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 今日は、明治時代前期の1871年(明治4)に、詩人・英文学者土井晩翠の生まれた日ですが、新暦では12月5日となります。
 土井晩翠(どい ばんすい)は、仙台県仙台の北鍛治町(現在の宮城県仙台市青葉区)で、富裕な質屋の父・土井林七、母・あいの長男として生まれましたが、本名は林吉と言い、最初姓は「つちい」と呼んでいました。
 仙台の第二高等中学校(後の第二高等学校)を経て、1894年(明治27年)に帝国大学英文科(現在の東京大学文学部)に入学します。在学中は、雑誌『帝国文学』の編集委員となって作品を発表、同派の詩人として名をなし、1897年(明治30)に東京帝国大学文科大学英文学科を卒業しました。
 その後、郁文館中学に就職し、1898年(明治31)にはカーライルの『英雄論(英語版)』を翻訳出版、東京音楽学校編『中学唱歌』のために『荒城の月』を作詞、翌年には第1詩集『天地有情』を刊行します。
 漢語を多用する男性的な新体詩人として、島崎藤村と並称されるようになり、1900年(明治33)には、母校である第二高等学校教授となり帰郷しました。
 そして、第2詩集『暁鐘』(1901年)を出してから、職を辞してヨーロッパを遊学し、1904年(明治37)に帰国、翌年に第二高等学校に復職します。
 第3詩集『東海遊子吟』(1905年)を出し、それからは、評論、翻訳で多数の著作をなしましが、カーライルやバイロンなどのすぐれた訳業が知られました。
 それらによって、1947年(昭和22)に日本芸術院会員となり、1950年(昭和25)には、詩人としては初めて文化勲章を受章します。しかし、1952年(昭和27)10月19日に、仙台市の自宅において、80歳で亡くなりました。

〇土井晩翠の主要な著作

・第1詩集『天地有情』(1899年)
・第2詩集『暁鐘』(1901年)
・第3詩集『東海遊子吟』(1905年)
・第4詩集『曙光』 (1919年)
・第5詩集『天馬の道に』(1920年)
・翻訳『チャイルド・ハロウドの巡礼(英語版)』バイロン作(1924年)
・第6詩集『アジアに叫ぶ』(1932年)
・第7詩集『神風』(1937年)
・翻訳『イーリアス』ホメロス作(1940年)
・翻訳『オヂュッセーア』ホメロス作(1943年)