ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

2018年10月

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 今日は、1684年(貞享元)に、江戸幕府第8代将軍徳川吉宗の生まれた日ですが、新暦では11月27日となります。
 徳川吉宗(とくがわ よしむね)は、紀伊国において、徳川御三家のひとつ紀州藩徳川家の第2代藩主光貞の四男として生まれましたが、幼名は源六、新之助、初名は頼方と言いました。
 1697年(元禄10)に第5代将軍・徳川綱吉に御目見し、越前国丹生郡3万石を賜り、葛野藩主となります。1705年(宝永2)には、兄綱教、頼職の相次ぐ死去により、本家紀州藩55万石を継ぎ、吉宗と改名しました。
 1716年(正徳6)に第7代将軍徳川家継の危篤で将軍後見となり、将軍家の血筋が途絶えた後を受け、同年8月13日に第8代将軍として、宣下を受けます。
 その後、幕府財政の改革と幕政の強化につとめ、いわゆる享保の改革を行うことになりました。その中で、倹約の実行、実学の奨励、新田開発、殖産興業、目安箱設置、法令の編纂、人材登用、貨幣改鋳、小石川養生所設置、町火消し設置など多方面にわたる実績を残し、幕府中興の祖とされます。
 改革も治世後期には停滞し、1745年(延享2)に家督を長男家重に譲ってからは大御所と呼ばれました。
 1746年(延享3)に中風を患い、右半身麻痺と言語障害の後遺症が残り、1751年(寛延4年6月20日)に、江戸城内において、数え年68歳で亡くなります。

〇享保の改革とは?

 江戸幕府第8代将軍徳川吉宗が幕藩体制の安定と強化のため、江戸時代中期に、その在任期間(1716~1745年)を通じて行なった諸改革で、江戸時代の三大改革の一つと言われ、その最初に行われたものです。内容は、幕政機構の再編、法制の立て直し、都市商業資本の統制などで、具体的には以下の主要な政策が実施されました。

<享保の改革の主要政策>
・質素倹約の奨励
・定免制を施行して年貢収納の強化をはかる
・足高の制(各地位ごとに授与される給与を定め、地位についている時に元の禄高に足されて支給した)
・公事方御定書(幕府の基本法典。判例を法規化した刑事裁判の際の基準となる刑事判例集)
・目安箱の設置(施政の参考意見や社会事情の収集などを目的に、庶民の進言を集めるための投書箱)
・堂島米市場の公認
・キリスト教に関係のない漢訳洋書の輸入の緩和
・上げ米の制
・相対済令(金銭貸借についての訴訟を認めず当事者間の話し合いによる解決を命じたもの)
・元文の改鋳(貨幣の品位を低下させ、通貨量を増大させる貨幣改鋳策)
・新田開発の奨励(商人など民間による新田開発を奨励)

☆徳川吉宗関係略年表(日付は旧暦です)

・1684年(貞享元)10月21日 徳川御三家の紀州藩第2代藩主・徳川光貞の四男として生まれる
・1695年(元禄8) 12歳で従五位下・主税頭(ちからのかみ)となる
・1696年(元禄9) 従四位下・左近衛権少将となる
・1697年(元禄10) 第5代将軍・徳川綱吉に御目見し、越前国丹生郡3万石を賜り、葛野藩主となる
・1705年(宝永2) 兄綱教、頼職の相次ぐ死去により本家紀州藩55万石を継ぐ
・1705年(宝永2)12月 従三位・左中将となり、綱吉の一字をもらい吉宗と改名する
・1706年(宝永3) 伏見宮貞致親王の娘、真宮理子を夫人とする
・1707年(宝永4) 権中納言に昇進する
・1716年(正徳6)4月 第7代将軍徳川家継の危篤で将軍後見となる
・1716年(享保元)8月13日 第8代将軍として、宣下の儀が行われる
・1717年(享保2)2月 大岡忠助が江戸町奉行に任命される
・1717年(享保2) 新金銀交換(享保小判金)を強制する
・1719年(享保4)11月9日 「相対済令」を出す
・1720年(享保5)3月 江戸で大火が起きる
・1720年(享保5)8月 江戸町火消しいろは四十八組を設置する
・1720年(享保5)12月 キリスト教以外の漢訳洋書の輸入制限を緩和する
・1721年(享保6)8月 目安箱を設置する
・1721年(享保6)12月21日 「質流地禁止令」が出される
・1722年(享保7)7月3日 「上げ米の令」を出す
・1722年(享保7)12月 小石川養生所が設置される
・1723年(享保8)6月18日 足高制を導入する
・1724年(享保9)6月 諸大名・幕臣に倹約令を出す
・1724年(享保9)7月 札差の株仲間が公認される
・1725年(享保10) 「口米永代蔵令」を出す
・1728年(享保13) 年貢を増徴(四公六民→五公五民)する
・1730年(享保15) 諸大名に対して買米令を出す
・1730年(享保15)8月13日 堂島米会所が公認される
・1731年(享保16) 「上げ米の令」を廃止する
・1732年(享保17) 享保の大飢饉が起こる
・1733年(享保18) 米価が高騰し、江戸で米問屋が打ち壊しに会う
・1734年(享保19) 諸国産物取り調べを行わせる
・1735年(享保20)  田方勝手作仕法(田畑勝手作禁止令の事実上の見直し)を行う
・1736年(元文元) 元文の改鋳実施(貨幣の品位を低下させ、通貨量を増大させる貨幣改鋳策)
・1739年(元文4) 青木昆陽が御書物御用達に登用される
・1742年(寛保2)4月 『公事方御定書(くじかたおさだめがき)』を制定する
・1744年(延享元) 神田に天文台を設置させる
・1745年(延享2)9月25日 隠居し家督を長男家重に譲る
・1745年(延享2)11月2日 吉宗の長男家重が第9代将軍の宣下を受ける
・1746年(延享3) 中風を患い、右半身麻痺と言語障害の後遺症が残る
・1751年(寛延4)6月20日 江戸城内において、68歳で亡くなる
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 今日は、江戸時代後期の1856年(安政3)に、農政家・思想家二宮尊徳の亡くなった日ですが、新暦では11月17日となります。
 二宮尊徳(にのみや たかのり)は、1787年(天明7年7月23日)に、相模国足柄上郡栢山村(現在の神奈川県小田原市栢山)において、百姓の父・二宮利右衛門、母・好(よし)の長男として生まれましたが、通称は金次郎と言いました。
 14歳のとき父を、16歳のとき母を失い、田畑は酒匂川の洪水によって流失して、伯父の家を手伝いながら学問に励みます。『論語』、『大学』、『中庸』などを独自に学びながら、奮励努力して没落した生家を20歳で再興し、田畑約4町歩をもつ地主となりました。
 1812年(文化9)に、小田原藩家老服部十郎兵衛家の若党となり、1818年(文政元)には、服部家の家政改革を託されて、倹約と借入金の運用によりそれを成功させます。
 その手腕を認められて、小田原城主大久保忠真から模範篤農家として表彰され、1822年(文政5)には小田原藩に登用されます。
 藩主忠真より分家旗本宇津氏の領地下野国桜町領(現在の栃木県真岡市・二宮町)の領地再建を命ぜられ、1837年(天保8)にかけて、報徳仕法として他の範となる桜町仕法を施して成功しました。その他、駿河国、相模国、伊豆国、常陸国真壁、芳賀両郡、幕府の日光神領90ヵ村などの復興に従事します。
 1842年(天保13)に、江戸幕府に召し抱えられ、普請役格20俵2人扶持となって印旛沼開拓・利根川利水についての提案を行ない、晩年は、日光神領の立直しの命をうけました。
 しかし、その仕法の業の途中で、1856年(安政3年10月20日)に、下野国今市村(現在の栃木県日光市)の報徳役所において数え年70歳で病没します。
 その思想や行動は、報徳社運動として受け継がれ、明治時代には、国民教化の観点から政府によって二宮尊徳が顕彰されるようになりました。そして、1904年(明治37)以降の修身教科書には、多くの徳を備えた人物として登場することとなり、昭和時代前期には、小学校校庭の薪を背負って読書する二宮金次郎像も一般化します。

〇二宮尊徳の主要な著書

・『為政鑑(いせいかがみ)』
・『富国方法書』
・『三才報徳金毛録』
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 今日は、昭和時代前期の1929年(昭和4)に、東京の日比谷公園に日比谷公会堂(当時東洋一の規模)が開場した日です。
 日比谷公会堂(ひびやこうかいどう)は、東京都千代田区の日比谷公園の中にある公共の施設(多目的ホール)で、音楽会や講演会、演説会などに利用されてきました。
 安田財閥を創立した安田善次郎の350万円の寄附により、1929年(昭和4)に東京市政会館に付設して竣工し、同年10月19日に開場します。鉄筋コンクリート造4階建て、面積6,032屐定員2,074名で、建設当時は東洋一の規模とされました。
 太平洋戦争前はもとより、戦後もしばらくは数少ない公演ホールとして、当時を代表するような、交響楽団の定期演奏会、その他のコンサート、講演会、演説会などが数々催されます。1954年(昭和29)に、初来日したカラヤンがNHK交響楽団を指揮、1957年(昭和32)に2度目の来日をしたカラヤンが初来日のベルリン・フィルを指揮、1960年(昭和35)には、自民、社会、民社の3党首立会演説会において、右翼少年による浅沼稲次郎社会党委員長刺殺事件の舞台ともなりました。
 その後、都内各所に新しい音響効果の優れた多目的ホールができて、コンサートホールとしての地位は低下して行きます。
 尚、施設の老朽化により、2016年(平成28)4月より、耐震強化工事等のため長期休館となりました。

〇公会堂とは?

 公衆のための集会を行うに適した施設のことです。日本では、大正デモクラシーの時期に、演説会、講演会、雄弁会等を天候に関わらず開催できて、営利性と無関係な施設が求められるようになりました。その中で、地方自治体や地区住民自治組織で設けられた施設が「公会堂」とされます。
 そして、函館区公会堂(1910年)、京都市岡崎公会堂(1916年)、大阪市中央公会堂[通称:中之島公会堂](1919年)、別府市公会堂(1924年)、東京市墨田公会堂(1926年)などが建設されていきました。
 当初は、講演や式典を行う場でしたが、太平洋戦争後になってからは、芸術公演なども行なわれるようになり、全国各地で建設されていきます。
 しかし、時代と共に、展示室・図書室・映写設備なども備えた複合施設が増えていき、名称も市民会館、文化会館、コミュニティ・センターなどへと変化していきました。

☆戦前に出来て現存する主要な公会堂

・函館区公会堂(1910年9月20日)→現存・国指定重要文化財
・京都市岡崎公会堂(1916年6月)→現在は京都市美術館別館
・大阪市中央公会堂[通称:中之島公会堂](1919年10月31日)→現存・国指定重要文化財
・別府市公会堂(1924年)→現在は別府市中央公民館
・岩手県公会堂(1927年)→現存・国の登録有形文化財
・東京市日比谷(ひびや)公会堂(1929年10月19日)→現存
・名古屋市公会堂(1930年10月10日)→現存・名古屋市都市景観重要建築物
・豊橋市公会堂(1931年8月)→現存・国の登録有形文化財
・琴平町公会堂(1932年)→現存・国の登録有形文化財
・御影公会堂(1933年)→現存・国の登録有形文化財
・大津公会堂(1934年5月)→現存
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 今日は、昭和時代中期の1955年(昭和30)に、長崎県大村湾口に当時日本一の長さ(支間長:216m)の西海橋が竣工した日です。
 この橋は、長崎県佐世保市針尾島と西海市西彼町の間にある伊ノ浦瀬戸(針尾瀬戸)に架かるアーチ橋で、戦災復興事業として建設されたもので、その後の長大橋建設の先駆けになりました。
 形式は、上路式鋼ブレースドリブ固定アーチで、橋長316.26m(支間長:216m)、アーチ両端の距離(径間)243.7m、幅員7.5m、海面からの高さ43mです。当時は、アーチ橋としては東洋一、世界第3位の長さで、1962年(昭和37)9月26日の若戸大橋(福岡県北九州市)開通までは日本一の長さでした。
 太平洋戦争前から建設計画がありましたが、戦後の戦災復興事業として、1950年(昭和25)6月に全額国庫負担による国の直轄事業として建設が決定、1951年(昭和26)に着工します。
 総事業費5億5千万円をかけて、1955年(昭和30)10月18日に竣工し、同年12月1日に有料道路として供用を開始しました。
 この橋梁により国道202号も完成し、佐世保~長崎が直結され、沿線の産業開発に役だつとともに、西海国立公園の一中心に当たり、針尾瀬戸、大村湾を望む快適な観光コースとなります。
 1956年(昭和31)に建設省から管理を日本道路公団に移管し、1970年(昭和45)3月1日から無料開放されます。
 2006年(平成18)3月5日には西方を並行して走る有料の新西海橋(西海パールライン)も完成しました。
 尚、2018年(平成30)7月20日、国の文化審議会が西海橋を登録有形文化財(建造物)とするように答申しています。

〇日本における戦後の長大橋建設略年表

・1955年(昭和30) 長崎県の西海橋(径間243.7m)
・1961年(昭和36) 徳島県鳴門市の小鳴門橋(中央径間160m)
・1962年(昭和37) 福岡県北九州市の若戸大橋(中央径間367m)
・1973年(昭和48) 福岡県北九州市・山口県下関市の関門橋(中央径間712m)
・1983年(昭和58) 広島県尾道市の因島大橋(中央径間770m)
・1985年(昭和60) 徳島県鳴門市・兵庫県南あわじ市の大鳴門橋(中央径間876m)
・1988年(昭和63) 香川県坂出市の南備讃瀬戸大橋(中央径間1,100m)
・1988年(昭和63) 香川県坂出市の北備讃瀬戸大橋(中央径間990m)
・1988年(昭和63) 岡山県倉敷市・香川県坂出市の下津井瀬戸大橋(中央径間940m)
・1988年(昭和63) 広島県尾道市・愛媛県今治市の大島大橋(中央径間560m)
・1993年(平成5) 東京都の東京港連絡橋<レインボーブリッジ>(中央径間570m)
・1998年(平成10) 兵庫県の明石海峡大橋(中央径間1,991m)
・1998年(平成10) 北海道室蘭市の白鳥大橋(中央径間720m)
・1999年(平成11) 愛媛県今治市の来島海峡第三大橋(中央径間1,030m)
・1999年(平成11) 愛媛県今治市の来島海峡第二大橋(中央径間1,020m)
・2000年(平成12) 広島県呉市の安芸灘大橋(中央径間750m)
・2008年(平成20) 広島県呉市の豊島大橋(中央径間540m)
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 今日は、昭和時代後期の1980年(昭和55)に、「ラムサール条約」が日本国内で発効した日です。
 「ラムサール条約」は、湿地の保存に関する国際条約で、正式名称は「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」(Convention on Wetlands of International Importance Especially as Waterfowl Habitat)といいました。
 水鳥を食物連鎖の頂点とする湿地の生態系を守る目的で、1971年(昭和46)2月2日に制定され、1975年(昭和50)12月21日に発効します。1980年(昭和55)以降、定期的に締約国会議が開催されてきました。
 日本政府は1980年(昭和55)6月17日に加入書をUNESCO事務局長に寄託し、同年10月17日に日本国内で発効します。
 締約国は、動植物、特に鳥類の生息にとって重要な水域等を指定して登録し、指定地の適正な利用と保全について計画をまとめ、実施することとされてきました。
 2015年6月時点で、締約国168ヶ国、登録湿地数2,208か所、総面積2億1,073万4,269haが登録されていて、日本では、登録湿地數50ヶ所、総面積14万8,002haです。
 尚、環境省は2018年(平成30)10月2日に開かれた会合で、新たに宮城県南三陸町の志津川湾と東京・江戸川区の葛西海浜公園の2ヶ所を登録候補地に指定したことを報告しました。

☆「ラムサール条約」の日本の登録湿地一覧

<北海道>
・釧路湿原(北海道)1980年6月17日登録
・クッチャロ湖(北海道)1989年7月6日登録
・ウトナイ湖(北海道)1991年12月12日登録
・霧多布湿原(北海道)1993年6月10日登録
・厚岸湖・別寒辺牛湿原(北海道)1993年6月10日登録、2005年11月8日区域拡張
・宮島沼(北海道)2002年11月18日登録
・雨竜沼湿原(北海道)2005年11月8日登録
・サロベツ原野(北海道)2005年11月8日登録
・濤沸湖(北海道)2005年11月8日登録
・阿寒湖(北海道)2005年11月8日登録
・野付半島・野付湾(北海道)2005年11月8日登録
・風蓮湖・春国岱(北海道)2005年11月8日登録
・大沼(北海道)2012年7月3日登録

<東北>
・仏沼(青森県)2005年11月8日登録
・伊豆沼・内沼(宮城県)1985年 9月13日登録
・蕪栗沼・周辺水田(宮城県)2005年11月8日登録
・化女沼(宮城県)2008年10月30日登録
・大山上池・下池(山形県)2008年10月30日登録
・尾瀬(福島県・群馬県・新潟県)2005年11月8日登録

<関東>
・涸沼 (茨城県)2015年5月29日登録
・奥日光の湿原(栃木県)2005年11月8日登録
・芳ヶ平湿地群(群馬県)2015年5月29日登録
・渡良瀬遊水地(栃木県・群馬県・埼玉県・茨城県)2012年7月3日登録
・谷津干潟(千葉県)1993年6月10日登録

<中部>
・佐潟(新潟県)1996年3月23日登録
・瓢湖(新潟県)2008年10月30日登録
・片野鴨池(石川県)1993年6月10日登録
・富立山弥陀ヶ原・大日平(山県)2012年7月3日登録
・三方五湖(福井県)2005年11月8日登録
・中池見湿地(福井県)2012年7月3日登録
・藤前干潟(愛知県)2002年11月18日登録
・東海丘陵湧水湿地群(愛知県)2012年7月3日登録

<近畿>
・琵琶湖(滋賀県)1993年6月10日登録、2008年10月30日区域拡張
・円山川下流域・周辺水田(兵庫県)2012年7月3日登録
・串本沿岸海域の串本海中公園周辺(和歌山県)2005年11月8日登録

<中国>
・宮島(広島県)2012年7月3日登録
・中海(鳥取県・島根県)2005年11月8日登録
・宍道湖(島根県)2005年11月8日登録
・秋吉台地下水系(山口県)2005年11月8日登録

<九州>
・荒尾干潟(熊本県)2012年7月3日登録
・熊本県くじゅう坊ガツル・タデ原湿原(熊本県)2005年11月8日登録
・藺牟田池(鹿児島県)2005年11月8日登録
・屋久島永田浜(鹿児島県)2005年11月8日登録
・東よか干潟(佐賀県)2015年5月29日登録
・肥前鹿島干潟(佐賀県)2015年5月29日登録

<沖縄>
・漫湖(沖縄県)1999年5月15日登録
・慶良間諸島海域(沖縄県)2005年11月8日登録
・名蔵アンパル(沖縄県)2005年11月8日登録
・久米島の渓流・湿地(沖縄県)2008年10月30日登録
・与那覇湾(沖縄県)2012年7月3日登録
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