今日は、昭和時代中期の1946年(昭和21)に、「ララ物資」第一便としてミルク・衣類など450トンが横浜港に到着した日です。
ララ物資(ララぶっし)は、アジア救援公認団体の英語表記: Licensed Agencies for Relief in Asiaの頭文字を取って「LARA」と略称した団体による日本向けの援助物資のことでした。
この団体は、アメリカ合衆国連邦政府の救済統制委員会(アメリカ合衆国大統領直轄の機関)が、1946年(昭和21)6月に設置を認可した日本向け援助団体で、アメリカの宗教団体や慈善団体など15団体(一説では13団体)から成っています。
同年6月に、ララ代表が来日し、日本政府とGHQとを相手に救援プログラムの運営についての交渉を開始し、8月30日には、「ララ救援物資受領並配分に関する連合軍最高司令官総司令部(GHQ)の日本帝国政府に対する覚書」(SCAPIN1169)が出され、9月20日に、GHQに対する日本政府の回答として「ララ救援物資受領及配分に関する一般計画の件」が出されて実現に向けて動き出しました。
その結果、11月30日に、第一便 (ハワード・スタンズペリー号) として、ミルク・米の粉・バター・ジャム・缶詰・衣服・靴類の計450トンが横浜港に到着します。
12月には、最初に東京都、神奈川県、愛知県、京都府、大阪府、兵庫県、広島県、長崎県の福祉施設486施設に物資が配分され、翌年1~2月には、第2回として、8都府県に古着、和歌山・高知・徳島県への南海地震災害者救済、東京都、神奈川、千葉両県における『学校給食』に、3~4月には、第3回として、12道県の242施設に収容されていた幼児、子ども、結核患者等と他の17県内の253施設に食品が配分されました。
その後、順次支援物資が分配されていき、1952年(昭和27)6月に終了するまで、16,000トン以上の物資が届きましたが、ミルク類、穀物、缶詰、バターやジャムなどの食料品をはじめ、衣類、医薬品、靴、石けん、学用品、乳牛やヤギなどにも及びます。その割合は、食糧75.3%、衣料19.7%、医薬品0.5%、その他4.4%となり、食糧が圧倒的に多く、次いで衣料となっていましたが、当時の金額で400億円(内20%が海外在住の日本人から)という莫大なものでした。
戦後日本の学校給食の脱脂粉乳も、「ララ物資」によるものです。
〇「ララ物資」に関わった15団体
・教会世界奉仕団(The Church World Service)
・アメリカ・フレンズ奉仕団(The American Friends Service Committee)
・カソリック戦時救済奉仕団(The Catholic War Relief Service)
・ルーテル世界救済団(Lutheran World Relief)
・メンノママナイト中央委員会(Mennonite Central Committee)
・カナダ教会会議(Canadian Council of Churches)
・アメリカ労働総同盟(AFL)
・産業別組合会議(CIO)
・ブレズレン奉仕委員会(Brethren Service Committee)
・ユニテリアン奉仕委員会(Unitarian Service Committee)
・クリスチャン・サイエンス奉仕委員会(Christian Science Service Committee)
・アメリカ・ガール・スカウト(Girl Scouts of the United States)
・救世軍(Salvation Army)
・YMCA
・YWCA
〇GHQに対する日本政府の回答「ララ救援物資受領及配分に関する一般計画の件」 1946年(昭和21)9月20日
A 計量に関する計画
1 在横浜8軍の手によって封印された物資を、厚生省代表は受領の上、受領証をララ代表に手渡す。
2 日本政府は、倉庫保管の物資・厚生省より地方に輸送された物資および消費団体の受領した物資の物品目録を保管す。
3 日本政府は倉庫責任者・地方長官および消費団体長より提出の受領証を厚生省をして整理保管せしめ、随時総司令部およびララの閲覧に供す。
4 日本政府は埠頭および倉庫において受領した物品・地方に輸送した物品および消費団体の受領した物品の経理簿を保管す。
B 保管に関する計画
倉庫は横浜市内にある三井物産株式会社のものを確保した。東京向けの大量物資の保管用倉庫は東京都内で之を確保し、地方において倉庫を必要とする場合は、厚生省は各都道府県を通じて之を確保し得る見込み十分である。
C 配分に関する計画
1 配分は国籍・宗教宗派・政党政派に捉われず必要性を基準として公平に行ない、扶養者なき乳幼児および児童・戦災者・引揚者等を収容する公私の社会事業施設その他承認を俟って今後計画すべき対象者に対して、配分するものとす。
2 輸送は運輸省及び民間輸送会社に依頼する。
3 運輸省は、厚生省の求めに応じて、東京及び横浜以外の地区に急速輸送を行なうため、貨車の優先配車をなすものとす。
4 各地区に於ける消費団体迄の輸送は、トラックその他を使用す。
D 警備に関する計画
鉄道警備員が、物資の貨車荷役中及び鉄道輸送中の監視に任ず。倉庫保管中及びトラック運搬中は、十分なる警備を行なう。物資の詐取・盗難・不法消費に対しては、終始万全を期するよう努力す。
☆「ララ物資」関係略年表
<1946年(昭和21)>
・6月 アメリカ合衆国連邦政府の救済統制委員会がララの設置を認可する
・6月 ララ代表が来日し、日本政府とGHQとを相手に救援プログラムの運営についての交渉を開始する
・6月21日 厚生省社会局長へララ代表から救援の申し入れがなされる
・7月8日 ララの3代表とGHQの6名、厚生省の14名が日本側の適当な受入態勢・配分先・希望する品名等の一般的な討議を開始する
・8月30日 「ララ救援物資受領並配分に関する連合軍最高司令官総司令部(GHQ)の日本帝国政府に対する覚書」(SCAPIN1169)が出される
・9月20日 GHQに対する日本政府の回答として「ララ救援物資受領及配分に関する一般計画の件」が出される
・11月30日 第一便 (ハワード・スタンズペリー号) としてミルク・米の粉・バター・ジャム・缶詰・衣服・靴類の計450トンが横浜港に到着する
・12月 最初に東京都、神奈川県、愛知県、京都府、大阪府、兵庫県、広島県、長崎県の福祉施設486施設に物資が配分される
・12月24日 東京都・千代田区立永田町小学校(現在の千代田区立麹町小学校)において贈呈式を実施する
<1947年(昭和22)>
・1~2月 第2回として、8都府県に古着、和歌山・高知・徳島県への南海地震災害者救済、東京都、神奈川、千葉両県における『学校給食』に配分される
・3~4月 第3回として、12道県の242施設に収容されていた幼児、子ども、結核患者等と他の17県内の253施設に食品が配分される
・7月31日 国会・衆議院本会議において感謝決議(救援物資の寄贈に関し亜細亜救援公認團体に対する感謝決議)を全会一致で可決する
<1948年(昭和23)>
・ 東京、大阪、名古屋、京都、横浜、神戸の6大都市の約300ヶ所の保育所で「ララ物資」による給食が開始する
<1949年(昭和24)>
・10月20日 「ララ救援物資の受領並配分に関する覚書」(SCAPIN2054)が出され、GHQの統制の緩和が打ち出される
<1950年(昭和25)>
・4月1日 この日以降GHQの統制が大幅に緩和される
<1952年(昭和27)>
・6月 「ララ物資」が終了する
ララ物資(ララぶっし)は、アジア救援公認団体の英語表記: Licensed Agencies for Relief in Asiaの頭文字を取って「LARA」と略称した団体による日本向けの援助物資のことでした。
この団体は、アメリカ合衆国連邦政府の救済統制委員会(アメリカ合衆国大統領直轄の機関)が、1946年(昭和21)6月に設置を認可した日本向け援助団体で、アメリカの宗教団体や慈善団体など15団体(一説では13団体)から成っています。
同年6月に、ララ代表が来日し、日本政府とGHQとを相手に救援プログラムの運営についての交渉を開始し、8月30日には、「ララ救援物資受領並配分に関する連合軍最高司令官総司令部(GHQ)の日本帝国政府に対する覚書」(SCAPIN1169)が出され、9月20日に、GHQに対する日本政府の回答として「ララ救援物資受領及配分に関する一般計画の件」が出されて実現に向けて動き出しました。
その結果、11月30日に、第一便 (ハワード・スタンズペリー号) として、ミルク・米の粉・バター・ジャム・缶詰・衣服・靴類の計450トンが横浜港に到着します。
12月には、最初に東京都、神奈川県、愛知県、京都府、大阪府、兵庫県、広島県、長崎県の福祉施設486施設に物資が配分され、翌年1~2月には、第2回として、8都府県に古着、和歌山・高知・徳島県への南海地震災害者救済、東京都、神奈川、千葉両県における『学校給食』に、3~4月には、第3回として、12道県の242施設に収容されていた幼児、子ども、結核患者等と他の17県内の253施設に食品が配分されました。
その後、順次支援物資が分配されていき、1952年(昭和27)6月に終了するまで、16,000トン以上の物資が届きましたが、ミルク類、穀物、缶詰、バターやジャムなどの食料品をはじめ、衣類、医薬品、靴、石けん、学用品、乳牛やヤギなどにも及びます。その割合は、食糧75.3%、衣料19.7%、医薬品0.5%、その他4.4%となり、食糧が圧倒的に多く、次いで衣料となっていましたが、当時の金額で400億円(内20%が海外在住の日本人から)という莫大なものでした。
戦後日本の学校給食の脱脂粉乳も、「ララ物資」によるものです。
〇「ララ物資」に関わった15団体
・教会世界奉仕団(The Church World Service)
・アメリカ・フレンズ奉仕団(The American Friends Service Committee)
・カソリック戦時救済奉仕団(The Catholic War Relief Service)
・ルーテル世界救済団(Lutheran World Relief)
・メンノママナイト中央委員会(Mennonite Central Committee)
・カナダ教会会議(Canadian Council of Churches)
・アメリカ労働総同盟(AFL)
・産業別組合会議(CIO)
・ブレズレン奉仕委員会(Brethren Service Committee)
・ユニテリアン奉仕委員会(Unitarian Service Committee)
・クリスチャン・サイエンス奉仕委員会(Christian Science Service Committee)
・アメリカ・ガール・スカウト(Girl Scouts of the United States)
・救世軍(Salvation Army)
・YMCA
・YWCA
〇GHQに対する日本政府の回答「ララ救援物資受領及配分に関する一般計画の件」 1946年(昭和21)9月20日
A 計量に関する計画
1 在横浜8軍の手によって封印された物資を、厚生省代表は受領の上、受領証をララ代表に手渡す。
2 日本政府は、倉庫保管の物資・厚生省より地方に輸送された物資および消費団体の受領した物資の物品目録を保管す。
3 日本政府は倉庫責任者・地方長官および消費団体長より提出の受領証を厚生省をして整理保管せしめ、随時総司令部およびララの閲覧に供す。
4 日本政府は埠頭および倉庫において受領した物品・地方に輸送した物品および消費団体の受領した物品の経理簿を保管す。
B 保管に関する計画
倉庫は横浜市内にある三井物産株式会社のものを確保した。東京向けの大量物資の保管用倉庫は東京都内で之を確保し、地方において倉庫を必要とする場合は、厚生省は各都道府県を通じて之を確保し得る見込み十分である。
C 配分に関する計画
1 配分は国籍・宗教宗派・政党政派に捉われず必要性を基準として公平に行ない、扶養者なき乳幼児および児童・戦災者・引揚者等を収容する公私の社会事業施設その他承認を俟って今後計画すべき対象者に対して、配分するものとす。
2 輸送は運輸省及び民間輸送会社に依頼する。
3 運輸省は、厚生省の求めに応じて、東京及び横浜以外の地区に急速輸送を行なうため、貨車の優先配車をなすものとす。
4 各地区に於ける消費団体迄の輸送は、トラックその他を使用す。
D 警備に関する計画
鉄道警備員が、物資の貨車荷役中及び鉄道輸送中の監視に任ず。倉庫保管中及びトラック運搬中は、十分なる警備を行なう。物資の詐取・盗難・不法消費に対しては、終始万全を期するよう努力す。
☆「ララ物資」関係略年表
<1946年(昭和21)>
・6月 アメリカ合衆国連邦政府の救済統制委員会がララの設置を認可する
・6月 ララ代表が来日し、日本政府とGHQとを相手に救援プログラムの運営についての交渉を開始する
・6月21日 厚生省社会局長へララ代表から救援の申し入れがなされる
・7月8日 ララの3代表とGHQの6名、厚生省の14名が日本側の適当な受入態勢・配分先・希望する品名等の一般的な討議を開始する
・8月30日 「ララ救援物資受領並配分に関する連合軍最高司令官総司令部(GHQ)の日本帝国政府に対する覚書」(SCAPIN1169)が出される
・9月20日 GHQに対する日本政府の回答として「ララ救援物資受領及配分に関する一般計画の件」が出される
・11月30日 第一便 (ハワード・スタンズペリー号) としてミルク・米の粉・バター・ジャム・缶詰・衣服・靴類の計450トンが横浜港に到着する
・12月 最初に東京都、神奈川県、愛知県、京都府、大阪府、兵庫県、広島県、長崎県の福祉施設486施設に物資が配分される
・12月24日 東京都・千代田区立永田町小学校(現在の千代田区立麹町小学校)において贈呈式を実施する
<1947年(昭和22)>
・1~2月 第2回として、8都府県に古着、和歌山・高知・徳島県への南海地震災害者救済、東京都、神奈川、千葉両県における『学校給食』に配分される
・3~4月 第3回として、12道県の242施設に収容されていた幼児、子ども、結核患者等と他の17県内の253施設に食品が配分される
・7月31日 国会・衆議院本会議において感謝決議(救援物資の寄贈に関し亜細亜救援公認團体に対する感謝決議)を全会一致で可決する
<1948年(昭和23)>
・ 東京、大阪、名古屋、京都、横浜、神戸の6大都市の約300ヶ所の保育所で「ララ物資」による給食が開始する
<1949年(昭和24)>
・10月20日 「ララ救援物資の受領並配分に関する覚書」(SCAPIN2054)が出され、GHQの統制の緩和が打ち出される
<1950年(昭和25)>
・4月1日 この日以降GHQの統制が大幅に緩和される
<1952年(昭和27)>
・6月 「ララ物資」が終了する