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 今日は、江戸時代前期の1629年(寛永6)に、江戸幕府の高僧への紫衣の勅許の停止(紫衣事件)に抗議した沢庵らを東北へ流罪にした日ですが、新暦では9月12日となります。
 紫衣事件(しえじけん)は、江戸幕府の朝廷統制圧迫の政策を示す事件で、朝廷が大徳寺や妙心寺の僧侶に出した紫衣勅許を江戸幕府が無効としたものでした。
 江戸幕府は、1613年(慶長18)に、「紫衣着用の際はあらかじめ知らせること」という『勅許紫衣竝に山城大徳寺、妙心寺等諸寺入院の法度』を出します。さらに、2年後の1615年(慶長20)には『禁中並公家諸法度』を定めて、その16条で「一 紫衣の寺住持職、先規希有の事也。近年猥りに勅許の事、且つは臈次を乱し、且つは官寺を汚し、甚だ然るべからず。向後に於ては、其の器用を撰び、戒臈相積み智者の聞へ有らば、入院の儀申し沙汰有るべき事。」としていました。
 しかし、この頃は勅許による収入が朝廷の重要な財源となっていたこともあり、1626年(寛永3)に後水尾天皇はこれまでの慣例どおり、幕府に相談なく、大徳寺・妙心寺等の僧十数人に紫衣着用を許可します。
 江戸幕府は翌年に、事前に勅許の相談のなかったことは法度違反とし、多くの勅許状の無効を宣言し、紫衣を取り上げるよう命じました。
 大徳寺住職の沢庵宗彭、玉室宗珀、江月宗玩や妙心寺の単伝士印、東源慧等らの高僧も、朝廷に同調して幕府に抗弁書を提出して服従せず、江戸幕府は、1629年(寛永6年7月25日)に沢庵を出羽国上山に、玉室を陸奥国棚倉に、単伝を出羽国由利に配流の刑に処します。その上、1615年(元和元)以来幕府の許可なく着した紫衣を剝奪しました。また、同年11月8日の後水尾天皇の退位に繋がったと言われています。
 その後、1632年(寛永9)に、徳川秀忠(第2代将軍)の死去に際して、大赦令が出され、紫衣事件に連座した者たちは許されました。1641年(寛永18)には、事件の発端となった大徳寺と妙心寺の寺法旧復が第3代将軍徳川家光より正式に申し渡され、幕府から剥奪された大徳寺派・妙心寺派寺院の住持らの紫衣も復されています。

〇紫衣事件関係略年表(日付は旧暦です)

・1613年(慶長18)6月16日 江戸幕府が『勅許紫衣竝に山城大徳寺、妙心寺等諸寺入院の法度』を出す
・1615年(慶長20)7月17日 江戸幕府は『禁中並公家諸法度』16条によって、紫衣の勅許を規制する
・1626年(寛永3) 後水尾天皇は幕府に相談なく、大徳寺・妙心寺等の僧十数人に紫衣着用を許可する
・1627年(寛永4) 江戸幕府は事前に勅許の相談のなかったことは法度違反とし、多くの勅許状の無効を宣言する
・1629年(寛永6)7月25日 沢庵を出羽国上山に、玉室を陸奥国棚倉に、単伝を出羽国由利に配流の刑に処する
・1629年(寛永6)11月8日 後水尾天皇が退位する
・1632年(寛永9) 徳川秀忠(第2代将軍)の死去による大赦令が出され、紫衣事件に連座した者たちが許される
・1641年(寛永18) 大徳寺と妙心寺の寺法旧復が第3代将軍徳川家光より正式に申し渡され、紫衣も復される