一遍は、1239年(延応元年2月15日)に、伊予国久米郡(現在の愛媛県松山市)の豪族、別府通広の第2子として生まれ、10歳の時に出家しました。
その後、13歳で大宰府に移り、浄土宗西山派の聖達に学ぶことになります。1274年(文永11)、36歳の時に遊行を開始し、四天王寺、高野山などを詣で、熊野で熊野本宮証誠殿参籠中に、「信不信をえらばず、浄不浄をきらはず、その札をくばるべし」という夢告を受け、念仏の札を配る念仏賦算の時宗が成立したとされています。
その後、九州、四国、山陽、京都の各地を巡り、1279年(弘安2)41歳の時に、信濃国の伴野(現在の長野県佐久市)を訪れて踊り念仏を始めました。
それからも日本各地を巡って、布教活動を続けましたが、1289年(正応2年8月23日)に摂津国の和田岬(現在の兵庫県神戸市)において、51歳で亡くなっています。
尚、その生涯は国宝となっている『一遍聖絵』(一遍上人絵伝)に描かれていて、今日に伝えられています。
〇『一遍聖絵』(一遍上人絵伝)とは?
時宗の開祖一遍(遊行上人)を描いた絵巻で、鎌倉時代の1299年(正安元)に一遍の弟子にあたる聖戒が詞書を起草し、法眼の地位にあった画僧の円伊が絵を描いたものです。
全12巻からなり、神奈川県藤沢市の清浄光寺に所蔵されているものは、「絹本著色一遍上人絵伝」の名称で、1900年(明治33)に、重要文化財(旧国宝)となり、1952年(昭和27)に国宝に指定されました。
絹本着色の精緻な画風で、一遍の生涯を各地の風物や社寺の景観の中に描いていて、四季おりおりの風景を美しくとらえて歌絵、名所絵的な趣きがあり、文化史上の貴重な資料とされています。
他に、1307年(徳治元)頃成立の宗俊編「一遍上人縁起絵」(10巻)の系統のものも流布してきました。