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 今日は、江戸時代後期の1854年(嘉永7)に、安政東海地震が起きた日ですが、新暦では12月23日となります。
 この地震は、江戸時代後期の1854年(嘉永7年11月4日)9時過頃に起きた、駿河湾から遠州灘、紀伊半島南東沖一帯を震源とする巨大地震(マグニチュード8.4)でした。これによって、津波も発生して、被害は東海地方を中心に、関東地方から近畿地方にまで及びました。
 その結果、多くの家屋が倒壊・焼失し、死者・行方不明者は数千人になると言われ、農畜産物、道路・橋梁などへも甚大な被害が出ます。
 また、伊豆・下田では、来日中のロシアの提督・プチャーチンと日露交渉を行っていましたが、この地震による津波で、下田港停泊中のディアナ号が大きく損壊し、伊豆・戸田への曳航中に沈没しました。
 さらに、32時間後の翌12月24日には安政南海地震(マグニチュード8.4)が連動して発生し、被害は中部地方から九州地方へ及ぶ甚大なものとなります。
 2つの地震が重なった地域もあって被害の判別が難しく、併せて、伊豆から四国までの広範な地帯で死者数千人、倒壊家屋3万軒以上という大きな被害をもたらしたとされました。この2つの地震を機に元号が「安政」に改められたので、安政大地震とも総称されています。
 この後、11月7日の豊予海峡地震(マグニチュード7.4)、翌安政2年2月1日の飛騨地震(マグニチュード6.8)、10月2日の安政江戸地震(マグニチュード6.9~7.4)、安政3年7月23日の安政八戸沖地震(マグニチュード7.8~8.0)、安政4年8月25日の伊予大震(マグニチュード7.3)、安政5年2月26日の飛越地震(マグニチュード7.0~7.1)などの大きな地震が続き、これらを含めて「安政の大地震」とも呼ばれてきました。
 中でも、安政江戸地震の被害は甚大で、倒壊した家屋は2万軒、死者は1万人余と考えられ、小石川の水戸藩邸では藤田東湖、戸田蓬軒らが圧死しています。

〇一連の「安政の大地震」(日付は旧暦です)

・1854年(嘉永7)6月15日- 伊賀上野地震(マグニチュード7.0)
・1854年(嘉永7)11月4日- 安政東海地震(マグニチュード8.4)
・1854年(嘉永7)11月5日- 安政南海地震(マグニチュード8.4)
・1854年(嘉永7)11月7日- 豊予海峡地震(マグニチュード7.4)
・1855年(安政2)2月1日- 飛騨地震(マグニチュード6.8)
・1855年(安政2)8月3日- 陸前で地震
・1855年(安政2)9月28日- 遠州灘で地震(安政東海地震の最大余震)
・1855年(安政2)10月2日- 安政江戸地震(マグニチュード6.9~7.4)
・1856年(安政3)7月23日- 安政八戸沖地震(マグニチュード7.8~8.0)
・1856年(安政3)10月7日- 江戸で地震
・1857年(安政4)閏5月23日- 駿河で地震
・1857年(安政4)8月25日- 伊予大震(マグニチュード7.3)
・1858年(安政5)2月26日- 飛越地震(マグニチュード7.0~7.1)
・1858年(安政5)5月28日- 八戸沖で地震