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 今日は、1906年(明治39)に南満洲鉄道株式会社(満鉄)が設立された日です。
 この鉄道会社は、1905年(明治38)のポーツマス条約(日露講和条約)によって日本がロシアから譲渡された利権に基づき、翌年11月26日に設立された国策会社で、日本の中国侵略の足掛りとなりました。
 日露戦争の結果、帝政ロシアが経営していた東清鉄道の一部 (旅順-長春) とその支線及び撫順・煙台などの炭鉱経営等を担う機関として、1906年(明治39)6月8日公布の勅令「南満洲鉄道株式会社ニ関スル件」(明治39年勅令第142号)によって資本金2億円 (うち政府現物出資1億円) で特殊法人として設立され、翌年4月1日に営業を開始します。
 初代総裁は後藤新平で、鉄道経営だけでなく、10kmにつき15人の駐兵権をもち、沿線の鉄道付属地では、中国人の介入を許さない行政権が与えられました。本社は、関東州大連市に置かれ、支社は日本では東京に東京支社、満州国の成立後は首都・新京に新京支社が設置されます。
 最初は、大連(だいれん)~孟家屯(もうかとん)、安東(あんとう)~奉天(ほうてん)間などを手始めに鉄道運行が開始され、1911年(明治44)11月には朝鮮総督府鉄道との連絡がなり、新義州(しんぎしゅう)~安東間が開通しました。
 さらに 1916年(大正5)には鞍山製鉄所を開設して事業を拡大、また、満州特産の大豆、豆粕、豆油の日本への供給にも寄与し、1920年代には多数の傘下企業を擁する一大コンツェルンとなります。
 1931年(昭和6)の満州事変勃発後は関東軍と密接に結びつき、翌年の満州国樹立とともにその研究・技術陣の総力を結集して経済政策に協力し、鉄道部門は満州国の国有とされて、満鉄が委託経営をする形となりました。
 1937年(昭和12)に重工業部門を満州重工業開発に移譲しましたが、太平洋戦争末期には、資本金14億円、総資産約40億円、従業員39万8千人 (内日本人14万人) 、鉄道営業キロ数11,479km、自動車同約2万km、水運同4,686kmで、他に港湾、炭鉱、不動産、調査・研究、学校、病院などの事業を経営しています。
 しかし、敗戦後の1945年(昭和20)9月30日に、 連合国最高司令部(GHQ)の指令に基づき、閉鎖機関に指定され、中国長春(チャンチュン)鉄路に接収されて消滅しました。