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 今日は、大正時代の1916年(大正5)に、小説家夏目漱石の亡くなった日ですが、「漱石忌」とも呼ばています。
 夏目漱石(なつめ そうせき)は、1867年(慶応3)1月5日に、江戸の牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区)で、代々名主であった家の父・夏目小兵衛直克、母・千枝の五男として生まれましたが、本名は金之助といいました。
 成立学舎を経て大学予備門(東京大学教養学部)から、1890年(明治23)に帝国大学文科大学(現在の東京大学文学部)英文学科に入学します。
 卒業後、松山で愛媛県尋常中学校(現在の松山東高校)の教師、熊本で第五高等学校(現在の熊本大学)の教授などを務めた後、1900年(明治33年)からイギリスへ留学しました。帰国後、東京帝国大学講師として英文学を講じながら、1905年(明治38)から翌年にかけて『我輩は猫である』を『ホトトギス』に発表し、一躍文壇に登場することになります。
 その後、『倫敦塔』『坊つちやん』『草枕』と続けて作品を発表し、文名を上げました。1907年(明治40)に、東京朝日新聞社に専属作家として迎えられ、職業作家として、『三四郎』、『それから』、『門』、『こころ』などを執筆し、日本近代文学の代表的作家となります。
 しかし、『明暗』が未完のうち、1916年(大正5)12月9日に、東京において、50歳で亡くなりました。

〇夏目漱石の主要な著作

・『我輩は猫である』(1905~06年)
・『倫敦塔』(1905年)
・『幻影(まぼろし)の盾』(1905年)
・『坊つちやん』(1906年)
・『草枕』(1906年)
・『虞美人草』(1907年)
・『三四郎』(1908年)
・『それから』 (1909年)
・『門』 (1910年)
・『彼岸過迄(ひがんすぎまで)』(1912年)
・『行人(こうじん)』(1912~13年)
・『こゝろ』(1914年)
・『道草』(1915年)
・『明暗』(1916年)