これは、明治3年太政官布告第608号といい、「自今平民苗氏被差許候事」という一行だけの法令でした。江戸時代までは、公に苗字の使用を許されたのは、公家や武士などの支配階層に限定され、一種の特権となっていたのです。しかし、明治維新によって「四民平等」が掲げられ、この法令によって、華族や士族以外の平民にも「苗字」の使用が許されました。
ところが、当時の平民は明治新政府をあまり信用せず、「苗字を附けたら税金を多く取られるようになるのではないか」などと警戒し、苗字の届出は、スムーズには進まなかったのです。
そこで、1875年(明治8)2月13日に、改めて苗字の使用を義務づける「苗字必称義務令」(明治8年太政官布告第22号)が発布されました。
慣例として苗字を使用していた者はまだしも、祖先以来の苗字が分からない者は、苗字を決めるために困って、役所や寺などに相談したために混乱したところも出ます。また、この時にあわてて作ったので、多くの種類の苗字が生まれることとなりました。
尚、1870年(明治3年9月19日)に「平民苗字許可令」が出されたことから、9月19日は「苗字の日」とされ、1875年(明治8)2月13日に「平民苗字必称義務令」が出されたことから、2月13日が「苗字制定記念日」と言われるようになります。
〇「平民苗字許可令」(明治3年太政官布告第608号)明治3年9月19日発布
自今平民苗氏被差許候事
<現代語訳>
これからは、平民も苗字を差し許されることとする。
〇「苗字必称義務令」(明治8年太政官布告第22号)1875年(明治8)2月13日発布
平民苗字被差許候旨明治三年九月布告候處自今必苗字相唱可尤祖先以來苗字不分明ノ向ハ新タニ苗字ヲ設ケ候樣可致此旨布告候事
<現代語訳>
平民に苗字を差し許すように明治3年(1870年)9月に布告したが、これからは必ず苗字を唱えるようにせよ、もっとも祖先以来の苗字が不明の者は、新たに苗字を設うけるようにせよ、この旨を布告する。