蕗谷虹児(ふきや こうじ)は、新潟県新発田市の小さな活版印刷所を営む父・蕗谷傳松と母・エツの長男として生まれましたが、出生地は新潟県北蒲原郡水原町 (現在の阿賀野市) で、本名は一男と言いました。
1911年(明治44)に新発田本村尋常小学校を卒業し、新津尋常高等小学校に進みます。1911年 (明治44)に母エツを亡くし、1914年(大正2)に上京して、尾竹竹坡の八華会絵画研究所で約5年間学びました。
17歳より約2年半、放浪しながら絵を描くという放浪画家生活を送ります。1921年(大正9)に、新潟の新発田に戻り、先輩に連れられて東京・本郷の菊冨士ホテルに竹久夢二を訪ね、大きな影響を受けました。
その紹介で、『少女画報』に挿絵画家としてデビュー、人気挿絵画家となって、時代の寵児として「銀の吹雪」、「孤り星」、「二つの幻影」、「睡蓮の夢」などの詩画集9冊を出版し、多くの女学生に愛されます。
1925年(大正13)、『令女界』に詩「花嫁人形」を発表、「きんらんどんすの…」で始まるこの詩は、後に杉山長谷夫の作曲で童謡になり、代表作となりました。
翌年、渡仏してグラン・ショミエールに学び、サロン・ナショナル、サロン・ドートンヌに入選、個展をシヴイ画廊で開催するなどパリで活躍します。
東京の自宅の経済的破綻によって、1929年(昭和4)に帰国し、その借金返済のため、再び挿絵を描く生活に戻ります。しかし、戦争へと向かう中で、時代に合わなくなり、制作中止に追い込まれました。
太平洋戦争後は、再び『少女クラブ』などの各誌に描き始め、1954年(昭和29)には、「東映映画スタジオ」の設立に参加し、アニメの原画や構成を担当します。
その後、1967年(昭和42)に自画伝「花嫁人形」を出版、翌年に「蕗谷虹児抒情画集」を出版、新宿小田急百貨店で「画業50年記念抒情画展」を開くなどしましたが、1979年(昭和54)5月6日に静岡県の中伊豆温泉病院において、心不全によって80歳で亡くなりました。
尚、1987年(昭和62)に新潟県新発田市に「蕗谷虹児記念館」が開館しています。
〇蕗谷虹児の主要な著作
・詩画集「銀の吹雪」
・詩画集「孤り星」(1923年)
・詩画集「二つの幻影」
・詩画集「睡蓮の夢」(1924年)
・詩画集「悲しき微笑」(1924年)
・詩画集「銀砂の汀」
・詩画集「雫の真珠」
・詩画集「私の画集」
・詩画集「私の詩画集」
・詩画集「花嫁人形」(1935年)
・自画伝「花嫁人形」(1967年)
・「蕗谷虹児抒情画集」(1968年)