新美南吉は、1913年(大正2)7月30日に、愛知県知多郡半田町(現在の半田市)で畳屋を営む父・渡邊多蔵、母・りゑの次男として生まれましたが、本名は正八といいました。
半田第二尋常小学校(現在の半田市立岩滑小学校)に入学しましたが、1921年(大正10)に新美家の養子となります。1926年(大正15) に旧制愛知県立半田中学校(現在の半田高校)へ入学し、『少年俱楽部』『愛誦』などの雑誌に投稿したり、級友たちと同人誌「オリオン」を出すなど文学にいそしみました。
1931年(昭和6)の『赤い鳥』1月号に童話「ごん狐」が掲載され、同年4月に上京して、東京外国語学校(現在の東京外国語大学)英語部文科文学に入学します。在学中に小説や童謡、童話を書いたものの、あまり発表の機会には恵まれず、喀血をして体調を崩したりしました。
1936年(昭和11)に卒業後、貿易商に勤務しましたが、2度目の喀血をして療養のために帰郷し、不遇な時を過ごします。
1938年(昭和13)に、安城高等女学校(現在の愛知県立安城高校)教諭となり、『哈爾賓日日新聞』に「最後の胡弓ひき」など、『新児童文化』に「川」「嘘)」などの童話を発表しました。1941年(昭和16)に『良寛物語 手毬と鉢の子』を出版したりしましたが、体調が悪化して欠勤するようになり、童話は書き続けて、翌年に童話集『おぢいさんのランプ』を刊行たものの、1943年(昭和18)には退職のやむなきに至ります。
そして、1943年(昭和18)3月22日に、結核のために29歳の若さで亡くなりました。死後の9月に、第2童話集『牛をつないだ椿の木』、第3童話集『花のき村と盗人たち』が刊行されています。
尚、1994年(平成6)郷里の愛知県半田市に、「新見南吉記念館」が開館しました。
〇新見南吉の主要な作品
<童話集>
*『おぢいさんのランプ』 有光社(1942年10月10日刊)
・「川」 (『新児童文化』第1冊・1940年発表)
・「嘘」 (『新児童文化』第3冊・1941年発表)
・「ごんごろ鐘」
・「久助君の話」 (『哈爾賓日々新聞』・1939年発表)
・「うた時計」 (『少国民の友』・1942年発表)
・「おぢいさんのランプ」
・「貧乏な少年の話」
*『牛をつないだ椿の木』 大和書店(1943年9月10日刊)
・「かぶと虫<小さい太郎の悲しみ>」
・「手袋を買いに」
・「草」
・「狐」
・「牛をつないだ椿の木」 (『少国民文化』・1943年発表)
・「耳」 (『少国民文化』・1943年発表)
・「疣」
*『花のき村と盗人たち』 帝国教育出版部(1943年9月30日刊)
・「ごん狐」 (『赤い鳥』・1932年発表)
・「百姓の足・坊さんの足」
・「のら犬」 (『赤い鳥』・1932年発表)
・「和太郎さんと牛」
・「花のき村と盗人たち」
・「正坊とクロ」 (『赤い鳥』・1931年発表)
・「鳥右ヱ門諸国をめぐる」
<伝記小説>
・『良寛物語 手毬と鉢の子』 学習社(1941年10月1日刊)
・『大岡越前守』学習社(1944年6月30日刊)
<その他>
・小説集『花を埋める』 (1946年刊)
・詩集『墓碑銘』 (1962年刊)