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 今日は、明治時代前期の1874年(明治7)に、板垣退助らが高知で、日本初の政治結社「立志社(りっししゃ)」を結成した日です。 
 これは、自由民権運動の中心となった、高知県で結成された政治結社で、1874年(明治7)4月10日に、地方政社育成のために帰郷した板垣退助を中心に、片岡健吉、谷重喜、林有造らが集まって結成されました。初代社長は片岡健吉、福社長は福岡精馬で、社員は一等発起人と二等発起人に分かれ、総数は198人となっています。
 当初は士族救済を目的としていて、立志学舎、商局、法律研究所などを併設して社員の子弟教育、士族授産、相互扶助などを重視していました。
 1875年(明治9)2月の自由民権結社の全国連合組織である愛国社の結成に指導的役割を果すと、以後、自由民権運動の盟主的存在となり、『海南新誌』、『土陽雑誌』、『土陽新聞』を発行し、演説・遊説等によって、民権思想の普及に努めることになります。
 しかし、1877年(明治10)年2月に、西南戦争が起きると、社内にはこれに同調して挙兵を企てる一派と、植木枝盛・吉田正春・竹内綱ら武力蜂起に反対する一派に分かれ、後者は天皇への上申書として「立志社建白」を作成しました。この内容は、内閣専制や兵制・税制・外交の失敗などを挙げて政府を批判し、憲法制定、国会開設、不平等条約撤廃などを要求するもので、京都行在所に提出しましたが、「不遜ノ件」を理由として数日後に却下されます。また、前者の一部には、逮捕・投獄される者(高知の獄)も出ました。
 その後は、1878年(明治11)の愛国社再興、1880年(明治13)の国会開設請願運動、1881年(明治14)の自由党結党の中心的役割を担います。同年起草の「日本憲法見込案」では、人民主権、一院制議会、抵抗権、革命権など、民主主義の理念に貫かれた主張をしました。
 ところが、翌年6月の「集会条例」改正によって取り締まりが強化され、非政社とされます。そして、1883年(明治16)3月20日に解散のやむなきに至り、政治的機能は海南自由党(自由党の地方支部)へと移りました。

〇 自由民権運動関係年表

<1874年(明治7)>
・1月12日 板垣退助らが愛国公党を結成する  
・1月17日 板垣退助らが「民撰議院設立の建白書」を提出する
・2月1日 江藤新平が佐賀で乱を起こす(佐賀の乱)
・4月10日 板垣退助らが立志社を結成する

<1875年(明治8)>
・5月7日 「樺太・千島交換条約」が結ばれる 
・6月28日 「讒謗律」・「新聞紙条例」が制定される

<1876年(明治9)>
・2月26日 「日朝修好条規」が締結される

<1877年(明治10)>
・2月15日 西南戦争が起きる
・6月9日 「立志社建白」を京都の行在所に提出する
・8月18日 立志社の片岡健吉らが逮捕される(高知の獄)

<1878年(明治11)>
・5月14日 大久保利通が暗殺される

<1879年(明治12)>
3月27日 琉球処分が行われ、琉球藩を沖縄県とする

<1880年(明治13)>
・3月15日 国会期成同盟が結成される   
・4月5日 「集会条例」を定めて、言論や集会を取りしまる
このころから、自由民権運動が高揚しはじめる

<1881年(明治14)>
・7月 「北海道開拓使官有物払下げ事件」が起こる  
・9月 立志社が「日本憲法見込案」を出す
・10月11日 明治十四年の政変で、大隈重信らが罷免される
・10月12日 「国会開設の勅諭」が出される
・10月 板垣退助らが自由党を結成する
このころ、憲法制定論議が活発化し、各種の私擬憲法がつくられる

<1882年(明治15)>
・3月 伊藤博文ら、憲法調査のためヨーロッパへ行く
・3月 大隈重信が立憲改進党を結成する
・11月28日 福島事件(福島県)が起こる

<1883年(明治16)>
・3月 高田事件(新潟県)が起こる
・3月20日 立志社が解散する

<1884年(明治17)>
・5月 群馬事件(群馬県)が起こる
・9月23日 加波山事件(栃木・茨城県)が起こる
・10月 自由党が解党する
・10月 秩父事件(埼玉県)が起こる
・12月 名古屋事件(愛知県)が起こる
・12月 飯田事件(長野県)が起こる

<1885年(明治18)>
・11月 大阪事件(大阪府)が起こる

<1886年(明治19)>
・6月 静岡事件(静岡県)が起こる