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 今日は、昭和時代中期の1965年(昭和40)に、小説家谷崎潤一郎(たにざき じゅんいちろう)が亡くなった日です。
 谷崎潤一郎は、明治時代前期の1886年(明治19)7月24日に、東京日本橋蠣殻町(現在の東京都中央区)で、父・谷崎倉五郎、母・関の次男として生まれました。
 1901年(明治34)に府立一中(現在の都立日比谷高校)に入学、在学中から散文や漢詩をよくし、文才をあらわします。1905年(明治38)に旧制一高法科に入学、文芸部委員となり、『校友会雑誌』に小説などを発表しました。
 1908年(明治41)に東京帝国大学文科大学国文科に進み、1910年(明治43)に、和辻哲郎らと第2次『新思潮』を起し、戯曲『誕生』、小説『刺青』、『麒麟』などを発表して、永井荷風に認められ、文壇に登場します。
 同年大学を授業料未納で中退し、以後『少年』、『秘密』(共に1911年)などの諸作を書きつぎ、自然主義文学全盛時代にあって、耽美(たんび)派作家として文壇に迎え入れられます。
 1923年(大正12) 9月1日の関東大震災後関西へ移住し、それを契機に、日本の伝統文化に回帰、『卍(まんじ)』、『蓼(たで)喰ふ虫』、『吉野葛』、『盲目物語』、『蘆刈』、『春琴抄』などの小説や随筆『陰翳礼讃(いんえいらいさん)』を発表すると共に、『源氏物語』の現代語訳(1939~41年)を完成しました。
 1943年(昭和18)に、『中央公論』に連載を開始した小説『細雪 (ささめゆき) 』は、最初の2回で軍部の圧力によって中断し、困難な中でも執筆を継続し、太平洋戦争後の1948年(昭和23)に完結します。
 これらの業績によって、毎日出版文化賞(1947年)、朝日文化賞(1948年度)、第8回文化勲章(1949年)などの栄誉に輝きました。さらに、『少将滋幹の母』(1949~50年)、『鍵』(1956年)、『瘋癲老人日記』(1961~62年)など着実に作品を発表し、海外での評価も高まります。
 晩年まで衰えぬ作風を示しましたが、1965年(昭和40)7月30日に、神奈川県湯河原町において、79歳で亡くなりました。

〇谷崎潤一郎の主要な作品

・戯曲『誕生』(1910年)
・戯曲『象』(1910年)
・小説『刺青』(1910年)
・小説『麒麟』(1910年)
・小説『少年』(1911年)
・小説『幇間』(1911年)
・小説『悪魔』(1912年)
・小説『お艶殺し』(1915年)
・小説『異端者の悲しみ』(1917年)
・小説『痴人の愛』(1924~25年)
・小説『蓼(たで)喰ふ虫』(1928~29年)
・小説『卍 (まんじ) 』(1928~30年)
・小説『乱菊物語』(1930年)
・小説『吉野葛』(1931年)
・小説『盲目物語』(1931年)
・随筆『倚松庵随筆』(1932年)
・小説『蘆刈』(1932年)
・小説『春琴抄』(1933年)
・随筆『陰翳礼讃(いんえいらいさん)』(1933~34年)
・現代語訳『源氏物語』26巻(1935~38年)
・小説『細雪 (ささめゆき) 』(1943~48年)
・小説『少将滋幹 (しげもと) の母』(1949~50年)
・小説『鍵』(1956年)
・小説『瘋癲 (ふうてん) 老人日記』(1961~62年)