これは、天武天皇の時に着手され、舎人親王が中心となって、完成した日本最初の国史でした。全30巻(1、2は神代、巻3~30は神武天皇から持統天皇まで)で、系図1巻を付すとされていますが現存していません。
漢文の編年体で記述され、同時代に成立した『古事記』よりも詳細で、かつ異説や異伝までも掲載し、客観性がみられ、史書として整っているとされてきました。帝紀・旧辞のほか諸氏の記録、寺院の縁起、朝鮮側資料などを利用して書かれたと考えられますが、漢文による潤色が著しく、漢籍や仏典をほとんど直写した部分もあります。
神代巻や古い時代の巻は多量の神話や伝説を含み、また歌謡128首も掲載されるなど、上代文学史上においても貴重なものとされてきました。
以後、『続日本紀』、『日本後紀』、『続日本後紀』 、『日本文徳天皇実録』、『日本三代実録』と作成されて、これら6つの国史をあわせて、六国史と呼んでいます。
〇六国史とは?
奈良時代から平安時代前期に、編纂された以下の6つの官撰の正史のことで、おおむね編年体で記されています。
(1)『日本書紀』 720年(養老4)完成 撰者は、舎人親王
全30巻(他に系図1巻は失われた)で、神代から持統天皇まで(?~697年)を掲載する
(2)『続日本紀』 797年(延暦16)完成 撰者は、菅野真道・藤原継縄等
全40巻で、文武天皇から桓武天皇まで(697~791年)を掲載する
(3)『日本後紀』 840年(承和7)完成 撰者は、藤原冬嗣・藤原緒嗣等
全40巻(10巻分のみ現存)で、桓武天皇から淳和天皇まで(792~833年)を掲載する
(4)『続日本後紀』 869年(貞観11)完成 撰者は、藤原良房・春澄善縄等
全20巻で、仁明天皇の代(833~850年)を掲載する
(5)『日本文徳天皇実録』 879年(元慶3)完成 撰者は、藤原基経・菅原是善・嶋田良臣等
全10巻で、文徳天皇の代(850~858年)を掲載する
(6)『日本三代実録』 901年(延喜元)完成 撰者は、藤原時平・大蔵善行・菅原道真等
全50巻で、清和天皇から光孝天皇まで(858~887年)を掲載する
〇『日本書紀』卷第一の冒頭部分
<原文>
神代上
古、天地未剖、陰陽不分、渾沌如鶏子、溟涬而含牙。及其淸陽者薄靡而爲天・重濁者淹滯而爲地、精妙之合搏易、重濁之凝竭難。故、天先成而地後定。然後、神聖、生其中焉。故曰、開闢之初、洲壞浮漂、譬猶游魚之浮水上也。于時、天地之中生一物、狀如葦牙。便化爲神、號國常立尊。至貴曰尊、自餘曰命、並訓美舉等也。下皆效此。次國狹槌尊、次豐斟渟尊、凡三神矣。乾道獨化、所以、成此純男。
<読み下し文>
神代上(かみのよのかみのまき)
古(いにしえ)天地(あめつち)未だ剖(わか)れず、陰・陽、分かれざりしときに、渾沌たること鷄(とり)の子の如くして、溟涬(ほのか)に牙(きざし)を含めり。其(そ)れ清く陽(あきらか)なるは、薄靡(たなび)きて天(あめ)と爲り、重く濁れるは、淹滞(つつ)いて地(つち)と爲るに及びて、精(くわ)しく妙(たえ)なるが合えるは摶(むらが)り易(やす)く、重く濁れるが凝(こ)るは竭(かたま)り難し。故(かれ)、天(あめ)先(ま)ず成りて、地(つち)後に定まる。 然して後に、神聖(かみ)其の中に生る。故、曰く、開闢の初めに洲壤(くにつち)浮き漂うこと譬(たと)えば游(あそ)ぶ魚の水の上に浮べるが猶(ごと)し。 時に、天地の中に一つ物生(な)れり。 状(かたち)葦牙(あしかび)の如(ごと)し。便(すなわ)ち神と化爲(な)る。 國常立尊(くにのとこたちのみこと)と號(もう)す。【至りて貴きを尊と曰い、それより餘(あまり)を命と曰う。並びに美(み)舉(こ)等(と)と訓(よ)む。下(しも)皆(みな)此(これ)に效(なら)え】
次に國狹槌尊(くにのさづちのみこと)。次に豐斟渟尊(とよくむぬのみこと)。凡(およ)そ三はしらの神。 乾道(あめのみち)獨(ひと)り化(な)す。 所以(ゆえ)に此れ純(まじりなき)男(お)と成す。