ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

2018年05月

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 今日は、奈良時代の720年(養老4)に、舎人親王らが『日本書紀』30巻と系図1巻を完成し撰上した日ですが、新暦では7月1日となります。
 これは、天武天皇の時に着手され、舎人親王が中心となって、完成した日本最初の国史でした。全30巻(1、2は神代、巻3~30は神武天皇から持統天皇まで)で、系図1巻を付すとされていますが現存していません。
 漢文の編年体で記述され、同時代に成立した『古事記』よりも詳細で、かつ異説や異伝までも掲載し、客観性がみられ、史書として整っているとされてきました。帝紀・旧辞のほか諸氏の記録、寺院の縁起、朝鮮側資料などを利用して書かれたと考えられますが、漢文による潤色が著しく、漢籍や仏典をほとんど直写した部分もあります。
 神代巻や古い時代の巻は多量の神話や伝説を含み、また歌謡128首も掲載されるなど、上代文学史上においても貴重なものとされてきました。
 以後、『続日本紀』、『日本後紀』、『続日本後紀』 、『日本文徳天皇実録』、『日本三代実録』と作成されて、これら6つの国史をあわせて、六国史と呼んでいます。

〇六国史とは?

 奈良時代から平安時代前期に、編纂された以下の6つの官撰の正史のことで、おおむね編年体で記されています。
(1)『日本書紀』 720年(養老4)完成 撰者は、舎人親王 
 全30巻(他に系図1巻は失われた)で、神代から持統天皇まで(?~697年)を掲載する
(2)『続日本紀』 797年(延暦16)完成 撰者は、菅野真道・藤原継縄等
 全40巻で、文武天皇から桓武天皇まで(697~791年)を掲載する
(3)『日本後紀』 840年(承和7)完成 撰者は、藤原冬嗣・藤原緒嗣等
 全40巻(10巻分のみ現存)で、桓武天皇から淳和天皇まで(792~833年)を掲載する
(4)『続日本後紀』 869年(貞観11)完成 撰者は、藤原良房・春澄善縄等
 全20巻で、仁明天皇の代(833~850年)を掲載する
(5)『日本文徳天皇実録』 879年(元慶3)完成 撰者は、藤原基経・菅原是善・嶋田良臣等
 全10巻で、文徳天皇の代(850~858年)を掲載する
(6)『日本三代実録』 901年(延喜元)完成 撰者は、藤原時平・大蔵善行・菅原道真等
 全50巻で、清和天皇から光孝天皇まで(858~887年)を掲載する

〇『日本書紀』卷第一の冒頭部分

<原文>

神代上

古、天地未剖、陰陽不分、渾沌如鶏子、溟涬而含牙。及其淸陽者薄靡而爲天・重濁者淹滯而爲地、精妙之合搏易、重濁之凝竭難。故、天先成而地後定。然後、神聖、生其中焉。故曰、開闢之初、洲壞浮漂、譬猶游魚之浮水上也。于時、天地之中生一物、狀如葦牙。便化爲神、號國常立尊。至貴曰尊、自餘曰命、並訓美舉等也。下皆效此。次國狹槌尊、次豐斟渟尊、凡三神矣。乾道獨化、所以、成此純男。

<読み下し文>

神代上(かみのよのかみのまき)

 古(いにしえ)天地(あめつち)未だ剖(わか)れず、陰・陽、分かれざりしときに、渾沌たること鷄(とり)の子の如くして、溟涬(ほのか)に牙(きざし)を含めり。其(そ)れ清く陽(あきらか)なるは、薄靡(たなび)きて天(あめ)と爲り、重く濁れるは、淹滞(つつ)いて地(つち)と爲るに及びて、精(くわ)しく妙(たえ)なるが合えるは摶(むらが)り易(やす)く、重く濁れるが凝(こ)るは竭(かたま)り難し。故(かれ)、天(あめ)先(ま)ず成りて、地(つち)後に定まる。 然して後に、神聖(かみ)其の中に生る。故、曰く、開闢の初めに洲壤(くにつち)浮き漂うこと譬(たと)えば游(あそ)ぶ魚の水の上に浮べるが猶(ごと)し。 時に、天地の中に一つ物生(な)れり。 状(かたち)葦牙(あしかび)の如(ごと)し。便(すなわ)ち神と化爲(な)る。 國常立尊(くにのとこたちのみこと)と號(もう)す。【至りて貴きを尊と曰い、それより餘(あまり)を命と曰う。並びに美(み)舉(こ)等(と)と訓(よ)む。下(しも)皆(みな)此(これ)に效(なら)え】
 次に國狹槌尊(くにのさづちのみこと)。次に豐斟渟尊(とよくむぬのみこと)。凡(およ)そ三はしらの神。 乾道(あめのみち)獨(ひと)り化(な)す。 所以(ゆえ)に此れ純(まじりなき)男(お)と成す。
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 今日は、昭和時代前期の1933年(昭和8)に、大阪市営地下鉄1号線(現在の大阪メトロ御堂筋線)の梅田~心斎橋間(3.1km)が開業した日です。
 これは、都市計画学者の關一第7代大阪市長により計画され、1930年(昭和5)に、東京に次ぐ日本2番目の地下鉄として、梅田~心斎橋間の工事が始まりました。そして、1933年(昭和8)5月20日に、全国初の公営地下鉄として、梅田(仮駅)~心斎橋駅間(3.1km)が開通します。
 当初は1両編成の単行運転でしたが、駅のホームは将来を見越して、8両編成に対応するようにつくられました。最初に出来た心斎橋駅、淀屋橋駅のホームはドーム状の高い天井とシャンデリア風の蛍光灯照明を有していて、とても立派に作られているので、一見の価値があります。
 その後、次々と新路線がつくられたり、延伸されたりして、 現在では、御堂筋線(江坂駅~中百舌鳥駅)、谷町線(大日駅~八尾南駅)、四つ橋線(西梅田駅~住之江公園駅)、中央線(コスモスクエア駅~長田駅)、千日前線(野田阪神駅~南巽駅)、堺筋線(天神橋筋六丁目駅~天下茶屋駅)、長堀鶴見緑地線(大正駅~門真南駅)、今里筋線(井高野駅~今里駅)の8路線129.9kmを運行する、日本第2位の事業者となりました。
 尚、2018年(平成30)3月31日付けで、大阪市営地下鉄としては運営を終了し、大阪市高速電気軌道(大阪メトロ)へ事業を譲渡しています。

〇地下鉄とは?

 地下鉄道の略語で、地下にトンネルを掘り、そこに敷設された都市高速電気鉄道のことですが、一部地上を走る部分も含めて言う場合が多くありました。日本での法規上は、大阪市営地下鉄を除き「鉄道事業法」に基づくものです。大都市部では、鉄道用地取得が困難なため、やむを得ず地下に建設したもので、建設費はかかりますが、用地買収の手数が少く、道路との交差がないので高速運行が可能で、市街地景観も維持でき、沿線の騒音も小さいなどの利点があります。
 日本最初の地下鉄は、昭和時代前期の1927年(昭和2)に、東京市の上野駅~浅草駅間(2.2km)の開通によるものでした。この路線は、1939年(昭和14)までに延伸されて、浅草駅~渋谷駅間が全通し、1941年(昭和16)に設立された帝都高速度交通営団に引き継がれ、営団地下鉄銀座線となります。一方、大阪市では、1933年(昭和8)に、梅田(仮駅)~心斎橋駅間(3.1km)が開通しました。
 太平洋戦争後は、東京でも大阪でも新しい路線の建設や延伸が行われ、他の都市でも、1957年(昭和32)の名古屋市の名古屋駅~栄町駅間(2.4km)の開通を皮きりに広がって行きます。その後、札幌市(1971年)、横浜市(1972年)、神戸市(1977年)、京都市(1981年)、福岡市(1981年)、仙台市(1987年)などで開業し、2001年(平成13)時点の営業キロ数は672.9kmに達しました。それからも各地で新路線や延伸が進み、2017年現在、15事業者49路線で、営業キロ数は796.4kmとなっています。

☆日本で営業中の「地下鉄」(日本地下鉄協会の分類)一覧

・札幌市営地下鉄(札幌市交通局)3路線48.0km 46駅 日本唯一のゴムタイヤ式地下鉄
・仙台市地下鉄(仙台市交通局)2路線28.7km 29駅
・埼玉高速鉄道線(埼玉高速鉄道)1路線14.6km 8駅 総延長の97%が地下区間
・都営地下鉄(東京都交通局)4路線109.0km 98駅
・東京メトロ(東京地下鉄) 9路線195.1km 141駅
・りんかい線(東京臨海高速鉄道)1路線12.2km 8駅
・東葉高速線(東葉高速鉄道)1路線16.2km 9駅
・横浜市営地下鉄(横浜市交通局)3路線53.5km 40駅
・みなとみらい線(横浜高速鉄道)1路線4.1km 6駅
・名古屋市営地下鉄(名古屋市交通局)6路線93.2km 87駅
・京都市営地下鉄(京都市交通局)2路線31.2km 31駅
・大阪市高速電気軌道(大阪メトロ)8路線129.9km 100駅
・神戸市営地下鉄(神戸市交通局)4路線30.6km 25駅
・アストラムライン(広島高速交通)1路線0.3km 2駅 総延長の10%が地下区間
・福岡市地下鉄(福岡市交通局)3路線29.8km 35駅
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 今日は、戦国時代の1560年(永禄3)に、桶狭間の戦いで、織田信長が今川義元を急襲して討ち取った日ですが、新暦では6月12日となります。
 この戦いは、駿河の今川義元軍と尾張の織田信長軍との間で尾張国桶狭間付近(現在の名古屋市緑区・豊明市)を中心に戦われた合戦です。
 約2万5千人もの大軍を率いて尾張に侵攻した今川軍に対して、約2千人の織田軍が本陣を強襲し、今川義元の首を取って、今川軍を敗走させました。織田信長が、それ以後領地を広げ天下統一を目指す転機となった重要な戦いでした。
 現在は、1938年(昭和13)に国の史跡に指定された「桶狭間古戦場伝説地」(豊明市)があり、史跡指定標柱や七石表(七基の石碑)、今川治部大輔義元墓などがあります。
 また、少し離れたところに「桶狭間古戦場公園」(名古屋市緑区)があり、今川義元の墓碑、義元馬つなぎの杜松、義元首洗いの泉、漢詩碑などがあります。
 桶狭間以外にも徳川家康が兵糧を入れた大高城跡、前哨戦で織田方が全滅した鷲津・丸根砦跡、今川義元が前日に宿泊した今川方の沓掛城跡などが散在していて、周辺には見どころがいろいろとあります。

〇桶狭間の戦い関係の主要な史跡

【桶狭間古戦場伝説地】(おけはざまこせんじょうでんせつち)
 桶狭間古戦場で、今川義元最期の地とされるところが2ヶ所伝えられています。その一つが、愛知県豊明市栄町南舘にある「桶狭間古戦場伝説地」で、1938年(昭和13)4月に国の史跡に指定され、1941年(昭和16)10月に史跡指定標柱が建立されました。ここは公園になっていて、1771年(明和8)12月に尾張藩士人見弥右衛門桼・赤林孫七郎信之によって建てられた「七石表」(七基の石碑)があります。一号碑は今川義元の戦死した場所を示し、二号碑は松井宗信戦死の場所、三号碑以下は義元の武将五人の戦死の場所ですが、氏名は不詳でした。その他にも、1809年(文化6)に津島の神官氷室豊長が建てた「桶狭弔古碑」、1860年(万延元)建立の「今川義元仏式の墓」、1876年(明治9)に有松の山口正義が建てた「今川治部大輔義元墓碑」、「松井兵部少輔宗信墓碑」があります。

【桶狭間古戦場公園】(おけはざまこせんじょうこうえん)
 名古屋市緑区桶狭間北3丁目にある公園で、1988年(昭和63)の土地区画整理事業に伴って整備されたところです。おけはざま山の本陣から追われた今川義元が、服部小平太と毛利新介によって打ち取られた最期の地とと伝えられ、1836年(天保7)の「桶狭間絵図」に田楽坪と記入され、地元では、古くは田楽狭間とも呼ばれてきました。公園内には、今川義元公馬繋ぎのねず塚や義元公水汲みの泉、今川義元の墓碑などがあり、合戦当時の地形、城、砦などをジオラマ化し、織田信長と今川義元の銅像も建てられています。

【大高城跡】(おおだかじょうあと)

 愛知県名古屋市緑区大高町にある中世の城跡です。築城年代は定かではありませんが、南北朝時代には、池田頼忠が城主を務め、戦国時代の永正年間(1504~21年)に花井氏、天文・弘治年間(1532~58年)には水野忠氏が居城したと伝えられています。織田信秀の支配下にあった1548年(天文17)に、今川義元の命で野々山政兼がこの城を攻めましたが、落とすことができず政兼は戦死しました。しかし、信秀の死後は、息子の織田信長に背いた鳴海城主山口教継の調略で、この城は沓掛城とともに今川方の手に落ちてしまったのです。これに脅威を感じた織田信長は、牽制するために近くに丸根砦、鷲津砦を築きました。1559年(永禄2)には、今川義元の命をうけ朝比奈輝勝が大高城の守りに入り、翌年には、包囲網を破って、今川義元の妹婿である鵜殿長照が守備につきました。しかし、糧道を絶たれそうになった中で、松平元康(後の徳川家康)が、織田方の隙をついて敵中を突破して兵糧を入れ、大高城を守ったのです。ところが、1560年(永禄3)5月19日(新暦6月12日)の桶狭間の戦いにより今川義元が討ち死にして今川方が負け、松平元康は岡崎城に引き下がったため、大高城は再び織田方のものとなりました。その後まもなくして、廃城となりましたが、尾張藩家老の志水家が、1616年(元和2)にここに館を設けてから代々住むようになったのです。その館も1870年(明治3)に売却されました。その後も曲輪と堀が残されていて、1938年(昭和13)に「大高城跡 附丸根砦跡 鷲津砦跡」として国の史跡に指定され、現在は「大高城址公園」として整備されています。

【鷲津砦跡】(わしづとりであと)
 愛知県名古屋市緑区大高町にある中世の砦跡で、大高城の北東約700mの丘陵上に築かれ、東西25m、南北27mの規模だったとされています。織田信秀の死後に息子の信長が跡を継ぐと、信秀に従っていた鳴海城主山口教継が駿河の今川義元に寝返り、義元は大高城を手中にしました。それに対抗し、大高城と鳴海城の間を遮断するために、丸根砦と共に築かれ、守将として織田秀敏と飯尾定宗・尚清父子がが置かれます。しかし、桶狭間の戦いに際し、1560年(永禄3年5月19日)に今川方の重臣・朝比奈泰朝らの攻撃によって、陥落させられました。1938年(昭和13)に「大高城跡 附丸根砦跡 鷲津砦跡」として国の史跡に指定され、現在は長寿寺の裏山一帯が「鷲津砦公園」となっていて、頂上付近に石碑が建っています。

【丸根砦跡】(まるねとりであと)
 愛知県名古屋市緑区大高町にある中世の砦跡で、大高城の北東約800mの丘陵上に築かれ、東西36m、南北28mの規模だったとされています。織田信秀の死後に息子の信長が跡を継ぐと、信秀に従っていた鳴海城主山口教継が駿河の今川義元に寝返り、義元は大高城を手中にしました。それに対抗し、大高城と鳴海城の間を遮断するために、鷲津砦と共に築かれ、守将として佐久間大学盛重が置かれます。しかし、桶狭間の戦いに際し、1560年(永禄3年5月19日)に今川方の松平元康(徳川家康)の攻撃によって、陥落させられました。1938年(昭和13)に「大高城跡 附丸根砦跡 鷲津砦跡」として国の史跡に指定、現在は公園となり、丘の頂きあたりには雑木林が残され、その一画に石碑が二基建てられています。

【沓掛城跡】(くつかけじょうあと)

 愛知県豊明市にある中世の平城の跡です。築城年代については、諸説ありますが、14世紀頃、近藤宗光が初代城主としてこの地に住したと言われています。戦国時代になって、松平家についていましたが、織田信秀の勢力が強くなるとその支配下に入りました。しかし、信秀の死後は、息子の織田信長に背いた鳴海城主山口教継の調略で、この城は大高城とともに今川方の手に落ちたのです。この城が有名なのは、桶狭間の戦いの前夜、1560年(永禄3)5月18日(新暦6月11日)に、今川義元が泊まり、参陣の諸将を集めて軍議を行ったことによります。翌日、今川方は織田方に桶狭間の戦いで敗れ、今川義元は討ち死にすることになりました。この時の城主近藤景春は今川方に従い、沓掛城を死守していましたが、義元の戦死後織田方に城を攻めとられ、景春は戦死、城は空城となったのです。それからは、織田信長の勢力圏に入り、簗田出羽守政綱・左衛門太郎父子、信長の異母弟の織田越中守信照、川口久助らが居住していましたが、1600年(慶長5)の関ヶ原の戦い後に廃城となりました。1981年(昭和56)年から4年をかけて豊明市による発掘調査が行われましたが、資料によると東西288m、南北234m、惣堀に囲まれた戦国時代の城としては、比較的規模の大きな城とのことで、今でも本丸と諏訪曲輪と二の丸の一部や空堀が残っていす。現在は、沓掛城址公園として整備されていて、見学することができます。

【鳴海城跡】(なるみじょうあと)

 愛知県名古屋市緑区にあった中世の城跡です。室町時代の応永年間(1394~1428年)に足利義満の配下であった安原宗範によって築かれましたが、宗範の死後、廃城になったといわれています。戦国時代の天文年間(1532~55年)の途中までは、織田信秀の支配下にあり、山口教継が城主となっていました。しかし、信秀の死後は、息子の織田信長に背いて、今川方に寝返って以来、今川方の武将が駐屯し、その前衛となります。その後、教継は息子の山口教吉に鳴海城を任せますが、1553年(天文22)に、織田信長の800の兵での攻撃をしのぎます。そして、教継の調略で、付近の沓掛城と大高城は今川方の手に落ちることになるのですが、それから程なくして、山口氏父子は駿河へ呼び出され、今川義元の命により父子ともども切腹をさせられました。その頃から、今川家譜代の岡部元信が城主となっていましたが、これに対処するため、織田信長は、1559年(永禄2)頃に、この城を囲むように丹下砦、善照寺砦、中嶋砦の3つを築いたのです。1560年(永禄3)の桶狭間の戦いでは、今川軍が織田軍に負け、総大将の今川義元が討ち死にしてしまい、岡部元信は、織田信長との交渉の末、今川義元の首級と引き換えに城を明け渡すこととなりました。その後は、佐久間信盛・信栄父子が城主をつとめていましたが、天正年間(1573~93年)末期に廃城になったといわれています。現在は、天神社に城跡の石碑が立ち、通りを挟んだ反対側には「鳴海城跡公園」があるものの、遺構の状態はよくありません。

〇織田 信長(おだ のぶなが)とは?

 戦国時代の武将・戦国大名です。1534年(天文3年5月12日)に、尾張守護代織田大和守家の奉行の一人であった父・織田信秀の三男(母・土田御前)として生まれましたが、幼名は、吉法師と言いました。
 1546年(天文15)元服して三郎信長と名乗り、翌年三河へ初陣、1551年(天文 20)に父信秀が没して、家督を継ぎますが、一族内部の抗争が続きます。
 ようやく、1559年(永禄2)に織田信賢を破って織田家をまとめ、翌年の桶狭間の戦いで今川義元を敗死させて、尾張一国を統一しました。
 1562年(永禄5)に、三河の松平元康(後の徳川家康)と同盟を結び、美濃への進出を図り、1567年(永禄10)に、斎藤龍興を滅ぼして、稲葉山城を岐阜城と改め、拠点とします。
 翌年、足利義昭を奉じて上洛し、室町幕府15代の将軍職につけ、その将軍、次いでは天皇の権威を利用して天下に号令しました。
 その後、1570年(元亀元)の姉川の戦いで浅井・朝倉両氏を破り、翌年に延暦寺の焼き打ちを行います。続いて、1573年(天正元)には朝倉氏、さらに浅井氏を滅ぼし、足利義昭を追放して、室町幕府を滅亡させました。さらに、1575年(天正3)に長篠の戦いで、武田勝頼を破り、翌年には近江に安土城を築き、天下統一への拠点とします。
 その中で、関所の撤廃、楽市楽座、検地等の革新政策を実施、キリシタン文化をも摂取して、華やかな安土桃山文化を興しました。
 その後、中国経略を志して毛利氏と対立しますが、1580年(天正8)に本願寺と和睦し、石山から退城させて畿内一円を支配、1582年(天正10)には甲斐武田氏を滅ぼすなど着々と統一事業を進めました。
 しかし、同年6月2日に、京都における本能寺の変で、明智光秀のために自刃させられ、48歳で生涯を閉じます。
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 今日は、1869年(明治2)に、榎本武揚らが五稜郭を開城して新政府軍に降伏し、戊辰戦争が終わった日ですが、新暦では6月27日となります。
 戊辰戦争に関わって、1868年(明治元)9月19日夜半、榎本武揚(えのもとたけあき)の率いる、8隻からなる旧幕府艦隊(旗艦は開陽丸)は品川沖を脱しました。途中仙台に寄港して、東北戦争に敗れた旧幕府脱走軍などを収容し、10月20日に蝦夷地鷲ノ木に、約3,000人が上陸します。
 10月25日には箱館の五稜郭を占拠、11月5日松前藩の福山城を陥落させ、11月15日に江差を制圧したものの、暴風雨のため旗艦開陽丸が沈没する痛手を受けました。
 蝦夷地制圧後は、旧幕臣を移住させ、北方の防備と開拓にあたらせようと画策します。しかしうまくいかず、翌年3月9日に箱館の榎本武揚軍追討のため、新政府軍艦隊が江戸湾を出発、4月9日に江差北方の乙部に上陸しました。
 そして、4月17日に松前を攻略、5月11日には箱館総攻撃が開始されます。ついに、5月18日に最後の拠点だった五稜郭が開城されて、榎本武揚らが降伏し、戦いが終結しました。
 これによって、1年4ヶ月に及んだ「戊辰戦争」が終わり、新政府による国内掌握が完成しました。

〇五稜郭とは?

 幕末の1857年(安政4)に、北方防備のために築城が開始され、1866年(慶応2)に完成した洋式城郭で、五角形の星形をしていたのでこの名称があります。
 1868年(慶応4)から翌年にかけて、戊辰戦争最後の闘いである「箱館戦争」が戦われたことで有名となりました。これで、旧幕府勢力による抵抗は終焉し、「戊辰戦争」が終わりました。
 現在、五稜郭跡は、1952年(昭和27)に国の特別史跡に指定され、「五稜郭公園」として保存されていて、巡ることができます。尚、2006年(平成18)には、日本100名城にも選定されました。また、公園内に、2010年(平成22)に「箱館奉行所」が木造で復元されて、一般公開されています。

〇戊辰戦争とは?

 幕末明治維新期の1868年(慶応4/明治元)から1869年( 明治2)にかけて、明治政府を樹立した薩摩藩・長州藩らを中心とした新政府軍と、旧幕府勢力および奥羽越列藩同盟が戦った内戦でした。
 1868年(慶応4年1月3日)開戦の鳥羽伏見の戦いから始まり、各地で戦乱が起きましたが、越後と東北、北海道で激戦となります。そして、1869年(明治2年5月18日)に箱館の五稜郭が陥落し、旧幕府軍が降伏して終結しました。
 名称は、慶応4年/明治元年の干支が“戊辰”であることに由来しています。これにより、明治政府が国内を掌握し、明治維新の改革が進められることになりました。

☆戊辰戦争関係略年表(日付は旧暦です)

<1868年(慶応4/明治元)>
・1月3日 「鳥羽伏見の戦い」で「戊辰戦争」が始まる
・1月6日 徳川慶喜が大坂城を脱出し、海路で江戸へ逃れる
・2月12日 徳川慶喜は、上野寛永寺に入って謹慎し、恭順を示す
・3月14日 西郷隆盛と勝海舟の会談が行われ、江戸での戦闘が回避される
・4月11日 江戸城が無血開城される
・5月3日 奥羽25藩が「奥羽列藩同盟」を結成する
・5月6日 長岡藩など北越6藩が新たに加わり「奥羽越列藩同盟」となる
・5月15日 上野山にいる彰義隊を新政府軍が一日で破る(上野戦争)
・7月14日 白河口の戦いで、新政府軍が勝利する
・7月29日 奥州の二本松城、越後の長岡城が陥落する
・8月23日 新政府軍が会津藩若松城下に侵攻し、会津側は若松城で籠城戦を開始する
・9月8日 明治に改元される
・9月9日 米沢藩が新政府軍に寝返える
・9月10日 仙台藩が降伏する
・9月22日 会津藩が降伏し、「会津戦争」が終わる
・10月26日 榎本武揚軍が箱館を占領する
・11月15日 暴風雨のため榎本武揚軍の旗艦開陽丸が沈没する

<1869年(明治2)>
・3月9日 箱館の榎本武揚軍追討のため、新政府軍艦隊が江戸湾を出発する
・5月11日 箱館総攻撃が始まる
・5月18日 五稜郭が陥落し、旧幕府軍が降伏して「箱館戦争」が終結し、「戊辰戦争」が終わる
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 今日は、昭和時代中期の1965年(昭和40)に、労働者の結社の自由・団結権の保護を定めた「ILO87号条約」を国内で承認した日です。
 この条約は、国際労働機関(ILO)が、労働条件の改善に関する国際的規制の見地から加盟国に批准を求めている条約の一つで、正式名称を「結社の自由及び団結権の保護に関する条約」といいます。
 国際労働機関(ILO)において、1948年(昭和23)7月9日に採択され、1950年(昭和25)7月4日に発効し、労働者及び使用者が団体を結成し加入する権利を持つことと行政機関がこれらの権利の制限等を行なってはならないことを規定するものでした。
 しかし、日本では、公務員等の団結権などを制限していたために、この条約の承認・批准が遅れ、当時の労働組合の全国組織であった「日本労働組合総評議会(総評)」を中心として、ILO条約批准を求める闘争が闘われます。
 この問題は、1957年(昭和32)に、日本の労働代表が日本の公共企業体をきびしく制約した公共企業体等労働関係法4条、地方公営企業労働関係法5条がこの 「ILO87号条約」に抵触するとして、ILOへの提訴へ及びました。
 そして、1960年(昭和35)から1962年(昭和37)まで毎年国会で審議するものの承認に至らず、1964年(昭和39)に、ILOが初めて「結社の自由に関する事実調査調停委員会」(ドライヤー委員長)を設置し、翌年1月10日には、日本への調査団を派遣するに至り、日本における官公労働者のストライキ権の一律禁止が問題となります。
 このような経過の中で、1965年(昭和40)5月17日、ようやく国会において批准関連法案の成立に至り、6月14日に批准して、日本に対して発効することになりました。
 以下に、「ILO87号条約」の英語版全文と日本語訳を掲載しておきましたので、ご参照ください。

〇結社の自由及び団結権の保護に関する条約(ILO87号条約)英語版

Freedom of Association and Protection of the Right to Organise Convention

Preamble

The General Conference of the International Labour Organisation,
Having been convened at San Francisco by the Governing Body of the International Labour Office, and having met in its Thirty-first Session on 17 June 1948;
Having decided to adopt, in the form of a Convention, certain proposals concerning freedom of association and protection of the right to organise, which is the seventh item on the agenda of the session;
Considering that the Preamble to the Constitution of the International Labour Organisation declares "recognition of the principle of freedom of association" to be a means of improving conditions of labour and of establishing peace;
Considering that the Declaration of Philadelphia reaffirms that "freedom of expression and of association are essential to sustained progress";
Considering that the International Labour Conference, at its Thirtieth Session, unanimously adopted the principles which should form the basis for international regulation;
Considering that the General Assembly of the United Nations, at its Second Session, endorsed these principles and requested the International Labour Organisation to continue every effort in order that it may be possible to adopt one or several international Conventions;
adopts this ninth day of July of the year one thousand nine hundred and forty-eight the following Convention, which may be cited as the Freedom of Association and Protection of the Right to Organise Convention, 1948:

PART I. FREEDOM OF ASSOCIATION

Article 1

Each Member of the International Labour Organisation for which this Convention is in force undertakes to give effect to the following provisions.

Article 2

Workers and employers, without distinction whatsoever, shall have the right to establish and, subject only to the rules of the organisation concerned, to join organisations of their own choosing without previous authorisation.

Article 3
1. Workers' and employers' organisations shall have the right to draw up their constitutions and rules, to elect their representatives in full freedom, to organise their administration and activities and to formulate their programmes.
2. The public authorities shall refrain from any interference which would restrict this right or impede the lawful exercise thereof.

Article 4

Workers' and employers' organisations shall not be liable to be dissolved or suspended by administrative authority.

Article 5

Workers' and employers' organisations shall have the right to establish and join federations and confederations and any such organisation, federation or confederation shall have the right to affiliate with international organisations of workers and employers.

Article 6

The provisions of Articles 2, 3 and 4 hereof apply to federations and confederations of workers' and employers' organisations.

Article 7

The acquisition of legal personality by workers' and employers' organisations, federations and confederations shall not be made subject to conditions of such a character as to restrict the application of the provisions of Articles 2, 3 and 4 hereof.

Article 8
1. In exercising the rights provided for in this Convention workers and employers and their respective organisations, like other persons or organised collectivities, shall respect the law of the land.
2. The law of the land shall not be such as to impair, nor shall it be so applied as to impair, the guarantees provided for in this Convention.

Article 9
1. The extent to which the guarantees provided for in this Convention shall apply to the armed forces and the police shall be determined by national laws or regulations.
2. In accordance with the principle set forth in paragraph 8 of Article 19 of the Constitution of the International Labour Organisation the ratification of this Convention by any Member shall not be deemed to affect any existing law, award, custom or agreement in virtue of which members of the armed forces or the police enjoy any right guaranteed by this Convention.

Article 10

In this Convention the term organisation means any organisation of workers or of employers for furthering and defending the interests of workers or of employers.

PART II. PROTECTION OF THE RIGHT TO ORGANISE

Article 11

Each Member of the International Labour Organisation for which this Convention is in force undertakes to take all necessary and appropriate measures to ensure that workers and employers may exercise freely the right to organise.

PART III. MISCELLANEOUS PROVISIONS

Article 12
1.In respect of the territories referred to in Article 35 of the Constitution of the International Labour Organisation as amended by the Constitution of the International Labour Organisation Instrument of Amendment 1946, other than the territories referred to in paragraphs 4 and 5 of the said article as so amended, each Member of the Organisation which ratifies this Convention shall communicate to the Director-General of the International Labour Office with or as soon as possible after its ratification a declaration stating: (a) the territories in respect of which it undertakes that the provisions of the Convention shall be applied without modification;
(b) the territories in respect of which it undertakes that the provisions of the Convention shall be applied subject to modifications, together with details of the said modifications;
(c) the territories in respect of which the Convention is inapplicable and in such cases the grounds on which it is inapplicable;
(d) the territories in respect of which it reserves its decision.

2. The undertakings referred to in subparagraphs (a) and (b) of paragraph 1 of this Article shall be deemed to be an integral part of the ratification and shall have the force of ratification.
3. Any Member may at any time by a subsequent declaration cancel in whole or in part any reservations made in its original declaration in virtue of subparagraphs (b), (c) or (d) of paragraph 1 of this Article.
4. Any Member may, at any time at which the Convention is subject to denunciation in accordance with the provisions of Article 16, communicate to the Director-General a declaration modifying in any other respect the terms of any former declaration and stating the present position in respect of such territories as it may specify.

Article 13
1. Where the subject-matter of this Convention is within the self-governing powers of any non-metropolitan territory, the Member responsible for the international relations of that territory may, in agreement with the government of the territory, communicate to the Director-General of the International Labour Office a declaration accepting on behalf of the territory the obligations of this Convention.
2. A declaration accepting the obligations of this Convention may be communicated to the Director-General of the International Labour Office: (a) by two or more Members of the Organisation in respect of any territory which is under their joint authority; or
(b) by any international authority responsible for the administration of any territory, in virtue of the Charter of the United Nations or otherwise, in respect of any such territory.

3. Declarations communicated to the Director-General of the International Labour Office in accordance with the preceding paragraphs of this Article shall indicate whether the provisions of the Convention will be applied in the territory concerned without modification or subject to modifications; when the declaration indicates that the provisions of the Convention will be applied subject to modifications it shall give details of the said modifications.
4. The Member, Members or international authority concerned may at any time by a subsequent declaration renounce in whole or in part the right to have recourse to any modification indicated in any former declaration.
5. The Member, Members or international authority concerned may, at any time at which this Convention is subject to denunciation in accordance with the provisions of Article 16, communicate to the Director-General a declaration modifying in any other respect the terms of any former declaration and stating the present position in respect of the application of the Convention.

PART IV. FINAL PROVISIONS

Article 14

The formal ratifications of this Convention shall be communicated to the Director-General of the International Labour Office for registration.

Article 15
1. This Convention shall be binding only upon those Members of the International Labour Organisation whose ratifications have been registered with the Director-General.
2. It shall come into force twelve months after the date on which the ratifications of two Members have been registered with the Director-General.
3. Thereafter, this Convention shall come into force for any Member twelve months after the date on which its ratifications has been registered.

Article 16
1. A Member which has ratified this Convention may denounce it after the expiration of ten years from the date on which the Convention first comes into force, by an act communicated to the Director-General of the International Labour Office for registration. Such denunciation shall not take effect until one year after the date on which it is registered.
2. Each Member which has ratified this Convention and which does not, within the year following the expiration of the period of ten years mentioned in the preceding paragraph, exercise the right of denunciation provided for in this Article, will be bound for another period of ten years and, thereafter, may denounce this Convention at the expiration of each period of ten years under the terms provided for in this Article.

Article 17
1. The Director-General of the International Labour Office shall notify all Members of the International Labour Organisation of the registration of all ratifications, declarations and denunciations communicated to him by the Members of the Organisation.
2. When notifying the Members of the Organisation of the registration of the second ratification communicated to him, the Director-General shall draw the attention of the Members of the Organisation to the date upon which the Convention will come into force.

Article 18

The Director-General of the International Labour Office shall communicate to the Secretary-General of the United Nations for registration in accordance with Article 102 of the Charter of the United Nations full particulars of all ratifications, declarations and acts of denunciation registered by him in accordance with the provisions of the preceding articles.

Article 19

At such times as it may consider necessary the Governing Body of the International Labour Office shall present to the General Conference a report on the working of this Convention and shall examine the desirability of placing on the agenda of the Conference the question of its revision in whole or in part.

Article 20
1. Should the Conference adopt a new Convention revising this Convention in whole or in part, then, unless the new Convention otherwise provides: (a) the ratification by a Member of the new revising Convention shall ipso jure involve the immediate denunciation of this Convention, notwithstanding the provisions of Article 16 above, if and when the new revising Convention shall have come into force;
(b) as from the date when the new revising Convention comes into force this Convention shall cease to be open to ratification by the Members.

2. This Convention shall in any case remain in force in its actual form and content for those Members which have ratified it but have not ratified the revising Convention.

Article 21

The English and French versions of the text of this Convention are equally authoritative.


<日本語訳>

結社の自由及び団結権の保護に関する条約(第87号) 日本は1965年6月14日批准

 国際労働機関の総会は、
 理事会によりサン・フランシスコに招集されて、千九百四十八年六月十七日にその第三十一回会期として会合し、
 この会期の議事日程の第七議題である結社の自由及び団結権の保護に関する提案を条約の形式により採択することを決定し、
 国際労働機関憲章の前文が、「結社の自由の原則の承認」は労働条件を改善し、かつ、平和を確立する手段であると宣言していることを考慮し、
 フィラデルフィア宣言が、「表現及び結社の自由は不断の進歩のために欠くことができない」ことを再確認していることを考慮し、
 国際労働総会が、その第三十回会期において、国際的規制の基礎となる原則を全会一致で採択したことを考慮し、
 国際連合総会が、その第ニ回会期において、この原則を承認し、かつ、一又はニ以上の国際条約を採択することができるようにあらゆる努力を続けることを国際労働機関に要請したことを考慮して、
 次の条約(引用に際しては、千九百四十八年の結社の自由及び団結権保護条約と称することができる)を千九百四十八年七月九日に採択する。

第一部 結社の自由

第一条

 この条約の適用を受ける国際労働機関の各加盟国は、次の諸規定を実施することを約束する。

第ニ条

 労働者及び使用者は、事前の許可を受けることなしに、自ら選択する団体を設立し、及びその団体の規約に従うことのみを条件としてこれに加入する権利をいかなる差別もなしに有する。

第三条

1 労働者団体及び使用者団体は、その規約及び規則を作成し、自由にその代表者を選び、その管理及び活動について定め、並びにその計画を策定する権利を有する。
2 公の機関は、この権利を制限し又はこの権利の合法的な行使を妨げるようないかなる干渉をも差し控えなければならない。

第四条

 労働者団体及び使用者団体は、行政的権限によって解散させられ又はその活動を停止させられてはならない。

第五条

 労働者団体及び使用者団体は、連合及び総連合を設立し並びにこれらに加入する権利を有し、また、これらの団体、連合又は総連合は、国際的な労働者団体及び使用者団体に加入する権利を有する。

第六条

 この条約第ニ条、第三条及び第四条の規定は、労働者団体及び使用者団体の連合及び総連合に適用する。

第七条

 労働者団体及び使用者団体並びにそれぞれの連合及び総連合による法人格の取得については、この条約第ニ条、第三条及び第四条の規定の適用を制限するような性質の条件を付してはならない。

第八条

1 この条約に規定する権利を行使するに当たっては、労働者及び使用者並びにそれぞれの団体は、他の個人又は組織化された集団と同様に国内法令を尊重しなければならない。
2 国内法令は、この条約に規定する保障を阻害するようなものであってはならず、また、これを阻害するように適用してはならない。

第九条

1 この条約に規定する保障を軍隊及び警察に適用する範囲は、国内法令で定める。
2 国際労働機関憲章第十九条八に掲げる原則に従い、加盟国によるこの条約の批准は、この条約の保障する権利を軍隊又は警察の構成員に与えている既存の法律、裁定、慣行又は協約に影響を及ぼすものとみなされない。

第十条

 この条約において「団体」とは、労働者又は使用者の利益を増進し、かつ、擁護することを目的とする労働者団体又は使用者団体をいう。

第ニ部 団結権の保護

第十一条

 この条約の適用を受ける国際労働機関の各加盟国は、労働者及び使用者が団結権を自由に行使することができることを確保するために、必要にしてかつ適当なすべての措置をとることを約束する。

第三部 雑則

第十二条

1 この条約を批准する国際労働機関の各加盟国は、千九百四十六年の国際労働機関憲章の改正文書によって改正された国際労働機関憲章第三十五条に掲げる地域のうち同条四及び五に掲げる地域以外のものについては、批准と同時に又はその後なるべくすみやかに、次の事項を述べる宣言を国際労働事務局長に通知しなければならない。
 (a) 当該加盟国がこの条約の規定を変更を加えることなく適用することを約束する地域
 (b) 当該加盟国がこの条約の規定を変更を加えて適用することを約束する地域及びその変更の細目
 (c) この条約を適用することができない地域及びその適用することができない理由
 (d) 当該加盟国が決定を留保する地域
2 1(a)及び(b)に掲げる約束は、批准の不可分の一部とみなされ、かつ、批准と同一の効力を有する。
3 いずれの加盟国も、1(b)、(c)又は(d)に基づきその最初の宣言において行った留保の全部又は一部をその後の宣言によっていつでも取り消すことができる。
4 いずれの加盟国も、第十六条の規定に従ってこの条約を廃棄することができる期間中はいつでも、前の宣言の条項を他の点について変更し、かつ、指定する地域に関する現況を述べる宣言を事務局長に通知することができる。

第十三条

1 この条約の主題たる事項がいずれかの非本土地域の自治権内にあるときは、当該地域の国際関係について責任をもつ加盟国は、当該地域の政府と合意して、当該地域のためにこの条約の義務を受諾する宣言を国際労働事務局長に通知することができる。
2 この条約の義務を受諾する宣言は、次のものが国際労働事務局長に通知することができる。
 (a) 国際労働機関のニ以上の加盟国の共同の権力の下にある地域については、そのニ以上の加盟国
 (b) 国際連合憲章又はその他によって国際機関が施政の責任をもつ地域については、その国際機関
3 1及び2の規定に従って国際労働事務局長に通知する宣言は、当該地域内でこの条約の規定を変更を加えることなく適用するか又は変更を加えて適用するかを示さなければならない。その宣言は、この条約の規定を変更を加えて適用することを示している場合には、その変更の細目を示さなければならない。
4 関係のある一若しくは二以上の加盟国又は国際機関は、前の宣言において示した変更を適用する権利の全部又は一部をその後の宣言によっていつでも放棄することができる。
5 関係のある一若しくは二以上の加盟国又は国際機関は、第十六条の規定に従ってこの条約を廃棄することができる期間中いつでも、前の宣言の条項を他の点について変更し、かつ、この条約の適用についての現況を述べる宣言を国際労働事務局長に通知することができる。

第四部 最終規定

第十四条

 この条約の正式の批准は、登録のため国際労働事務局長に通知しなければならない。

第十五条

1 この条約は、国際労働機関の加盟国でその批准が事務局長により登録されたもののみを拘束する。
2 この条約は、ニ加盟国の批准が事務局長により登録された日の後十二箇月で効力を生ずる。
3 その後は、この条約は、いずれの加盟国についても、その批准が登録された日の後十二箇月で効力を生ずる。

第十六条

1 この条約を批准した各加盟国は、この条約が最初に効力を生じた日から十年の期間の満了の後は、登録のため国際労働事務局長に通知する文書によってこの条約を廃棄することができる。その廃棄は、それが登録された日の後一年間は効力を生じない。
2 この条約を批准した各加盟国で、1に掲げる十年の期間の満了の後一年以内にこの条に定める廃棄の権利を行使しないものは、さらに十年間拘束を受けるものとし、その後は、この条に定める条件に基づいて、十年の期間が満了するごとにこの条約を廃棄することができる。

第十七条

1 国際労働事務局長は、国際労働機関の加盟国から通知を受けたすべての批准、宣言及び廃棄の登録をすべての加盟国に通告しなければならない。
2 事務局長は、通知を受けた二番目の批准の登録を国際労働機関の加盟国に通告する際に、この条約が効力を生ずる日について加盟国の注意を喚起しなければならない。

第十八条

 国際労働事務局長は、前諸条の規定に従って登録されたすべての批准、宣言及び廃棄の完全な明細を国際連合憲章第百二条による登録のため国際連合事務総長に通知しなければならない。

第十九条

 国際労働機関の理事会は、この条約の効力発生の後十年の期間が満了するごとに、この条約の運用に関する報告を総会に提出しなければならず、また、この条約の全部又は一部の改正に関する問題を総会の議事日程に加えることの可否を審議しなければならない。

第二十条

1 総会がこの条約の全部又は一部を改正する条約を新たに採択する場合には、その改正条約に別段の規定がない限り、
 (a) 加盟国による改正条約の批准は、改正条約の効力発生を条件として、第十六条の規定にかかわらず、当然この条約の即時の廃棄を伴う。
 (b) 加盟国によるこの条約の批准のための開放は、改正条約が効力を生ずる日に終了する。
2 この条約は、この条約を批准した加盟国で改正条約を批准していないものについては、いかなる場合にも、その現在の形式及び内容で引き続き効力を有する。

第二十一条

 この条約の英語及びフランス語による本文は、ひとしく正文とする。

      「ILO駐日事務所」のホームーページより
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