白河天皇は、1053年(天喜元年6月19日)に、後三条天皇の第1皇子(母は藤原茂子)として、京都に生まれましたが、名は貞仁といいました。
1065年(治暦元)に13歳で元服、1069年(延久元)に皇太子に立てられ、1072年(延久4)に、後三条天皇の譲位により、20歳で即位することになります。
1075年(承保2)に荘園整理令を発し、1076年(承保3)に法勝寺を建立、1081年(永保元)には、宇佐神宮境内地に神宝塔院を建立しました。1086年(応徳3)には、第3皇子善仁親王 (堀河天皇) に譲位し、上皇となって、天皇を後見しながら政治の実権を握る、いわゆる院政(堀河・鳥羽・崇徳3天皇の43年間)を初めて行います。
その後、1099年(康和1)、1107年(嘉承2)、1127年(大治2)などに何度も荘園整理令を発し、院の武力として北面の武士を創設、新興の源・平氏をこれにあてるなどして、摂関家の政治関与を抑えることに努めます。
また、仏教への傾倒も著しく、1096年(永長元)出家して法皇となり、法勝寺などを建立しましたが、1129年(大治4年7月7日)に、数え年77歳で亡くなくなりました。
〇白河天皇関係略年表(日付は旧暦です)
・1053年(天喜元)6月19日 後三条天皇の第1皇子(母は藤原茂子)として、京都に生まれる
・1065年(治暦元) 数え年13歳で元服する
・1069年(延久元) 皇太子に立てられる
・1072年(延久4) 後三条天皇の譲位により、数え年20歳で即位し、第72代の天皇となる
・1075年(承保2) 荘園整理令を発する
・1076年(承保3) 法勝寺を建立する
・1081年(永保元) 宇佐神宮境内地に神宝塔院を建立する
・1086年(応徳3) 第3皇子善仁親王 (堀河天皇) に譲位し、上皇となって院政を始める
・1099年(康和1) 荘園整理令を発する
・1102年(康和4) 藤原忠実の職権を停止する
・1107年(嘉承2) 荘園整理令を発する
・1113年(永久元) 永久の変において、輔仁親王を没落に追い込む
・1127年(大治2) 荘園整理令を発する
・1096年(永長元) 出家して法皇となる
・1120年(保安元) 関白藤原忠実を勅勘に処し、職権を停止する
・1129年(大治4)7月7日 京都において、数え年77歳で亡くなる