではなく、且つ、厚生資金又は経済上の不幸若しくは災厄を防止し、若しくは救済するための支出に実際に用いられる福利その他の基金に対する使用者の寄附及び最小限の広さの事務所の供与を除くものとする。
三 共済事業その他福利事業のみを目的とするもの
四 主として政治運動又は社会運動を目的とするもの

(労働者)

第三条 この法律で「労働者」とは、職業の種類を問わず、賃金、給料その他これに準ずる収入によつて生活する者をいう。

第四条 削除

第二章 労働組合

(労働組合として設立されたものの取扱)

第五条 労働組合は、労働委員会に証拠を提出して
第二条及び第二項の規定に適合することを立証しなければ、この法律に規定する手続に参与する資格を有せず、且つ、この法律に規定する救済を与えられない。但し、第七条第一号の規定に基く個々の労働者に対する保護を否定する趣旨に解釈されるべきではない。

2 労働組合の規約には、左の各号に掲げる規定を含まなければならない。

一 名称
二 主たる事務所の所在地
三 連合団体である労働組合以外の労働組合(以下「単位労働組合」という。)の組合員は、その労働組合のすべての問題に参与する権利及び均等の取扱を受ける権利を有すること。
四 何人も、いかなる場合においても、人種、宗教、性別、門地又は身分によつて組合員たる資格を奪われないこと。
五 単位労働組合にあつては、その役員は、組合員の直接無記名投票により選挙されること、及び連合団体である労働組合又は全国的規模をもつ労働組合にあつては、その役員は、単位労働組合の組合員又はその組合員の直接無記名投票により選挙された代議員の直接無記名投票により選挙されること。
六 総会は、少くとも毎年一回開催すること。
七 すべての財源及び使途、主要な寄附者の氏名並びに現在の経理状況を示す会計報告は、組合員によつて委嘱された職業的に資格がある会計監査人による正確であることの証明書とともに、少くとも毎年一回組合員に公表されること。
八 同盟罷業は、組合員又は組合員の直接無記名投票により選挙された代議員の直接無記名投票の過半数による決定を経なければ開始しないこと。
九 単位労働組合にあつては、その規約は、組合員の直接無記名投票による過半数の支持を得なければ改正しないこと、及び連合団体である労働組合又は全国的規模をもつ労働組合にあつては、その規約は、単位労働組合の組合員又はその組合員の直接無記名投票により選挙された代議員の直接無記名投票による過半数の支持を得なければ改正しないこと。

(交渉権限)

第六条 労働組合の代表者又は労働組合の委任を受けた者は、労働組合又は組合員のために使用者又はその団体と労働協約の締結その他の事項に関して交渉する権限を有する。

(不当労働行為)

第七条 使用者は、次の各号に掲げる行為をしてはならない。

一 労働者が労働組合の組合員であること、労働組合に加入し、若しくはこれを結成しようとしたこと若しくは労働組合の正当な行為をしたことの故をもつて、その労働者を解雇し、その他これに対して不利益な取扱いをすること又は労働者が労働組合に加入せず、若しくは労働組合から脱退することを雇用条件とすること。ただし、労働組合が特定の工場事業場に雇用される労働者の過半数を代表する場合において、その労働者がその労働組合の組合員であることを雇用条件とする労働協約を締結することを妨げるものではない。
二 使用者が雇用する労働者の代表者と団体交渉をすることを正当な理由がなくて拒むこと。
三 労働者が労働組合を結成し、若しくは運営することを支配し、若しくはこれに介入すること、又は労働組合の運営のための経費の支払につき経理上の援助を与えること。ただし、労働者が労働時間中に時間又は賃金を失うことなく使用者と協議し、又は交渉することを使用者が許すことを妨げるものではなく、かつ、厚生資金又は経済上の不幸若しくは災厄を防止し、若しくは救済するための支出に実際に用いられる福利その他の基金に対する使用者の寄附及び最小限の広さの事務所の供与を除くものとする。
四 労働者が労働委員会に対し使用者がこの条の規定に違反した旨の申立てをしたこと若しくは中央労働委員会に対し第二十七条の十二第一項の規定による命令に対する再審査の申立てをしたこと又は労働委員会がこれらの申立てに係る調査若しくは審問をし、若しくは当事者に和解を勧め、若しくは労働関係調整法(昭和二十一年法律第二十五号)による労働争議の調整をする場合に労働者が証拠を提示し、若しくは発言をしたことを理由として、その労働者を解雇し、その他これに対して不利益な取扱いをすること。

(損害賠償)

第八条 使用者は、同盟罷業その他の争議行為であつて正当なものによつて損害を受けたことの故をもつて、労働組合又はその組合員に対し賠償を請求することができない。

(基金の流用)

第九条 労働組合は、共済事業その他福利事業のために特設した基金を他の目的のために流用しようとするときは、総会の決議を経なければならない。

(解散)

第十条 労働組合は、左の事由によつて解散する。

一 規約で定めた解散事由の発生
二 組合員又は構成団体の四分の三以上の多数による総会の決議

(法人である労働組合)

第十一条 この法律の規定に適合する旨の労働委員会の証明を受けた労働組合は、その主たる事務所の所在地において登記することによつて法人となる。

2 この法律に規定するものの外、労働組合の登記に関して必要な事項は、政令で定める。

3 労働組合に関して登記すべき事項は、登記した後でなければ第三者に対抗することができない。

(後略)

   「法令全書」より
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