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 今日は、昭和時代後期の1981年(昭和56)に、小説家・推理作家横溝正史の亡くなった日です。
 横溝正史(よこみぞ せいし)は、明治時代後期の1902年(明治35)5月24日に、兵庫県神戸市東川崎(現在の神戸市中央区)で、父・横溝宜一郎、母・波摩の三男として生まれましたが、本名は「まさし」と読みました。
 1920年(大正9)に神戸二中(現在の兵庫県立兵庫高等学校)を卒業後、第一銀行神戸支店に入職し、翌年、雑誌『新青年』の懸賞に応募した『恐ろしき四月馬鹿(エイプリル・フール)』が入選作となります。1924年(大正13)に、大阪薬学専門学校(後の大阪大学薬学部)卒業後、実家の生薬屋「春秋堂」に薬剤師として従事しました。
 1926年(大正15)に江戸川乱歩の招きで上京、博文館に入社し、翌年に『新青年』の編集長に就任、その後『文芸倶楽部』、『探偵小説』等の編集に携わりつつ、創作や翻訳活動を続けます。1932年(昭和7)に退社して専業作家となり、『面影双紙』(1933年)、『鬼火』(1935年)、『真珠郎』(1936~37年)など、ロマン的色彩の濃い探偵小説を発表、江戸川乱歩と並称されるようになりました。
 一方、肺結核が悪化し療養を余儀なくされ、戦時中は探偵小説自体が制限される中で、『人形佐七捕物帳』(1938~39年)など時代小説に新境地を開拓します。
 太平洋戦争後は、本格推理小説を目指し、『本陣殺人事件』(1946年)で第1回探偵作家クラブ賞を受賞、続いて、『獄門島』(1947~48年)、『八つ墓村』(1949~50年)、『犬神家の一族』(1950~51年)など、日本的風土を背景に名探偵金田一耕助が活躍するシリーズを次々に発表し、人気を博しました。これらの作品は、1971年(昭和46)から、角川文庫から刊行されてベストセラーとなり、次々と映画化もされ、一大ブームを巻き起こします。
 晩年まで執筆を続けましたが、1981年(昭和56)12月28日に、東京において、79歳で亡くなっています。
 尚、1980年(昭和55)から角川書店の主催による長編推理小説新人賞、横溝正史ミステリ大賞が設けられました。

〇横溝正史の主要な著作

・『恐ろしき四月馬鹿(エイプリル・フール)』(1921年)
・『面影双紙』(1933年)
・『鬼火』(1935年)
・『蔵の中』(1935年)
・『真珠郎』(1936~37年)
・『夜光虫』(1936~37年)
・『人形佐七捕物帳』(1938~39年)
・『本陣殺人事件』(1946年)第1回探偵作家クラブ賞
・『蝶々殺人事件』(1946~47年)
・『獄門島』(1947~48年)
・『夜歩く』(1948~49年)
・『八つ墓村』(1949~50年)
・『犬神家の一族』(1950~51年)
・『女王蜂』(1951~52年)
・『悪魔が来りて笛を吹く』(1951~53年)
・『悪魔の手毬唄』(1957~59年)
・『蝙蝠男』(1964年)
・『仮面舞踏会』(1974年)
・『病院坂の首縊りの家』(1975~77年)
・『悪霊島』(1979~80年)