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 今日は、昭和時代中期の1965年(昭和40)に推理小説作家江戸川乱歩の亡くなった日ですが、「乱歩忌」とも呼ばれています。
 江戸川乱歩は、明治時代後期の1894年(明治27)10月21日に、三重県名賀郡名張町(現在の名張市)の名賀郡役所書記の父・平井繁男、母・きくの長男として生まれましたが、本名は平井太郎と言いました。
 旧制愛知県立第五中学校(現在の県立瑞陵高等学校)に在学中、押川春浪や黒岩涙香の小説を耽読、卒業後、早稲田大学政治経済学部に入学します。
 在学中から英米の探偵小説に関心を抱き、1916年(大正5)に早稲田大学政経学部卒業し、大阪の貿易会社に就職しました。その後、古本屋開業を経て、東京市役所吏員、屋台の支那そば屋、新聞記者など多くの職業を転々とします。
 1923年(大正12)、雑誌『新青年』に掲載された『二銭銅貨』で作家デビューし、筆名はエドガー・アラン・ポーをもじり、『D坂の殺人事件』、『心理試験』、『屋根裏の散歩者』、『人間椅子』(1925年)、『陰獣』(1928年)などの本格的推理小説を書きました。
 一方で、『押絵と旅する男』(1929年)、『孤島の鬼』(1929‐30年)のような幻想的な怪奇趣味の名編を発表します。また、1936年(昭和11)からは、『怪人二十面相』、『少年探偵団』などの少年向けのものも執筆して、好評を博しました。
 これらによって、日本の近代的な推理小説の礎を築きましたが、太平洋戦争中は事実上の執筆禁止の状態に追い込まれます。
 戦後は、1947年(昭和22)探偵作家クラブの初代会長となり、1954年(昭和29)には新人発掘を意図し、乱歩の寄付を基金として「江戸川乱歩賞」を創設、1963年(昭和38)には日本推理作家協会の初代理事長に就任するなど、推理小説発展のために尽力しました。
 一方で、主に評論家、プロデューサーとして活動し、評論集『幻影城』(1951年)、『続・幻影城』(1954年)を出版、1957年(昭和27)からは探偵小説誌『宝石』の編集・経営に携わり、自伝的エッセイ集『探偵小説四十年』(1961年)も残しています。
 生涯で約130の作品を発表し、多彩な活動を続けたものの、1965年(昭和40)7月28日に、東京において、70歳で亡くなりました。

〇江戸川乱歩の主要な作品

・『二銭銅貨』(1923年)
・『D坂の殺人事件』(1925年)
・『心理試験』(1925年)
・『屋根裏の散歩者』(1925年)
・『赤い部屋』(1925年)
・『石榴(ざくろ)』(1925年)
・『人間椅子』(1925年)
・『湖畔亭事件』(1926年)
・『鏡地獄』(1926‐27年)
・『パノラマ島奇譚』(1926‐27年)
・『陰獣』(1928年)
・『押絵と旅する男』(1929年)
・『蜘蛛男(くもおとこ)』(1929年)
・『孤島の鬼』(1929‐30年)
・『黄金仮面』(1930年)
・『黒蜥蜴』(1934年)
・評論集『幻影城』(1951年)
・評論集『続・幻影城』(1954年)
・『化人幻戯』(1954年)
・自伝的エッセイ集『探偵小説四十年』(1961年)