これは、もともと旧暦6月30日の大祓(おおはらえ)の行事を指し、「名越の祓」、「水無月(みなづき)祓」、「六月祓」、「夏越神事」などとも呼ばれてきました。
その起源は古く、701年(大宝元)制定の「大宝律令」では、「大内裏の未雀院に天皇に仕える百官の貴族が集まって、国民が犯した罪を除き去るために大祓いの詞をよみあげる」儀式とされています。
半年に一度(毎年6月と12月の晦日)行われるものとされ、延喜式には「六月晦大祓、十二月此准」とありましたが、後世になって6月の祓だけが残ったものでした。
この大祓いの行事は、次第に民間の神社でも行われるようになり、年の犯した罪や穢れを除き去るための除災行事として定着します。この時期は農家にとって、稲作や麦作などに虫害・風害などを警戒する大事な季節だったので、半年間に溜まった病と穢れを落とし、残りの半年を無事に過ごせることを願うものとなりました。
祓いの行事として有名なのは、「茅の輪潜り(ちのわくぐり)」、「形代(かたしろ)」、「水無月(みなつき)祓い」ですが、藁(わら)人形をつくり太刀(たち)を持たせて水に流す、小麦饅頭(まんじゅう)や団子をつくって農仕事を休む、海に入って身を清め牛馬をも海に入れて休ませる(中国地方から北九州)、斎忌を厳重に守る(長崎県壱岐市)など地方ではいろいろな行事が行われています。
明治時代以降は、新暦の6月30日に行われるところも多くなってきました。
〇「茅の輪潜り(ちのわくぐり)」とは?
茅の輪は、竹で作った直径2~3mほどの輪にチガヤという草を巻きつけたものです。神社の境内に作られた大きな茅の輪の中を参拝者が正面から最初に左回り、次に右回りと8の字を描いて計3回くぐることで、病気や災いを免れることができるとされました。
その起源については、『釈日本紀』逸文の『備後国風土記』にもある蘇民将来の伝説「昔、ある兄弟のところに、一人の旅人が現れて一夜の宿を乞いました。裕福な兄は旅人を冷たく断り、貧しいながらも弟の蘇民将来(そみんしょうらい)は温かく旅人をもてなしました。数年後、旅人が恩返しにと再び蘇民を訪れますが、実はこの旅人はスサノオノミコトで、その教えに従って茅の輪を腰に付けたところ、疫病から逃れられ、子々孫々まで繁栄した」ということに由来していると言われています。
この故事に基づき、家の玄関に「蘇民将来札」という札を貼り、厄除けにするという風習も残されてきました。
〇「形代(かたしろ)」とは?
紙で作った人の形を模したものです。これに自分の名前や年齢などを書き、それで体を撫でて人形に罪やケガレを移し、身代わりとして神社に納めたりしました。これを川に流したり、篝火を焚いたり、水や火を使う神事で清め、厄を落とすところもあります。
埼玉県さいたま市の氷川神社、京都府京都市の上加茂神社・下鴨神社、大阪府大阪市の住吉大社の夏越祓いが有名ですが、紙だけでなく、藁などで人形を作るところもあり、人形に代わって古い毛髪や麻の葉を流したり、お清めのために人が直接、川や海に入ったりする地方も残されてきました。
〇「水無月(みなつき)祓い」とは?
京都では「夏越祓」に「水無月」という和菓子を食べて、厄払いをする習慣があります。これは白の外郎生地に小豆をのせ、三角形に包丁された和菓子で、上部にある小豆は悪霊ばらいの意味があり、三角の形は暑気を払う氷を表していると言われてきました。
この時期は、病気が流行り、暑さで体力も消耗するので、甘く食べやすいお菓子でエネルギーを補給をする意味もあったようです。