この船は、静岡県焼津港の遠洋マグロ漁船で、南方海域への出漁中、太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁でのアメリカ軍の水素爆弾実験によって発生した多量の放射性降下物(死の灰)を浴びました。
これによって、船員23名は全員被爆し、治療の甲斐なく、無線長だった久保山愛吉さんが、この半年後の9月23日に死亡しています。
これ以外にも、多くの漁船が被爆しており、広島、長崎に次ぐ第三の原子力災害となり、日本での反核運動が高まっていくきっかけとなったのです。
この事件によって、日本国民は大きな衝撃を受け、広島・長崎をくりかえさせるなと、全国に原水爆禁止の声が巻き起こりました。そして、千数百万の原水爆禁止署名が集められ、翌年8月には、「第1回原水爆禁止世界大会」が開催されるに至り、その後毎年開催されています。
この船は、後に練習船に改造されて東京水産大学で使われていましたが、1967年(昭和42)に廃船になりました。
しかし、この船を保存して、原水爆による惨事がふたたび起こらないためのモニュメントにしようという動きがあり、1976年(昭和51)、東京都江東区の夢の島公園内に「東京都立第五福竜丸展示館」が開館します。
展示館内には、第五福竜丸船体、船体に積もった死の灰、当時のカレンダーと事件のことがつづられた日誌、ガイガー・カウンター、乗組員の手記などが展示され、屋外には、「久保山碑」、「マグロ塚」、第五福竜丸のエンジンが設置されました。
尚、この日は、「ビキニデー」と呼ばれ、原水爆禁止運動の日となり、静岡県焼津市で「故久保山愛吉墓前祭」と「3・1ビキニデー集会」が催されるとともに、世界中で反核集会等が行われています。