徳川吉宗(とくがわ よしむね)は、紀伊国において、徳川御三家のひとつ紀州藩徳川家の第2代藩主光貞の四男として生まれましたが、幼名は源六、新之助、初名は頼方と言いました。
1697年(元禄10)に第5代将軍・徳川綱吉に御目見し、越前国丹生郡3万石を賜り、葛野藩主となります。1705年(宝永2)には、兄綱教、頼職の相次ぐ死去により、本家紀州藩55万石を継ぎ、吉宗と改名しました。
1716年(正徳6)に第7代将軍徳川家継の危篤で将軍後見となり、将軍家の血筋が途絶えた後を受け、同年8月13日に第8代将軍として、宣下を受けます。
その後、幕府財政の改革と幕政の強化につとめ、いわゆる享保の改革を行うことになりました。その中で、倹約の実行、実学の奨励、新田開発、殖産興業、目安箱設置、法令の編纂、人材登用、貨幣改鋳、小石川養生所設置、町火消し設置など多方面にわたる実績を残し、幕府中興の祖とされます。
改革も治世後期には停滞し、1745年(延享2)に家督を長男家重に譲ってからは大御所と呼ばれました。
1746年(延享3)に中風を患い、右半身麻痺と言語障害の後遺症が残り、1751年(寛延4年6月20日)に、江戸城内において、数え年68歳で亡くなります。
〇享保の改革とは?
江戸幕府第8代将軍徳川吉宗が幕藩体制の安定と強化のため、江戸時代中期に、その在任期間(1716~1745年)を通じて行なった諸改革で、江戸時代の三大改革の一つと言われ、その最初に行われたものです。内容は、幕政機構の再編、法制の立て直し、都市商業資本の統制などで、具体的には以下の主要な政策が実施されました。
<享保の改革の主要政策>
・質素倹約の奨励
・定免制を施行して年貢収納の強化をはかる
・足高の制(各地位ごとに授与される給与を定め、地位についている時に元の禄高に足されて支給した)
・公事方御定書(幕府の基本法典。判例を法規化した刑事裁判の際の基準となる刑事判例集)
・目安箱の設置(施政の参考意見や社会事情の収集などを目的に、庶民の進言を集めるための投書箱)
・堂島米市場の公認
・キリスト教に関係のない漢訳洋書の輸入の緩和
・上げ米の制
・相対済令(金銭貸借についての訴訟を認めず当事者間の話し合いによる解決を命じたもの)
・元文の改鋳(貨幣の品位を低下させ、通貨量を増大させる貨幣改鋳策)
・新田開発の奨励(商人など民間による新田開発を奨励)
☆徳川吉宗関係略年表(日付は旧暦です)
・1684年(貞享元)10月21日 徳川御三家の紀州藩第2代藩主・徳川光貞の四男として生まれる
・1695年(元禄8) 12歳で従五位下・主税頭(ちからのかみ)となる
・1696年(元禄9) 従四位下・左近衛権少将となる
・1697年(元禄10) 第5代将軍・徳川綱吉に御目見し、越前国丹生郡3万石を賜り、葛野藩主となる
・1705年(宝永2) 兄綱教、頼職の相次ぐ死去により本家紀州藩55万石を継ぐ
・1705年(宝永2)12月 従三位・左中将となり、綱吉の一字をもらい吉宗と改名する
・1706年(宝永3) 伏見宮貞致親王の娘、真宮理子を夫人とする
・1707年(宝永4) 権中納言に昇進する
・1716年(正徳6)4月 第7代将軍徳川家継の危篤で将軍後見となる
・1716年(享保元)8月13日 第8代将軍として、宣下の儀が行われる
・1717年(享保2)2月 大岡忠助が江戸町奉行に任命される
・1717年(享保2) 新金銀交換(享保小判金)を強制する
・1719年(享保4)11月9日 「相対済令」を出す
・1720年(享保5)3月 江戸で大火が起きる
・1720年(享保5)8月 江戸町火消しいろは四十八組を設置する
・1720年(享保5)12月 キリスト教以外の漢訳洋書の輸入制限を緩和する
・1721年(享保6)8月 目安箱を設置する
・1721年(享保6)12月21日 「質流地禁止令」が出される
・1722年(享保7)7月3日 「上げ米の令」を出す
・1722年(享保7)12月 小石川養生所が設置される
・1723年(享保8)6月18日 足高制を導入する
・1724年(享保9)6月 諸大名・幕臣に倹約令を出す
・1724年(享保9)7月 札差の株仲間が公認される
・1725年(享保10) 「口米永代蔵令」を出す
・1728年(享保13) 年貢を増徴(四公六民→五公五民)する
・1730年(享保15) 諸大名に対して買米令を出す
・1730年(享保15)8月13日 堂島米会所が公認される
・1731年(享保16) 「上げ米の令」を廃止する
・1732年(享保17) 享保の大飢饉が起こる
・1733年(享保18) 米価が高騰し、江戸で米問屋が打ち壊しに会う
・1734年(享保19) 諸国産物取り調べを行わせる
・1735年(享保20) 田方勝手作仕法(田畑勝手作禁止令の事実上の見直し)を行う
・1736年(元文元) 元文の改鋳実施(貨幣の品位を低下させ、通貨量を増大させる貨幣改鋳策)
・1739年(元文4) 青木昆陽が御書物御用達に登用される
・1742年(寛保2)4月 『公事方御定書(くじかたおさだめがき)』を制定する
・1744年(延享元) 神田に天文台を設置させる
・1745年(延享2)9月25日 隠居し家督を長男家重に譲る
・1745年(延享2)11月2日 吉宗の長男家重が第9代将軍の宣下を受ける
・1746年(延享3) 中風を患い、右半身麻痺と言語障害の後遺症が残る
・1751年(寛延4)6月20日 江戸城内において、68歳で亡くなる