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 今日は、昭和時代中期の1963年(昭和38)に、鶴見事故で列車の三重衝突が起こり、死者161人、負傷者120人を出した日です。
 この事故は、午後9時50分に、東海道線新子安駅~鶴見駅間の滝坂不動踏切(神奈川県横浜市鶴見区)付近で、下り貨物列車が脱線し、最後部の2両が転覆、3両目が東海道旅客線の線路にかかりました。そこに横須賀発東京行きの上り電車が突入して脱線、さらにその上り電車の最前部の1両は脱線して貨物列車と並行して走っていた東京発逗子行きの横須賀線下り電車4両目と5両目に衝突したものです。
 前年5月3日の三河島事故(死者160人・負傷者296人)に続く、三重衝突事故となり、多くの車両が大破し、死者 161人・負傷者120人を出す大惨事となりました。
 最初の貨物列車の脱線は、「競合脱線」とされましたが、事故直後に発煙筒を焚いて知らせたものの間に合わず、上り電車が90km/h前後の高速で突っ込み、続いて下り電車も衝突しての大事故となります。
 太平洋戦争後では、1947年(昭和22)2月25日の八高線事故(死者184人・負傷者67人)に次ぐ、死者の多さとなり、「国鉄戦後五大事故」の一つに数えられてきました。
 同じ日に、福岡県大牟田市の三井三池炭鉱で大爆発事故が起き、死者458人を出したたため、この日は「血塗られた土曜日」、「魔の土曜日」とも呼ばれています。

〇国鉄戦後五大事故

・桜木町事故 1951年(昭和26)4月24日 東海道本線(現在の根岸線)桜木町駅構内で車両火災が発生(106人死亡・92人負傷)
・洞爺丸事故 1954年(昭和29)9月26日 青函連絡船・函館沖 「洞爺丸」など連絡船5隻が洞爺丸台風にあおられ沈没(1,430人死亡)
・紫雲丸事故 1955年(昭和30)5月11日 宇高連絡船・女木島沖 「紫雲丸」が貨物船の「第三宇高丸」と衝突し沈没(166人死亡・122人負傷)
・三河島事故 1962年(昭和37)5月3日 常磐線三河島駅構内で下り貨物列車に下り電車が衝突、さらに上り電車が突っ込む三重衝突(160人死亡・296人負傷)
・鶴見事故 1963年(昭和38)11月9日 東海道本線鶴見駅~新子安駅間で下り貨物列車に上りの電車が衝突、さらに下り電車が突っ込む三重衝突(161人死亡・120人負傷)

〇太平洋戦争後の列車大事故(死者100人以上)

・1947年(昭和22)2月25日 八高線事故(死者184人・負傷者67人)
・1951年(昭和26)4月24日 桜木町事故(死者106人・負傷者92人)
・1962年(昭和37)5月3日 三河島事故(死者160人・負傷者296人)
・1963年(昭和38)11月9日 鶴見事故(死者161人・負傷者120人)
・2005年(平成17)4月25日 宝塚線(福知山線)事故(死者107人・負傷者562人)