これは、青森駅と函館駅間(113km)を結んでいた鉄道連絡船(水上の部分に、鉄道の一線区としての航路を開設し、両岸の鉄道を連絡する船舶)でした。
明治時代後期の1908年(明治41)3月7日に、鉄道国有化直後の国鉄により開設されます。
1925年(大正14)より甲板にレールを設けて、客載貨車航送船が就航して、貨車をそのまま航送できるようになりました。
太平洋戦争中は、空襲によって沈没、損傷などの大きな被害を受け、終戦時には壊滅状態となっていましたが、戦後復興し、1948年(昭和23)には計14隻が就航して、重要な輸送路となります。
しかし、1954年(昭和29)9月26日に来襲した洞爺丸台風によって、洞爺丸のほか計5隻が遭難沈没して、乗客1,051人職員379人の合計1,430人の死者をだす大惨事を引き起こしました。
その後は、高度経済成長や旅行ブームによって、1972年(昭和47)には、1日最大30往復もの運航をする最盛期を迎えます。
ところが、航空機が一般的になって減少に転じ、国鉄民営化後の1988年(昭和63)3月13日に青函トンネルの完成により、JR津軽海峡線が開通したため、1988年(昭和63)9月19日をもって、80年余の歴史を閉じました。
尚、現在は青森に八甲田丸、函館に摩周丸が保存、展示され、見学できるようになっています。、
〇青函連絡船の略年表
・1908年(明治41)3月7日 - 帝国鉄道庁(国鉄)が青森~函館間定期航路を開設する。
・1925年(大正14)8月1日 - 青森駅~函館駅間で本格車両航送を開始し、車載客船に貨車、荷物車等を直接積載できるようになる。
・1945年(昭和20) - 太平洋戦争中の空襲によって沈没、損傷などの大きな被害を受ける。
・1948年(昭和23) - 計14隻が就航して、重要な輸送路となる。
・1949年(昭和24)5月26日 - 連絡船内にて、売店の営業を開始する。
・1950年(昭和25) 2月3日 - 連絡船内にて、食堂の営業を開始する。
・1954年(昭和29)9月26日 - 洞爺丸台風によって、洞爺丸のほか計5隻が遭難沈没して、乗客1,051人職員379人の合計1,430人の死者を出す。
・1972年(昭和47) - 1日最大30往復もの運航をする最盛期を迎える。
・1987年(昭和62)4月1日 - 国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海道)に承継される。
・1988年(昭和63)3月13日 - 青函トンネルの完成によりJR津軽海峡線が開通する。
・1988年(昭和63)9月19日 - 青函連絡船が廃止される。