野上弥生子は、明治時代前期の1885年(明治18)5月6日に、大分県臼杵市のフンドーキン醤油の創業家である父・小手川角三郎、母・マサの長女として生まれましたが、本名は。ヤヱといいました。
14歳の時に上京し、明治女学校に入学します。高等科を卒業後、英語の家庭教師として知遇を得た野上豊一郎と1907年(明治40)に結婚しました。
夫が夏目漱石門下であった縁で、漱石に師事し『ホトトギス』に「縁(えにし)」などの写生文的な短編を発表します。1911年(明治44)に『青鞜』が創刊されると、創作や翻訳を寄稿したりしました。
1922年(大正11)に小説「海神丸」で注目されるようになり、それ以後、社会的視野にたった「真知子」(1928~30年)、「若い息子」(1932年)などを発表します。
太平洋戦争後は、1948年(昭和23)に日本芸術院会員となり、1957年(昭和32)に「迷路」(1936~56年)で第9回読売文学賞、1964年(昭和39)に「秀吉と利休」で第3回女流文学賞を受賞しました。さらに、1965年(昭和40)に文化功労者、1971年(昭和46)に文化勲章、1981年(昭和56)に第51回朝日賞の栄誉に輝きます。
晩年まで、創作に意欲を示していましたが、1985年(昭和60)3月30日に、東京の自宅において、99歳で亡くなりました。没後の1986年(昭和61)に、自伝的小説『森』で日本文学大賞が贈られています。
〇野上弥生子の主要な作品
<小説>
・『縁 (えにし) 』(1907年)
・『人形の望』(1914年)
・『新しき命』(1916年)
・『海神丸』(1922年)
・『大石良雄』(1926年)
・『真知子』(1928~30年)
・『若い息子』(1932年)
・『哀しき少年』
・『迷路』(1936~56年)
・『秀吉と利休』(1962~63年)
・『森』(1972~85年)未完
<随筆>
・『鬼女山房記』(1964年)
・『一隅の記』(1968年)
<翻訳>
・『伝説の時代』ギリシア・ローマ神話(1913年)
・『ハイヂ』J.シュピーリ原作(1920年)