小川芋銭(おがわ うせん)は、幕末明治維新期の1868年(慶応4)2月18日に、江戸赤坂溜池の牛久藩邸で、牛久藩山口家の重臣小川賢勝の長男として生まれましたが、幼名は不動太郎、のち茂吉と言いました。
1871年(明治4)に廃藩置県により新治県河内郡城中村(現在の茨城県牛久市)に移住し、牛久学舎(現在の牛久小学校)に通います。1879年(明治12)に上京し、小間物屋に奉公、翌年に本多錦吉郎の画塾、彰技堂に入り洋画を学びました。
1887年(明治20)には、尾崎行雄の推挙を得て、『朝野新聞』に客員として入社し、挿絵や風刺的な漫画を描きます。1893年(明治26)に父親の命により牛久に戻り農業に従事しつつ、『茨城日報』や『平民新聞』などにさし絵、漫画を寄稿しました。
1908年(明治41)に初の画集『草汁漫画』を刊行し反響を呼び、1915年(大正4)には、平福百穂、川端龍子らと珊瑚会を結成して、日本画を製作すめるようになります。
1917年(大正6)に横山大観に認められ日本美術院同人となり、漫画から俳画、文人画へと進出、院展等で活躍し、独特なユーモアのあふれる素朴な画風を築き、特に河童の絵で知られるようになりました。
1923年(大正12)に茨城美術展の顧問、1935年(昭和10)に帝国美術院参与となり、書・俳諧もよくしましたが、1938年(昭和13)12月17日に、茨城県牛久の自宅で、71歳で亡くなっています。
〇小川芋銭の主要な作品
・『森羅万象』(1917年)
・『肉案』(1917年)
・『樹下石人談』(1919年)
・『若葉に蒸さるる木精』(1921年)愛知県美術館蔵
・『水虎と其眷族』(1921年) 愛知県美術館蔵
・『水魅戯』(1923年)茨城県立近代美術館蔵
・『夕凪』(1924年)
・『狐隊行』(1930年) 茨城県近代美術館蔵
・『海島秋來』(1932年) 茨城県近代美術館蔵 県指定文化財
・『聴秋』(1936年)
・『羅漢龍虎』桑山美術館蔵