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 今日は、太平洋戦争下の1943年(昭和18)に、東条英機内閣により「官庁ノ地方疎開ニ関スル件」が閣議決定され、官庁の地方疎開が決められた日です。
 これは、戦局の悪化に伴う都市部の空襲に備え、政府の行政機関を前もって地方移転させ、これら被害を最小限にとどめ、機能を継続させることにありました。同年10月12日には、「官庁ノ第一次地方疎開実施ニ関スル件」が閣議決定され、官庁の地方疎開が具体化されていきます。
 その後、生産疎開(工場疎開)、建物疎開、人員疎開へと展開されていきました。

〇地方疎開とは?

 一般的には、都市部に集中する施設、人員などを地方各地に分散させることですが、太平洋戦争の末期には、大都市の防衛強化のために一連の強制的疎開政策が実施されました。
 これによって、空襲や火災などの被害を少なくするため、官庁、軍需工場、民間企業、住宅家屋、人員などを強制的に比較的安全な地方へ移動させることとなります。
 まず、1943年(昭和18)9月28日に官庁の地方疎開が閣議決定され、同年10月31日の「防空法」再改正で、民防空の定義に「分散疎開」を追加、生産疎開(工場疎開)、建物疎開、人の疎開等の条文が加えられました。そして、同年12月21日に「都市疎開実施要綱」が閣議決定され、具体化されていきます。
 翌年1月26日に、内務省が「改正防空法」により、東京、名古屋の指定区域内の建築物に対して疎開命令(指定区域内の建築物の強制取壊し)を出し、3月3日には、「決戦非常措置要綱」に基づき、疎開促進の要綱が閣議決定され、軍事施設、工場、鉄道、重要道路の周辺や密集地域の建物が取り壊され、防火帯が造られていきました。
 さらに、同年6月30日に、「学童疎開促進要綱」が閣議決定され、集団的な学童疎開が促進され、7月20日には、文部省が集団的な学童疎開の範囲を東京のほか12都市に拡大します。11月7日には、「老幼者、妊婦等の疎開実施要綱」も閣議決定され、人員疎開が促進されて、1945年(昭和20)までに、約1,000万人の住民が地方疎開しました。

〇「官庁ノ地方疎開ニ関スル件」1943年(昭和18)9月28日 閣議決定

官庁ノ地方疎開ニ関スル件
昭和18年9月28日 閣議決定

一、疎開スベキ官庁ハ閣議ニ於テ決定スルコト
一、疎開ニ当リ特ニ注意スベキ事項左ノ如シ
(一)疎開スル官庁ハ特ニ人員ヲ減少スルコト
(二)疎開スル官庁ニ於テハ特ニ保管物件ヲ整理減少スルコト
(三)出来得ル限リ移転先ノ人ヲ採用スルコト
(四)移転先ニ於テハ官庁ハ必ズ現存建物ヲ利用スルコト
(五)疎開実施ノ為建物ノ新築ハ極力之ヲ避クルコト
一、疎開実施ノ為内閣総理大臣ノ管理ノ下ニ左記ノ者ヲ以テ実行本部ヲ組織シ順序ヲ立テテ各庁ノ準備ヲ整ヘシメ出来得ル限リ速ニ且強力ニ実施スルコト


内閣書記官長
企画院次長
企画院第一部長
内務省地方局長
大蔵省主計局長
鉄道省業務局長
内閣官房総務課長

 「内閣制度百年史 下」 内閣制度百年史編纂委員会編より


〇「官庁ノ第一次地方疎開実施ニ関スル件」1943年(昭和18)10月12日 閣議決定

官庁ノ第一次地方疎開実施ニ関スル件
昭和18年10月12日 閣議決定

一 別表ノ官庁、官設工場及学校ハ之ヲ第一次的ニ疎開スベキモノトス
二 疎開先ハ成ルベク学校工場規制地域外トスルモ特ニ止ムヲ得ザルモノニ付テハ実行本部ト協議ノ上適当ニ之ヲ定ムルモノトス
三 関係各庁ハ本件疎開ニ関シ必要ナル事項(実施計画案アルモノハ其ノ計画案)ヲ十月二十日迄ニ実行本部ニ提出スルモノトス

 「重要国策要綱集追録第1号」 柏原兵太郎関係文書より


☆太平洋戦争下の地方疎開に関する略年表

<1943年(昭和18)>
・9月28日 「官庁ノ地方疎開ニ関スル件」が閣議決定され、官庁の地方疎開が決められる
・10月12日 「官庁ノ第一次地方疎開実施ニ関スル件」が閣議決定され、官庁の地方疎開が具体化される
・10月31日 「防空法」再改正で、民防空の定義に「分散疎開」を追加、生産疎開、建物疎開、人の疎開等の条文が加えられる
・11月13日 東京都、帝都重要地帯疎開計画が発表される(防火地帯造成、重要工場付近の建物疎開、主要駅前広場造成など)
・12月21日 「都市疎開実施要綱」が閣議決定される

<1944年(昭和19)>
・1月26日 内務省が「改正防空法」により、東京、名古屋に初の疎開を命令する(指定区域内の建築物の強制取壊し)
・2月8日 横浜、川崎に防空地帯が指定される
・2月25日 「決戦非常措置要綱」(3月1日実施)が閣議決定される(地方への疎開の推進などの空襲対策など)
・3月3日 「決戦非常措置要綱」に基づき国民学校学童給食、空地利用、疎開促進の3要綱を閣議決定する
・4月10日 防空総本部が「京浜地域人員疎開の措置要綱」を決定する
・4月17日 東京都が第3次建物疎開の細目を決定する
・5月7日 東京千駄木国民学校生徒による初の都立那須戦時疎開学園が開園される
・6月30日 東条英機内閣が「学童疎開促進要綱」を閣議決定し、集団的な学童疎開が促進される
・7月10日 神戸、尼崎両市の建物疎開が指定される(以後疎開指定都市続出)
・7月20日 文部省が集団的な学童疎開の範囲を東京のほか12都市に拡大する
・8月22日 沖縄から本土への学童疎開のための「対馬丸」が米軍潜水艦により撃沈される(対馬丸事件)
・8月24日 大阪、堺で建物疎開を実施する
・8月29日 重要工場に疎開命令が出される
・11月7日 老幼者、妊婦等の疎開実施要綱を閣議決定する

<1945年(昭和20)>
・3月9日 「学童疎開強化要綱」を閣議決定する