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 今日は、昭和時代前期の1927年(昭和2)に、小説家徳富蘆花の亡くなった日で、「蘆花忌」とも呼ばれています。
 徳冨蘆花(とくとみ ろか)は、1868年(明治元年10月25日)に、肥後国葦北郡水俣村(現在の水俣市)で代々惣庄屋、代官などを勤めた旧家の漢学者である父・徳富一敬、母・久子の次男としてうまれましたが、本名は健次郎といいました。
 熊本洋学校を経て、同志社英学校に学びましたが、いったん熊本に戻った1885年(明治18)にキリスト教を受洗し、再び同志社に復学します。しかし、新島襄の義姪との恋を反対されて出奔し、熊本へと戻りました。
 1889年(明治22)に上京して、兄の徳富蘇峰が経営する民友社の記者となり、『国民之友』、『国民新聞』、『家庭雑誌』に翻訳をしたり、種々の文章を書きます。
 1898年(明治31)に長編小説『不如帰(ほととぎす)』により、文壇に独自の地位を確立、同年『自然と人生』を刊行、翌年の『思出(おもいで)の記』と共にロングセラーとなりました。
 日清戦争を契機に、兄の蘇峰が平民主義から国家主義へと思想的立場を転じる中で、1903年(明治36)には民友社を去り、さらに長編小説『黒潮』第1編(1903年)で政界を批判して兄と決別します。
 1905年(明治38)8月、富士山頂で人事不省に陥り、これを神による警鐘と受け止めて回心し、翌年にエルサレム巡礼、トルストイ訪問の海外旅行に出ました。
 帰国後、東京郊外の北多摩郡千歳村(現在の東京都世田谷区)に隠遁して半農生活を始め、その中で、社会性に富む伝記小説『寄生木(やどりぎ)』(1909年)、随筆集『みゝずのたはこと』(1913年)、宗教文学の傑作とされる『新春』(1918年)を書きます。
 妻との共著のかたちで自伝的長編小説『冨士』(1925~28年)を書き始めましたが、1927年(昭和2)9月18日に、群馬県の伊香保温泉で58歳で亡くなり、同書は4巻で中絶しました。

〇徳富蘆花の主要な作品

・長編小説『不如帰』(1898~99年)
・散文集『自然と人生』(1900年)
・半自伝長編『思出の記』(1900~01年)
・長編小説『黒潮』第1編(1903年)未完
・紀行『順礼紀行』(1906年)
・伝記小説『寄生木(やどりぎ)』(1909年)
・随筆集『みゝずのたはこと』(1913年)
・小説『黒い眼と茶色の目』(1914年)
・紀行『死の蔭(かげ)に』(1917年)
・随筆集『新春』(1918年)
・紀行『日本から日本へ』(1921年)
・自伝的長編小説『冨士』(1925~28年)未完