イメージ 1

 今日は、江戸時代中期の1744年(延享元)に、思想家・石門心学の祖石田梅岩の亡くなった日ですが、新暦では10月29日となります。
 石田梅岩(いしだ ばいがん)は、1685年(貞享2年9月15日)に丹波国桑田郡東懸村(現在の京都府亀岡市)の農家の父・石田権右衛門と母・たねの二男として生まれましたが、名は興長、通称は勘平と言いました。
 1695年(元禄8)、11歳で呉服屋に丁稚奉公に出て、その後15歳で一旦帰郷、1707年(宝永4)に,23歳で再び上京し、商家黒柳氏に20年余奉公しながら独学で神道、儒教、仏教などを学びます。
 「人の人たる道」を追求する中で、43歳で奉公を辞し、市井の隠者とされる小栗了雲に師事しました。1729年(享保14)に悟りを開き、自宅に聴講無料の講席を開き、後に「石門心学」と呼ばれる教えの普及に努めます。
 朱子学に依拠しながらも、神儒仏老荘の諸思想をも自由に取り入れるという柔軟な思考方法により、人間価値の平等や商人の利潤の正当性をみとめていたため、町人を中心として庶民の間に門弟が漸増し、大坂・河内・和泉などにも出講するようになります。
 最盛期には、門人400名にのぼり、手島堵庵、斎藤全門、富岡以直、蒹葭慈音尼らの人材を得て、心学興隆の基礎を築きます。
 生涯独身で、畿内でもっぱら教えを伝えていましたが、1744年(延享元年9月24日)に、京都の自宅において、数え年60歳で亡くなりました。

〇石田梅岩の主要な著作

・『都鄙問答(とひもんどう)』4巻(1739年)
・『倹約斉家論(けんやくせいかろん)』2巻(1744年)
・『莫妄想(まくもうそう)』
・『石田先生語録』24巻(1806年)門弟の編纂