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 今日は、昭和時代前期の1927年(昭和2)に、政治雑誌『労農』が創刊された日です。
 この雑誌は、山川均、猪俣津南雄、荒畑寒村らによって創刊された政治雑誌でした。その後、1926年(大正15)3月に創刊された雑誌『大衆』同人の鈴木茂三郎、黒田寿男、大森義太郎らも合流し、この雑誌に依った人々は「労農派」と呼ばれるようになります。
 その主張は、創刊号の巻頭論文(山川均著)によって代表され、当時の国家権力を「帝国主義的ブルジョアの政治権力」と規定するものでした。
 それに対し、『日本資本主義発達史講座』に結集する社会科学者のグループは「講座派」と呼ばれ、資本家地主のブロック権力論に立ち、両者は、戦前の日本資本主義の現状認識をめぐって激しい論争(日本資本主義論争)を繰り広げます。
 雑誌名は、1932年(昭和7)に『前進』と改題されましたが、この派に参加した多くの人々は、1938年(昭和13)2月の第2次人民戦線事件で検挙され、政府による大きな弾圧によって、戦時下では沈黙を余儀なくされました。
 太平洋戦争後は、日本社会党・総評の活動に大きな影響を与えることになります。

〇政治雑誌『労農』創刊号掲載の「『労農』発刊に就いて」

 ブルジョアジーはいま吾々の眼前において、強大な反動的・帝国主義的政治 勢力の大規模な結成を急いでゐる。独占的今融資本に率ゐられ、封建的残存勢 力を同化してその力を増大したブルジョアジーは、地主階級をその同盟者として鞏固な結合を遂げ、小ブルジョア上層を完全にその指導の下におき.さらに普通選挙の実施を通ほして、プロレタリアと農民と小ブルジョア下層とを含む広大な社会層の上にまでその政治的指導を拡大し、帝国主義的目的のために利用し得る一切の要素を動員してこれを強大な反動的政治勢カに結成しつゝある。今やブルジョア政党とその政府との一切の政策と努力は、かかる階級的・政治的目標に集注せられてゐる。
 反動的・帝国主義的勢力の拡大と結成との作用の急速な展開を前にして、プロレタリアと農民との前衛は如何なる根本戦略の上に、如何なる戦術を取り、如何なる陣形を立て、如何にして大衆をこの戦線に動員すべめきあらうか。正しき左翼的見解の確立と正しき左翼的先述の不僥不屈の追求とは、無産階級の全運動に課せられた当面の任務である。
 ブルジョアジーの政治上の戦線に行なはれていることは、経済上の戦線においても進行しつつある。わが国資本主義の上向的趨勢に力を得、この趨勢を永久化しやうとするブルジョアと地主の努力は、労働者と農民とに對する経済上の攻勢を益々激烈ならしめてゐる。ブルジョアと地主の経済上の統一戦線に對して、吾等はいま、如何なる陣形と戦術とを以つて有効に抗争し得るであらうか。正しき左翼的見解と正しき左翼的戦術との追求確立は経済戦線においても、同じく無産階級運動に負はしめられてゐる課題である。
 雑誌『労農』は、固より独力を以つてこの重大な問題を解決しやうとし、又は解決し得るかの如く考ヘるものではない。いな反対に、『労農』は、かくの如き傲慢と僭上と幻影とを、極力排撃しやうとするものである。たゞ『労農』は、この問題の解決に協力するがために生まれたものであり、また多少の貢献をなし得ることを確信するものである。
 のみならず雑誌『労農』は、これらの問題を、狭隘な宗派的見地から解決しやうとするものではない。プロレタリアと農民との前衛は、この問題を大衆の前に提起し、これを大衆的なスケールにおいて実践的に解決した時にのみ、初めて真実の解決に到達することが出来る。『労農』は労働者と農民の大衆と共に、この重大な任務に協力せんがために生まれたものである。
 正しい左翼意識の確立ヘ! 正しい左翼戦術の展開へ! 政治的統一戦線の形成ヘ! 組合運動の全国的統一へ! 宗派的分裂主義との闘争ヘ!