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 今日は、大正時代の1922年(大正11)に、大学・高専の社会思想団体による日本最初の全国組織である学生連合会が結成された日です。
 学生連合会(がくせいれんごうかい)は、ロシア革命5周年記念日(1922年11月7日)に、東大新人会などを中心として、東大山上御殿ホールに、全国の大学高専70余校の社会思想研究組織の代表約100名が集まって結成され、略称を学連(FS)と言いました。社会科学の普及に努め、軍事教練反対と学問研究の自由、学園の自治のために運動、大正デモクラシー期の社会運動の一翼を担います。
 全国の大学・高専で社会科学研究会(社研)の結成が進む中、1924年(大正13)9月14日の第1回全国大会(於:東京帝国大学)で「学生社会科学連合会」と改称され、同年11月には53校、会員1,600名を有するようになりました。
 翌年7月16日の第2回全国大会(於:京都帝国大学)で、さらに「全日本学生社会科学連合会」と改称され、会員はマルクス主義を指導精神とし、無産階級運動の一翼を担い、教育運動に従事するという主旨のテーゼを採択し、連合体を全国的集権組織にする規約改正などを決定します。
 1923年(大正12)9月1日に起こった関東大震災後には、その影響下で帝大セツルメント、東京商大のS・P・Sなど学生セツルメントの運動も展開されました。
 しかし、1925年(大正14)末~翌年初めに、不穏ビラ(軍事教練反対ビラ)を口実に京都から始まって、指導的学生多数が「治安維持法」最初の適用を受けて逮捕され、38人が起訴、17人が処罰されるという「学連事件」が起こりました。
 これらの弾圧の中で先鋭化し、1926年(昭和元)6月28日に「全日本学生自由擁護同盟」を組織、労働運動とも提携して活動を続けましたが、1929年(昭和4)11月7日に組織が解消されています。

〇戦前の学生連合会(学連)関係略年表

<1918年(大正7)>
・11月 東京・神田の吉野作造演説会を契機に東大新人会が結成される

<1919年(大正8)>
・2月14日 京都で同志社大学の約700名が集まって普選要求の学生大会が開かれる 
・2月21日 早稲田大学で民人同盟会が結成される

<1922年(大正11)> 
・11月7日 大学・高専の社会思想団体による日本最初の全国組織である学生連合会(学連)が結成される

<1923年(大正12)>
・5月10日 早稲田大学での軍事研究団の組織に反対する学生が抗議する軍事研究団事件が起きる
・11月 京大社会科学研究会が結成される
・12月 東北大社会問題研究会が結成される

<1924年(大正13)>
・9月14日 第1回全国大会(於:東京帝国大学)に23校の社研代表56名が参加し「学生社会科学連合会」と改称される
・11月 「学生社会科学連合会」が53校、会員1,600名を有するようになる
・11月12日 学連などの団体によって「全国学生軍事教育反対同盟」が結成される

<1925年(大正14)>
・1月24日 「全国学生軍事教育反対同盟」主催でデモ行進を予定したが禁止され、1,000名の学生と警官隊が対峙する
・7月16日 第2回全国大会(於:京都帝国大学)に社研代表80名が参加し、「全日本学生社会科学連合会」と改称される
・10月15日 小樽高商で軍事教練反対運動が起こる(小樽高商事件)
・11月15日 同志社大学構内の掲示板に軍事教練反対のビラが貼られ、不穏ビラとされる
・12月1日 京都帝大、同志社大などの社研学生33名が検束される

<1926年(大正15/昭和元)>
・1月15日 全国的な学連関係者の検挙が始まり、以後4ヶ月にわたって続けられる(学連事件)
・6月28日 「全日本学生自由擁護同盟」が組織される、
・6月29日 岡田良平文部大臣が学生・生徒による社会科学研究の禁止を通達する

<1927年(昭和2)>
・5月 学連事件の京都地裁の第1審判決で、「治安維持法」違反として、4名の禁固1年を筆頭に37名が有罪となる

<1928年(昭和3)>
・4月17日 東京帝大が新人会に解散命令を出し、以降各帝大社研に解散命令が下される

<1929年(昭和4)>
・11月7日 「全日本学生社会科学連合会」が解消される
・12月 学連事件の大阪控訴院判決では18名に対し懲役7年以下とより厳しい量刑となる

<1930年(昭和5)>
・5月 学連事件の大審院による上告棄却で有罪が確定する