円山応挙は、1733年(享保18年5月1日)に、丹波国桑田郡穴太村(現在の京都府亀岡市)の農家で、父・円山藤左衛門の次男として生まれましたが、幼名を岩次郎といいました。
10代後半に、京都に出て初め狩野派の石田幽汀に入門し、20代には眼鏡絵を描いて透視的遠近法や陰影法を修得します。
30代初めには写実主義の新進画家として登場し、1766年(明和3)に名を応挙(まさたか)に改め、『岩頭飛雁図』(1767年)、『七難七福図巻』(1768年)などを描きました。
40代には、なめらかな描線による装飾的要素と写生的要素を巧みに融合、合理的な対象把握を骨格とした優雅な品格をもつ装飾画風を確立し、『雨竹風竹図屏風』 (1776年)、『藤花図屏風』(1776年)などを制作します。
50代には、『雪松図屏風』(国宝)や大乗寺・金剛寺・金刀比羅宮等の障壁画などの大作を残しました。
門下に多数の画家が集まり円山派が形成されましたが、『保津川図屏風』を絶筆とし、1795年(寛政7年7月17日)に、京都において、62歳で亡くなりました。
息子の応瑞や長沢蘆雪、松村月渓などの弟子たちが丸山派として画風を受け継ぎ、明治までの長い間、美術史上の重要な地位を保つことになります。
〇丸山応挙の主要な作品
・『岩頭飛雁図』 1767年(園城寺円満院蔵)
・『七難七福図巻』1768年(相国寺承天閣美術館蔵)国指定重要文化財
・『写生図鑑』1770年~1772年(千總コレクション蔵)国指定重要文化財
・『孔雀牡丹図』1771年(相国寺承天閣美術館蔵)国指定重要文化財
・『淡彩瀑布図』1772年(相国寺蔵)国指定重要文化財
・『雲龍図屏風』1773年(岐阜・法人蔵)国指定重要文化財
・『雨竹風竹図屏風』 1776年(円光寺蔵)国指定重要文化財
・『昆虫写生帖』 1776年(東京国立博物館蔵)
・『藤花図屏風』1776年(根津美術館蔵)国指定重要文化財
・『雪松図屏風』 1785年以後(三井文庫蔵)国宝
・襖絵『郭子儀図』1787年(大乗寺蔵)国指定重要文化財
・『金剛寺障壁画』1788年(金剛寺蔵)国指定重要文化財
・『見立江口の君図』1794年(静嘉堂文庫蔵)
・『保津川図屏風』 1795年(西村家蔵)国指定重要文化財
・襖絵『孔雀図』 1795年(大乗寺蔵)国指定重要文化財
・『深山大沢図屏風』(仁和寺蔵)
・『四季遊戯図』 (徳川美術館蔵)
・『四季草花図』(袋中庵蔵)