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 今日は、昭和時代前期の1939年(昭和14)に、国民精神総動員委員会が遊興営業の時間短縮、ネオン抑制、中元・歳暮の贈答廃止、学生の長髪禁止、パーマネント廃止などの生活刷新案を決定して発表した日です。
 これは、日中戦争の拡大に伴って,国民に戦時意識を徹底させ戦争に協力させるために起こされた「国民精神総動員運動」の一環として、行われたものでした。その推進の中心となった国民精神総動員委員会では、「公私生活を刷新し戦時体制化するの基本策」につき協議してきましたが、第一期刷新項目として、(イ)早起励行、(ロ)報恩感謝、(ハ)大和協力、(ニ)勤労報国、(ホ)時間厳守、(ヘ)節約貯蓄、(ト)心身鍛錬とします。
 そして、第二期刷新項目として、以下の7項目が決定され、1939年(昭和14)6月16日に発表されました。
 (イ)料理店、飲食店、カフェー待合、遊戯場などの営業時間の短縮
 (ロ)ネオンサインの抑制
 (ハ)一定の階層の禁酒、一定の場所の禁酒
 (ニ)冠婚葬祭に伴う弊風打破、なかんずく奢侈なる結婚披露宴などの廃止
 (ホ)中元歳暮の贈答廃止
 (ヘ)服装の簡易化—フロックコート、モーニングコートの着用は公式の儀礼に限りその他は平常服をもってこれに代えること
 (ト)男子学生生徒の長髪廃止、婦女子のパーマネントウェーヴその他浮華なる化粧、服装の廃止
 これらは7月4日委員会で決定され、7月11日の閣議で、「実行し得るものより順次これを実行に移し公私生活を刷新し戦時体制の強化に努めるよう措置する」との申合せがなされました。
 そして、「公私生活の戦時態勢化を徹底するため既存の実行組織を整備し各官公衙、会社工場など職場ごとに、市町村の区、町内、部落など地域ごとに各種団体、学校毎に指導督励の担任者を定め国民各個に浸透するよう自ら率先実行せしめるとともに指導督励にあたらしむること」とされます。

〇「生活刷新基本方策」

一、国民生活日の設定 政府は毎月一定の日をもって国民生活日と定め特に当日は全国民戦場の労苦を偲び強力日本建設に向って邁進し厳粛闊達なる気分をもって国民生活綱要に副い日本精神を如実に顕現して自粛自省これを実際生活の上に具現し恒久実践の源泉となす日たらしめること。

二、国民生活要綱の提唱 「挙国一致」「尽忠報国」「堅忍持久」の指標のもとに国民生活綱要としてしくに日々厳守励行すべき項目をさらに高調し地方の実情と対象とに応じてこれを具体化しその普及徹底を計ること
 国民生活綱要—(イ)早起励行(ロ)報恩感謝(ハ)大和協力(ニ)勤労報国(ホ)時間厳守(ヘ)節約貯蓄(ト)心身鍛錬。

三、第一期刷新項目 差当り刷新項目として左の事項を取上げ強力に刷新に努むることとし、政府はそれぞれその所管事項につき適切なる措置を講ずるとともに国民精神総動員中央連盟はこれが普及徹底に努力することなお第二期には前期の成績を検討した上さらに刷新項目を追加すること。
 (イ)料理店、飲食店、カフェー待合、遊戯場などの営業時間の短縮(ロ)ネオンサインの抑制(ハ)一定の階層の禁酒、一定の場所の禁酒(ニ)冠婚葬祭に伴う弊風打破、なかんずく奢侈なる結婚披露宴などの廃止(ホ)中元歳暮の贈答廃止(ヘ)服装の簡易化—フロックコート、モーニングコートの着用は公式の儀礼に限りその他は平常服をもってこれに代えること(ト)男子学生生徒の長髪廃止、婦女子のパーマネントウェーヴその他浮華なる化粧、服装の廃止。

四、徹底方法 公私生活の戦時態勢化を徹底するため既存の実行組織を整備し各官公衙、会社工場など職場ごとに、市町村の区、町内、部落など地域ごとに各種団体、学校毎に指導督励の担任者を定め国民各個に浸透するよう自ら率先実行せしめるとともに指導督励にあたらしむること。

 〇国民精神総動員運動とは?

 昭和時代前期の1937年(昭和12)7月7日の日中全面戦争突入(盧溝橋事件)以後、第一次近衛内閣により行われた国民を戦争に協力させるための運動でした。8月24日に「国民精神総動員実施要綱」が閣議決定され、10月12日 に挙国一致・尽忠報国・堅忍持久を3目標として、国民精神総動員中央連盟が発足して、国民精神総動員運動が始まります。翌年までに帝国在郷軍人会、全国神職会、全国市長会、日本労働組合会議など多くの団体が参加するようになりました。最初は、精神運動の性格が強かったのですが、次第に献金、献品など物的協力に転換していき、貯蓄増加や国債消化の奨励、金属類回収などが展開されます。1939年(昭和14)3月には文部大臣を委員長とする国民精神総動員中央委員会が設置され、道府県には主務課が設けられました。同年8月には興亜奉公日(同年9月1日より毎月1日)が設定され、さらに翌年4月には、従来の組織を解消して、首相を会長とする国民精神総動員本部が設けられ、中央連盟を吸収します。しかし、同本部も同年10月には大政翼賛会に吸収されて、運動が引き継がれていきました。