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 今日は、明治時代前期の1875年(明治8)に、「新聞紙条例」と「讒謗律」が発布された日です。
 これらは、明治政府が最初に言論・出版の自由を規制した法令で、自由民権運動の抑圧を意図したものでした。これによって、新聞、雑誌の発行には公的機関の許可が必要となり、政府の施策を批判した記事の筆者が処罰されたりして、自由民権運動に大きな影響を与えます。

〇「新聞紙条例」とは?

 明治時代前期の1875年(明治8)6月28日に、太政官布告された言論・出版の自由を規制した法令で、讒謗律と共に制定されました。全16条からなり、新聞発行許可制をとり(1887年より届出制)、外国人が新聞の持主・社主・編集人になることを禁じ、犯罪の教唆扇動、政府変壊ね国家転覆、成法誹毀などには初めて厳しい刑罰規定が設けられ、上書・建白書の掲載も許可制としました。
 その後何度か改正され、発行保証金制度、行政権による発行禁止・停止権、新聞紙差押え権などの新設・拡大によって新聞弾圧の意図をますます深めたのです。
 しかし、新聞界の反対もあり、一定の自由化を示す改正も行なわれたものの、根本的改正をみないまま、1909年(明治42)に新聞紙法に引き継がれ、この条例は廃止となりました。

☆「新聞紙条例」(全文) 1875年(明治8)6月28日公布 全16条

 第一条

凡ソ新聞紙及時々ニ刷出スル雑誌・雑報ヲ発行セントスル者ハ、持主若クハ社主ヨリ其ノ府県庁ヲ経由シテ願書ヲ内務省ニ捧ケ允准ヲ得ヘシ、允准ヲ得ズシテ発行スル者ハ法司ニ付シ罪ヲ論シ〈凡ソ条例ニ違フ者ハ府県庁ヨリ地方ノ法司ニ付シ罪ヲ論ス〉、発行ヲ禁止シ、持主若クハ社主及編輯人・印刷人各々罰金百円ヲ科ス、其ノ詐テ官准ノ名ヲ冒ス者ハ各々罰金百円以上二百円以下ヲ科シ、更ニ印刷器ヲ没入ス

 第二条

願書ニ挙クヘキノ目左ノ如シ
 一 紙若クハ書ノ題号
 二 刷行ノ定期〈毎日・毎週・毎月或ハ無定期ノ類〉
 三 持主ノ姓名・住所、○会社ナレハ差金人ヲ除クノ外社主一人若クハ数人ノ姓名・住所
 四 編輯人ノ姓名・住所、○編輯人数人アル者ハ編輯人長一人ノ姓名・住所
 五 印刷人ノ姓名・住所、○編輯人自ラ印刷人ヲ兼ル者ハ其由ヲ著ス
右ノ五目中、詐謬アル者ハ発行ヲ禁止若クハ停止シ〈時日ヲ限リ発行ヲ止ムル者ヲ停止トス〉、仍ホ願人ニ向テ十円以上百円以下ノ罰金ヲ科ス

 第三条

編輯人若クハ編輯人長退任シ若クハ死去スル時ハ仮ニ編輯人若クハ編輯人長ヲ定メ刷行スルコトヲ得、但シ遅クトモ十五日内ニ〈退任ノ翌日ヨリ起算ス〉新定セル編輯人若クハ編輯人長ノ姓名・住所ヲ持主若クハ社主ヨリ其府県庁ニ届ケ出ヘシ、若シ期内届ケ出サル時ハ発行ヲ停止シ、持主若クハ社主罰金百円ヲ科ス
其他第二条願書ニ載スヘキノ目ニ於テ一ノ変更アル時ハ、遅クトモ十五日内ニ持主若クハ社主及編輯人若クハ編輯人長ノ連名ヲ以テ届ケ出ヘシ、若シ期内ニ届ケ出サル時ハ、持主若クハ社主及編輯人若クハ編輯人長各々罰金百円ヲ科ス

 第四条

持主若クハ社主及編輯人若クハ仮ノ編輯人タル者ハ内国人ニ限ルヘシ

 第五条

持主若クハ社主自ヲ編輯人若クハ編輯人長タルコトヲ得

 第六条

編輯人二人以上アル者ハ、其一人ヲ撰テ編輯人長トスベシ
毎紙・毎巻ノ尾ニ、編輯人、印刷人名ヲ署シ、編輯人数人アル者ハ、編輯人長、名ヲ署シ編輯人若クハ編輯人長、疾病事故アル時ハ、代理人ヲ定メ其名署スヘシ、若シ名ヲ署セザル時ハ、編輯人若クハ編輯人長、若クハ代理人罰金百円以上五百円以下ヲ料シ、印刷人罰金百円ヲ料ス
紙中若クハ巻中載スル所ノ事ニ付テハ、紙尾署名ノ編輯人若クハ編輯人長一切責ニ任スベシ

 第七条

紙中若クハ巻中載スル所、第十二条以下ノ禁ヲ犯シ若クハ讒謗律ヲ犯シタル時ハ、編輯人、首ヲ以テ論シ、筆者ハ従ヲ以テ論ス、持主若クハ社主情ヲ知ル者ハ、編輯署名ノ人ト同ク論ス

 第八条

新聞紙及雑誌・雑報ノ筆者ハ〈投書者ハ筆者ヲ以テ例ス〉尋常ノ瑣事ヲ除クノ外凡ソ内外国事、理財、人情、時態、学術、法教、議論、及事、官民ノ権利ニ係ル者ハ皆其ノ姓名・住所ヲ著スヘシ
筆者、変名ヲ用ヒタル時ハ、禁獄三十日罰金十円ヲ料ス、他人ノ名ヲ仮托スル者ハ、禁獄七十日罰金二十円ヲ料ス〈二罰并セ料シ或ハ偏ヘニ一罰ヲ料ス以下之ニ倣へ〉

 第九条

外国新聞紙及雑誌・雑報ヲ翻訳シテ記入スル者ハ、尋常ノ瑣事ヲ除クノ外訳者名ヲ署シ、其事第十二条以下ノ禁ヲ犯シ若クハ新タニ編輯人ヲ定メテ仍ホ発行スル¬ヲ得、其ノ編輯人ヲ定メスシテ発行スル者ハ、発行ヲ停止スヘシ

 第十条

事犯、編輯人ニ止リ、禁獄ヲ命シタル時ハ、特ニ発行ヲ停止シタル時ヲ除クノ外、持主若クハ社主ヨリ、仮ニ編輯人ヲ定メ、若クハ新タニ編輯人ヲ定メテ仍ホ発行スルコトヲ得、其ノ編輯人ヲ定メスシテ発行スル者ハ、発行ヲ停止スヘシ

 第十一条

新聞紙若クハ雑誌・雑報ニ指名サレタル官署・会社、人民ヨリ弁白書、若クハ改正ヲ求ムルノ書ヲ寄スルトキハ、其書ヲ受取リシヨリ直チニ其次号ニ刷出スヘシ、違フ者ハ編輯人罰金十円以上百円以下ヲ科ス

 第十二条 

新聞紙若クハ雑誌・雑報ニ於テ人ヲ教唆シテ罪ヲ犯サシメタル者ハ、犯ス者ト同罪、其教唆ニ止マル者ハ、禁獄五日以上三年以下、罰金十円以上五百円以下ヲ科ス
其教唆シテ兇衆ヲ煽起シ或ハ官ニ強逼セシメタル者ハ、犯ス者ノ首ト同ク論ス、其教唆ニ止マル者ハ罪前ニ同シ

 第十三条 

政府ヲ変壊シ国家ヲ顛覆すスルノ論ヲ載セ騒乱ヲ煽起セントスル者ハ、禁獄一年以上三年ニ至ル迄ヲ科ス、其実犯ニ至ル者ハ首犯ト同ク論ス

 第十四条 

成法ヲ誹毀シテ国民法ニ遵フノ義ヲ乱リ及顕ハニ刑律ニ触レタルノ罪犯ヲ曲庇スルノ論ヲ為ス者ハ、禁獄一月以上一年以下、罰金五円以上百円以下ヲ科ス

 第十五条

裁判所ノ断獄、下調ニ係リ未タ公判ニ付セザル者を載スルコトヲ得ズ、及裁判官審判ノ議事ヲ載スルコトヲ得ス、犯ス者ハ禁獄一月以上一年以下罰金百円以上五百円以下ヲ科ス

 第十六条

院省使庁ノ許可ヲ経ズシテ上書建白ヲ載スルコトヲ得ス、犯ス者ハ罰前条ニ同シ

 附則

此ノ条例布告ノ前ニ己ニ允准ヲ得テ発行セル新聞紙・雑誌・雑報ハ、新タニ願書ヲ捧クルニ及ハス、但シ府県庁ヲ経由シテ内務省ニ届クル爲ニ此ノ布告ヲ承ルヨリ第十日迄ニ〈布告ヲ承ルノ翌日ヨリ起算ス〉府県庁ニ向テ第二条五目ノ届書ヲ捧クヘシ、第十日ヲ過テ届書ヲ捧ケザル者ハ府県庁ヨリ発行ヲ止ムベシ、其ノ更ニ願ヒ出ル者ハ第一条ニ依ルヘシ
従前編輯人数人アリテ編輯人長ナキ者ハ、条例布告ヲ承ルヨリ第二日迄ニ〈布告ヲ承ルノ翌日ヨリ起算ス〉編輯人長ヲ定メ若クハ仮ニ定ムヘシ、第二日ヲ過テ刷行シタル紙若クハ書ニ、編輯人長ノ署名ナキトキハ、府県庁ヨリ発行ヲ止ムベシ、其ノ更ニ願ヒ出ル者ハ前ニ同シ

  「法令全書」より

〇「讒謗律」とは?

 明治時代前期の1875年(明治8)6月28日に、太政官布告された言論・出版の自由を規制した法令で、新聞紙条例と共に制定されました。
 明文規定を欠くため、1880年(明治13)、別に集会条例が制定されることになり、1882年(明治15)の旧刑法の施行とともに廃止されたのです。
 全8条からなり、著作・文書・画面・肖像を用い、展観・発売・貼示して、他人の名誉を害するようなことを公表したり、事実をあげずに悪名を流したりすることを取り締まり、その対象 (天皇、皇族、官吏、華族・士族・平民) によって、禁獄・罰金の刑に処するものでした。
 これによって、政府の施策を批判した記事の筆者が処罰されることになり、言論・出版を統制したのです。

☆「讒謗律」(全文) 1875年(明治8)6月28日公布 全8条 

 第一条 凡ソ事実ノ有無ヲ論セス人ノ栄誉ヲ害スヘキ行事ヲ摘発公布スル者、之を讒毀トス。人ノ行事ヲ挙ルニ非スシテ悪名ヲ以テ人ニ加ヘ公布スル者、之ヲ誹謗トス。著作文書若クハ画図肖像ヲ用ヒ展観シ若クハ発売シ若 クハ貼示シテ、人ヲ謗毀シ若クハ誹謗スル者ハ下ノ条例ニ従テ罪ヲ科ス。

第二条 第一条ノ所為ヲ以テ乗輿ヲ犯スニ渉ル者ハ、禁獄三月以上三年以下、罰金五十円以上千円以下〈二罰并セ科シ或ハ偏ヘニ一罰ヲ科ス。以下之ニ倣ヘ〉。

第三条 皇族ヲ犯スニ渉ル者ハ、禁獄十五日以上二年半以下、罰金十五円以上七百円以下。

第四条 官吏ノ職務ニ関シ讒毀スル者は、禁獄十日以上二年以下、罰金十円以上五百円以下、誹謗スル者ハ、禁獄五日以上一年以下、罰金五円以上三百円以下。

第五条 家士族平民ニ對スルヲ論セス讒毀スル者ハ、禁獄七日以上一年半以下、罰金五円以上三百円以下、誹謗スル者ハ、罰金三円以上百円以下。

第六条 法ニ依リ検官若クハ法官ニ向テ罪犯ヲ告発シ若クハ証スル者ハ、第一条ノ例ニアラス其ノ故造誣告シタル者ハ誣告律ニ依ル。

第七条 若シ讒毀ヲ受ルノ事刑法ニ触ルゝ者検官ヨリ其事ヲ糾治スルカ若クハ讒毀スル者ヨリ検官若クハ法官ニ告発シタル時ハ讒毀ノ罪ヲ治ル事ヲ中止シ、以テ事案ノ決ヲ俟チ其ノ被告人罪ニ坐スル時ハ讒毀ノ罪ヲ論セス。
若シ事刑法ニ触レスノ單ヘニ人ノ栄誉ヲ害スル者ハ、讒毀スルノ後官ニ告発スト雖モ仍ホ讒毀ノ罪ヲ治ム。

第八条 凡ソ讒毀誹謗ノ第四条第五条ニ係ル者ハ、被害ノ官民自ラ告グルヲ待テ乃チ論ス。
                      「法令全書」より

☆自由民権運動関係略年表

<1874年(明治7)>
・1月12日 板垣退助らが愛国公党を結成する  
・1月17日 板垣退助らが「民撰議院設立の建白書」を提出する
・2月1日 江藤新平が佐賀で乱を起こす(佐賀の乱)
・4月 板垣退助らが立志社を設立する
<1875年(明治8)>
・5月7日 「樺太・千島交換条約」が結ばれる 
・6月28日 「讒謗律」・「新聞紙条例」が制定される
<1876年(明治9)>
・2月26日 「日朝修好条規」が締結される
<1877年(明治10)>
・2月15日 西南戦争が起きる
・6月9日 「立志社建白」を京都の行在所に提出する
・8月18日 立志社の片岡健吉らが逮捕される(高知の獄)
<1878年(明治11)>
・5月14日 大久保利通が暗殺される
<1879年(明治12)>
・3月27日 琉球処分が行われ、琉球藩を沖縄県とする
<1880年(明治13)>
・3月15日 国会期成同盟が結成される   
・4月5日 「集会条例」を定めて、言論や集会を取りしまる
このころから、自由民権運動が高揚しはじめる
<1881年(明治14)>
・7月 「北海道開拓使官有物払下げ事件」が起こる  
・9月 立志社が「日本憲法見込案」を出す
・10月11日 明治十四年の政変で、大隈重信らが罷免される
・10月12日 「国会開設の勅諭」が出される
・10月18日 板垣退助らが自由党を結成する
このころ、憲法制定論議が活発化し、各種の私擬憲法がつくられる
<1882年(明治15)>
・3月 伊藤博文ら、憲法調査のためヨーロッパへ行く
・4月16日 大隈重信らが立憲改進党を結成する
・11月28日 福島事件(福島県)が起こる
<1883年(明治16)>
・3月20日 高田事件(新潟県)が起こる
・3月20日 立志社が解散する 
<1884年(明治17)>
・5月 群馬事件(群馬県)が起こる
・9月23日 加波山事件(栃木・茨城県)が起こる
・10月29日 自由党が解党する
・10月31日 秩父事件(埼玉県)が起こる
・12月 名古屋事件(愛知県)が起こる
・12月 飯田事件(長野県)が起こる
<1885年(明治18)>
・11月 大阪事件(大阪府)が起こる
<1886年(明治19)>
・6月 静岡事件(静岡県)が起こる