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 今日は、江戸時代中期の1733年(享保18)に、蘭学医杉田玄白の生まれた日ですが、新暦では10月20日となります。
 杉田玄白は、若狭小浜藩医の父・杉田玄甫と母・八尾氏の娘の子として江戸牛込の小浜藩酒井家の藩邸で生まれましたが、名は翼(たすく)といいました。母は出産時に亡くなり、1740年(元文5)には一家で小浜へ移り、1745年(延享2)まで過ごしました。
 父玄甫が江戸詰めを命じられて再び上京し、18歳から儒者宮瀬竜門に漢学を幕府医官西玄哲に蘭方外科を学びます。
 1752年(宝暦2)には小浜藩医となり、上屋敷に勤めましたが、1757年(宝暦7)には江戸日本橋で開業して町医者ともなり、1765年(明和2)には藩の奥医師となりました。1769年(明和6)には父の玄甫が亡くなりくなり、家督と侍医の職を継ぎ、中屋敷詰となります。
 1771年(明和8)に、小塚原処刑場にて死体解剖を参観、蘭医書『ターヘル・アナトミア』の精緻さを知り、翌日から前野良沢、中川淳庵らとともに翻訳に着手し、1774年(安永3)に『解体新書』5巻(図1巻・図説4巻)を完成しました。
 1776年(安永5)には藩の中屋敷を出て、開業するとともに、医学塾「天真楼」を開き、大槻玄沢、杉田伯元、宇田川玄真ら多数の門人を育成し、蘭学の発達に貢献します。
 著書も多数あり、晩年には、『蘭学事始』(1815年成稿)などを書きましたが、1817年(文化14年4月17日)に、江戸において、数え年85歳で亡くなりました。

〇杉田玄白の主要な著作

・訳書『解体新書』本文4巻・解体図1巻(1774年完成)
・『瘍科大成』
・『狂医之言』
・『養生七不可』
・『和蘭医事問答』
・『後見草(あとみぐさ)』(1787年成立)
・『い斎日録』
・『乱心二十四条』
・『玉味噌(たまみそ)』
・『形影夜話』(1802年)
・『野叟独語(やそうどくご)』(1807年成立)
・『大西瘍医書』
・『犬解嘲(けんかいちょう)』
・『耄耋(ぼうてつ)独語』
・『蘭学事始』(1815年成稿)