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 今日は、江戸時代後期の1834年(天保5)に、福井藩士・幕末の志士・思想家橋本佐内の生まれた日ですが、新暦では4月19日となります。
 橋本佐内は、越前藩医の父・橋本長綱、母・小林静境の娘梅尾の長男として、越前国に生まれましたが、本名は綱紀と言いました。
 幼時から俊秀の名高く、藩儒吉田東篁に学び、1848年(嘉永元)に『啓発録』を著しています。
 翌年に、大坂に出て、適塾で医者の緒方洪庵や杉田成卿らに師事し、蘭方・医学を学び、1852年(嘉永5)には、家業を継いで藩医となりました。
 1854年(安政元)には、江戸遊学して、法学者杉田成卿らに入門して、藤田東湖、西郷吉之助、梅田雲浜らと交流を持ちます。
 1855年(安政2)に藩主松平慶永に登用され、藩医から御書院番になり、1857年(安政4)には藩校明道館学監となり、実学精神を鼓吹し洋書習学所をもうけるなどの治績をあげました。開国貿易論を提唱し、将軍継嗣問題では一橋慶喜の擁立に尽力し、幕政改革をとなえます。
 しかし、井伊直弼ら南紀派と対立、安政の大獄に連座して、1859年(安政6年10月7日)に、25歳の若さで斬首されました。

〇安政の大獄とは?

 幕末の1858年(安政5)から翌年にかけて、大老井伊直弼が行った尊王攘夷運動派に対して行なった弾圧です。
 安政の五か国条約の調印および将軍継嗣問題(家茂を14代将軍に定めたこと)に対して、反対する一橋慶喜擁立派の公卿・大名・志士ら百余名を処罰し、吉田松陰、橋本左内、頼三樹三郎等8名を死刑としました。
 この事件は、井伊直弼が1860年(安政7)に江戸城外で暗殺された桜田門外の変のきっかけとなります。

☆安政の大獄による死刑・獄死者

・吉田松陰(長州毛利大膳家臣)……安政6年10月27日斬罪
・橋本左内(越前松平慶永家臣)……安政6年10月7日斬罪
・頼三樹三郎(京都町儒者)……安政6年10月7日斬罪
・安島帯刀(水戸藩家老)……安政6年8月27日切腹
・鵜飼吉左衛門(水戸藩家臣)……安政6年8月27日斬罪
・鵜飼幸吉(水戸藩家臣)……安政6年8月27日獄門
・茅根伊予之介(水戸藩士)……安政6年8月27日斬罪
・梅田雲浜(小浜藩士)……安政6年9月14日獄死
・飯泉喜内(元土浦藩士・三条家家来)……安政6年10月7日斬罪
・日下部伊三治(薩摩藩士)……安政5年12月17日獄死
・藤井尚弼(西園寺家家臣)……安政6年9月1日獄死
・信海(僧侶、月照の弟)……獄死
・近藤正慎(清水寺成就院坊)……安政5年10月23日獄死
・中井数馬(与力)……獄死