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 今日は、昭和時代後期の1969年(昭和44)に、小説家・演出家獅子文六の亡くなった日です。
 獅子文六(しし ぶんろく)は、1893年(明治26)7月1日に、横浜市中区月岡町(現在の横浜市西区老松町)で、絹織物商「岩田商会」を営んでいた父・岩田茂穂、母・あさじの長男として生まれましたが、本名は岩田豊雄と言いました。
 9歳で父を亡くし、慶應義塾普通部を経て、慶應義塾大学理財科予科に進みます。1913年(大正2)に中退し、1920年(大正9)に母が亡くなり、一人暮らしを始めました。
 1922年(大正11)に渡仏し、パリ滞在中にJ.コポーらの近代演劇運動に触発されて、演劇の道を志します。1925年(大正14)に帰国、「近代劇全集」などの翻訳を行うかたわら、1927年(昭和2)に新劇協会に入会して演出家となりました。
 1933年(昭和8)に明治大学講師となり、同年『東は東』、翌年『朝日屋絹物店』などの戯曲を発表ししつつ、獅子文六の筆名で『新青年』に長編小説『金色青春譜』を執筆します。1937年(昭和12)に久保田万太郎、岸田国士とともに劇団「文学座」を創立して以来、同座幹事として発展に尽力しました。
 一方で、小説『悦ちゃん』(1936~37年)、『信子』(1938~40年)、『南の風』(1941年)など、ユーモアと風刺に富む健康な作品を発表して流行作家となります。
 太平洋戦争中の小説『海軍』で朝日文化賞を受賞しましたが、戦後に「戦争協力作家」として、追放の仮指定されたものの、1ヶ月半後に解除されました。
 以後小説『てんやわんや』(1948~49年)、『自由学校』(1950年)、『大番』全3巻(1956~58年)など戦後風俗を軽妙な筆致で描いた小説で人気を得ます。また、『娘と私』は1961年(昭和36)にNHKで『連続テレビ小説・娘と私』としてテレビドラマ化され、話題となりました。
 1963年(昭和38)に日本芸術院賞受賞、1964年(昭和39)に芸術院会員、1969年(昭和44)に文化勲章受章と数々の栄誉に輝きましたが、1969年(昭和44)12月13日に、東京の自宅において、76歳で亡くなっています。

〇獅子文六の主要な著作

・戯曲『東は東』(1933年)
・戯曲『朝日屋絹物店』(1934年)
・小説『金色(こんじき)青春譜』(1934年)
・小説『悦ちゃん』(1936~37年)
・小説『達磨(だるま)町七番地』(1937年)
・小説『胡椒(こしょう)息子』(1937~38年)
・小説『信子(のぶこ)』(1938~40年)
・小説『南の風』(1941年)
・小説『海軍』(1942年)
・小説『てんやわんや』(1948~49年)
・小説『自由学校』(1950年)
・小説『娘と私』(1953~56年)
・小説『大番』全3巻(1956~58年)