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 今日は、戦国時代の1573年(天正元)に、戦国大名武田信玄の亡くなった日ですが、新暦では5月13日となります。
 武田信玄は、戦国時代に活躍した戦国大名の一人で、実名は晴信といい、1521年(大永元)に、甲斐の守護武田信虎の長男として生まれました。
 1536年(天文5)に室町幕府将軍足利義晴の諱の1字を得て元服し、同年11月に11月には、佐久郡海ノ口城主平賀源心攻めで初陣を飾ります。
 1541年(天文10)には、父信虎を追放して、甲斐の守護となり、信濃に進出し、1553年(天文22)以降、5回にわたって、上杉謙信と川中島の戦いを繰り広げました。
 その間、近傍諸国を侵略し、甲斐本国以外に、信濃、駿河、西上野、遠江、三河と美濃の一部を領するに至ります。
 そして、将軍足利義昭ら反織田信長勢力と結び、1572年(元亀3)には、京都進出を企てて大軍をおこし、三方ヶ原の戦いで、徳川家康を破りました。
 しかし、三河国野田城攻囲中に発病し、帰国途中信濃国伊那の駒場で、1573年(天正元)に51歳で亡くなったとされています。
 その後、1576年(天正4)に本葬が営まれ、恵林寺(山梨県甲州市)が墓所と定められました。

〇武田信玄関係略年表(日付は旧暦です)

・1521年(大永元)11月3日 甲斐の守護武田信虎の長男として生まれる
・1536年(天文5) 室町幕府将軍足利義晴の諱の1字を得て元服する
・1536年(天文5)11月 佐久郡海ノ口城主平賀源心攻めで初陣を飾る
・1541年(天文10) 父信虎を駿河の今川義元のところへ追放し、当主となる
・1542年(天文11) 妹婿の諏訪頼重を打倒する
・1548年(天文17) 上田原の戦い[信濃国 - 長野県上田市] ○村上軍×●武田軍
・1548年(天文17) 塩尻峠の戦い[信濃国 - 長野県岡谷市・塩尻市] ○武田軍×●小笠原軍
・1550年(天文19) 砥石城の戦い[信濃国 - 長野県上田市] ○村上軍×●武田軍
・1553年(天文22)4月 第1次川中島の戦い[信濃国 - 長野県長野市] △武田軍×△上杉軍
・1556年(天文25) 今川氏・北条氏と同盟を結ぶ
・1559年(永禄2) 出家して信玄と号する
・1561年(永禄4) 第4次川中島の戦い[信濃国 - 長野県長野市] △武田軍×△上杉軍
・1566年(永禄9) 長野氏を滅ぼし西上野をも支配下に収める
・1567年(永禄10) 長男義信を反逆罪で刑死させ、その妻を今川氏のもとへ返し、同盟関係を絶つ
・1569年(永禄12) 三増峠の戦い[相模国 - 神奈川県愛甲郡愛川町] ○武田軍×●北条軍
・1569年(永禄12)4月 今川氏真を追放して駿河を領有する
・1571年(元亀2) 北条氏政、本願寺、一向一揆、浅井・朝倉氏らと結び、信長包囲網を形成する
・1572年(元亀3)12月22日 三方ヶ原の戦い[遠江国 - 静岡県浜松市] ○武田軍×●徳川・織田軍
・1573年(天正元)4月 三河野田城を包囲中に陣中で病床に伏す 
・1573年(天正元)4月12日 甲府へ帰陣する途中の信濃伊那谷の駒場で亡くなる
・1576年(天正4)4月 本葬が営まれ、恵林寺(山梨県甲州市)が墓所と定められる