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 今日は、明治時代後期の1907年(明治40)に、民俗学者・農村指導者・社会教育家宮本常一(みやもと つねいち)の生まれた日です。
 宮本常一は、山口県大島郡白木村(現在の東和町)の農家に生まれました。1924年(大正13)に大阪逓信講習所を卒業し、高麗橋郵便局に勤務します。
 その後、大阪府立天王寺師範学校へ進み、在学中に柳田國男の研究に関心を示し、1929年(昭和4)に同校専攻科を卒業後、泉南郡田尻尋常小学校(現在の田尻町立小学校)に赴任しました。
 教員を務めるかたわら民俗学の研究を始め、1933年(昭和8)「口承文学」を創刊、近畿民俗学会に参加し、1936年(昭和11)に有志と「近畿民俗」を創刊します。
 渋沢敬三に認められ、1939年(昭和14)教員を退職して上京、「アチック・ミューゼアム」(のちの日本常民文化研究所)の研究員となりました。以後、全国の離島や辺地を踏査、各地の生活・文化・経済を研究し、独自の民俗学を構築しました。
 太平洋戦争後は一時郷里に帰農し、農地解放、開拓地の農業指導、農業協同組合の育成にあたりましたが、1952年(昭和27)に再び上京し、日本常民文化研究所の研究を再開します。
 一方で、1953年(昭和28)に全国離島振興協議会を設立し、幹事長となって、離島振興法の制定に尽力し、1953年(昭和28)の「離島振興法」成立となりました。
 1961年(昭和36)に著書「日本の離島」で第9回日本エッセイストクラブ賞、中国文化賞を受賞、同年に論文『瀬戸内海の研究』で文学博士号を取得し、1965年(昭和40)より武蔵野美術大学教授となります。
 1966年(昭和41)に日本観光文化研究所(現在の旅の文化研究所)を開設し、初代所長に就任しました。
 多くの執筆をし、晩年まで多方面で活躍しましたが、1981年(昭和56)1月30日に、東京都府中市において、73歳で亡くなります。

〇宮本常一の主要な著作

・『周防大島を中心としたる海の生活誌』(アチック・ミューゼアム・1936年)
・『家郷の訓』(三国書房・1943年)
・『海をひらいた人びと:小学生全集』(筑摩書房・1955年)
・『民俗学への道』(岩崎書店・1955年)
・『日本の離島:第1集』(未來社・1960年)
・『忘れられた日本人』(未來社・1960年)
・『庶民の発見』(未來社・1961年)
・『甘藷の歴史』(未來社・1962年)
・『日本民衆史』全6巻(1963~68年)
・『瀬戸内海の研究:第1』(未來社・1965年)
・『日本の離島:第2集』(未來社・1966年)
・『辺境を歩いた人々』(さ・え・ら書房・1966年)
・『民俗学の旅』(文藝春秋・1978年)
・『旅人たちの歴史』全3巻(未來社・1980~83年)
・『塩の道』(講談社学術文庫・1985年)
・『旅の民俗と歴史』全10巻(八坂書房・1987年)
・『宮本常一著作集』本巻 50・別集 2(未来社・1967~2008年)
・『私の日本地図:宮本常一著作集別集』全15巻予定、香月洋一郎編(未來社・2008年~)