イメージ 1

 今日は、昭和時代中期の1957年(昭和32)に、生活保護処分に関する朝日訴訟が提訴された日です。
 この訴訟は、重度の結核で国立岡山療養所に長期入院していた朝日茂が、「生活保護法」に基づく保護基準が、「日本国憲法」第25条で規定している「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(生存権)を侵害するとして、厚生大臣を訴えた行政訴訟でした。
 そして、1960年(昭和35)一審判決では原告朝日茂の全面勝訴となり、大きな社会的関心を呼びます。これに対し国側が控訴し、1963年(昭和38)の二審判決は、日用品費月600円はすこぶる低いが違法でないとして厚生大臣の勝訴となりました。
 被控訴人は、不服として上告しましたが、もなく本人が死亡します。養子の健二・君子夫妻が訴訟を承継して争いましたが、1967年(昭和42)の最高裁判所判決は、「本件訴訟は上告人の死亡によって終了した」として訴訟終了を宣しただけでなく、多数意見傍論は、最低生活をどう定めるかについては厚生大臣に広範な裁量権があるとしました。
 これら一連の訴訟は10年にわたり、「人間裁判」と称され、その後の日本の社会保障制度のあり方にも多大な影響を与えます。