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 今日は、江戸時代後期の1789年(寛政元)に、江戸幕府が旗本・御家人救済の為の最初の「棄捐令」を発布した日ですが、新暦では11月3日となります。
 棄捐令(きえんれい)は、江戸幕府が旗本・御家人救済のために出した法令で、札差(ふださし)に対する借金の帳消しや低利による年賦償還などを命じたものでした。
 江戸時代中期には幕府の財政も厳しくなり、物価騰貴に悩む旗本、御家人の窮乏は逼迫した状態となります。
 それに対処するため、最初は、1789年(寛政元)に寛政の改革で松平定信が、次に、1843年(天保14)に天保の改革で阿部正弘が改革の一環として実施しました。
 最初のものは、1784年(天明4)以前の借金はすべて帳消し(棄捐)とし、以後の借金分は50両につき月1分(年利6%)の低利、高100俵について元金3両ずつの年賦返済をすることとし、以後の新規借入れは年利1割8分(18%)から年利1割2分(12%)へと引き下げさせます。
 このため、札差らの打撃は大きく、中にはつぶれる者も出るほど経営が悪くなりましたが、文化・文政時代には繁栄を取り戻しました。
 この処置は、一時的には旗本・御家人の救済にはなったものの、その後貸出しが手控えられたり、停止させられたりしたので、金融界は混乱し、不安が広がるなど多くの弊害が生じます。
 そこで、次に出された1843年(天保14)のものでは、未決済の利子は全て免除、100両以上は1ヵ年5両、以下は元金の5分ずつ年賦払い(20年賦)とするものとなります。
 尚、松江藩、加賀藩、佐賀藩など少なくない藩でも、同様の法令が出されました。

〇棄捐令(抄文)全9条 1789年(寛政元年9月16日)発布

 寛政元酉年九月 大目付[1]え

 此度御蔵米取[2]御旗本[3]御家人[4]勝手向[5]御救のため、蔵宿[6]借金仕法[7]御改正仰せ出され候事。

一、御旗本[3]御家人[4]蔵宿[6]共より借入金利足の儀は、向後[8]金壱両ニ付銀六分宛[9]の積り、利下ゲ[10]申し渡し候間、借り方の儀は是迄の通り蔵宿[6]と相対[11]に致すべき事。

(中略)

一、旧来の借金は勿論、六ケ年以前辰年[12]までニ借請候金子は、古借新借の差別無く、棄捐[13]の積り相心得べき事。

一、去る巳年[14]以来、当夏御借米以前迄の借用金済まし方の儀ハ、元金の多少に拘らず、向後[8]壱ケ月五拾両壱分の利足[15]を加へ、高百俵ニ付壱ケ年元金三両ツゝの済まし方勘定相立て、尤も[16]百俵内外共并借金高済まし方割合の儀も右ニ准べき事。

(中略)

一、当五月[17]御借米以後の貸付金ハ、壱ケ月金壱両ニ付銀六分[18]ツゝの利息を以、当冬御切米[19]ニて勘定を相立、若借入金高多分之有り、返済ニては取続方[20]成り難きものは、借り返金[21]等の儀は分限ニ応じ[22]、差支之無き様、是迄の通、相対[11]に致すべき旨、蔵宿[6]ともえ申渡置候事。

(中略)

 右ケ条の趣、向後[8]堅く相守り、御旗本[3]御家人[4]とも成るべく丈、借金高相増さざる様心掛け申すべく候。前条の通り、借金棄捐[13]利下ゲ[10]等仰せ出され候上ハ、一統[23]猶更厚く相慎み、倹約等別して心掛け申すべく候。右体の御仁慈[24]をも相弁へず、不正の事聊にても之れ有るに於ては、急度[25]御咎[26]仰せ付けらるべく候。勿論是迄の借金棄捐[13]並済方等ニ儀ニ付、異論ケ間敷儀これ無く候様、明白ニ対談致すべきもの也。

   寛政元年九月
 右の趣、万石以下の面々[27]江相触れらる可く候

            『御触書天保集成』より
 
 *縦書きの原文を横書きに改め、句読点を付してあります。

【注釈】

[1]大目付:おおめつけ=老中に属し、大名を観察する役目で、旗本から任命された。
[2]御蔵米取:おくらまいどり=知行取に対し、幕府の浅草御蔵から俸禄米が支給されている旗本・御家人のこと。
[3]旗本:はたもと=1万石未満の将軍直属の家臣で、御目見得以上の武士。
[4]御家人:ごけにん=1万石未満の将軍直属の家臣で、御目見得以下の武士。
[5]勝手向:かってむき=家計。暮らし向き。
[6]蔵宿:くらやど=札差のこと。蔵米を受け取り、売りさばきを代行する商人で、貸金業も営んだ。
[7]仕法:しほう=仕方。以下の9ヶ条のこと。
[8]向後:きょうこう=今後は。
[9]銀六分宛:ぎんろくぶんあて=月に金1両につき銀0.6匁の利息のことで、年利1割2分(12%)に当たる。
[10]利下ゲ:りさげ=利息の引き下げ。
[11]相対:あいたい=当事者同士の話し合い。
[12]六ヶ年以前辰年:ろっかねんいぜんたつどし=6年さかのぼる1784年(天明4)甲辰のこと。
[13]棄捐:きえん=債権を放棄すること。借金を棒引きにすること。
[14]去る巳年:さるみどし=1785年(天明5) 乙巳のこと。
[15]壱ケ月五拾両壱分の利足:いっかげつごじゅうりょういちぶのりそく=50両につき月1分(年利6%)の利息。
[16]尤も:もっとも=まったく。当然。
[17]当五月:とうごがつ=1789年(寛政元)5月を指す。
[18]金壱両ニ付銀六分:きんいちりょうにつきぎんろくぶ=金1両に対し銀6分の利息のことで年利1割2分(12%)。
[19]冬御切米:ふゆおきりまい=冬に支給される蔵米のこと。
[20]取続方:とりつづきかた=生活の維持。暮らし向き。
[21]借り返金:かりへんきん=返済金。
[22]分限ニ応じ:ぶんげんにおうじ=可能な限りの範囲で。能力に応じて。分相応。
[23]一統:いっとう=一同。
[24]仁慈:じんじ=思いやりがあって情け深いこと。
[25]急度:きっと=必ず。確かに。
[26]御咎:おとがめ=犯した罪や過失を責めること。また、それに対する罰。そしり。非難。叱責。
[27]万石以下の面々:まんごくいかのめんめん=1万石未満の旗本、御家人のこと。

<現代語訳>

 1789年(寛政元)9月 大目付へ

 今度、蔵米取りの旗本・御家人の家計を救済のため、札差から借金する方法について改正を命じられた。

一、旗本・御家人が札差どもから借金した利子は、今後、金1両について銀6分ずつの計算(年利12%)とし、利率を下げるよう申し渡したから、借りる者は、今まで通り、札差しと当事者との話し合いで決めること。 

(中略)

一、旧来からの借金はもちろん、6年以前の1784年(天明4)甲辰までに借りた金は、古い借金、新しい借金とか区別せず、貸借無効とするので心得ること。 

一、1785年(天明5)以後で今年の夏までの借金の清算については、元金の多少にかかわらず、今後50両につき月1分(年利6%)の利息を加えることとし、高100俵について元金3両ずつの年賦返済をすることとするが、高100俵前後の返済についてもこの割合に准ずるものとすること。 

(中略)

一、この年5月の禄米支給以後の借金は、1ヶ月金1両について銀6分ずつの利息(年利12%)で、この冬の禄米で支払い、もし借金が沢山あって、返済すると生活が困る者は、借金返済については分相応とし、生活に困らないように、今まで通り、当事者で決めることを札差どもへ命令しておいた。

(中略)

 右9ヶ条の趣旨を、今後堅く遵守し、旗本・御家人ともなるだけ、借金の額を増やさない様に心掛けるべきである。前条の通り、借金の貸借無効や利下げ等の措置をとった上は、一同なおさら厚く相慎み、倹約等に対して格別に心掛けるべきである。右のような、思いやりある情け深い措置にも応えず、不正の事がいささかでもあるならば、必ずお咎めを申し付けられるべきことである。もちろんこれまでの貸借無効ならびに返済方法の変更などの措置につき、異論のようなものが無いように、はっきりと話し合いをするべきものである。

   1789年(寛政元)9月
 右の趣旨を旗本・御家人へ説明せよ。