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 今日は、奈良時代の729年(神亀6)に、長屋王が謀叛の疑いで邸宅を包囲され自害する事件(長屋王の変)が起きた日ですが、新暦では3月16日となります。
 長屋王は、天武天皇の孫で、高市皇子の長男とされていますが、生年ははっきりせず、684年(天武天皇13)とする説と676年(天武天皇5)とする説があります。
 704年(慶雲元)に無位から正四位へ昇進し、709年(和銅2)に宮内卿に叙任されて公卿に列し、翌年に式部卿、718年(養老2)に大納言、藤原不比等没後の721年(養老5)には右大臣となって、勢力を拡大しました。
 724年(神亀元)に聖武天皇が即位すると正二位左大臣となり、王族政治家として政治の実権を握り、藤原氏に対抗する勢力となります。
 728年(神亀5)には、父母や天皇などのため、それぞれ大般若経600巻を書写させたり、社会の安定化を図るため、公民の貧窮化や徭役忌避への対策を行い、開田策を実施するなど律令制維持を図る諸策を進めました。
 しかし、漆部君足らに謀反をくわだてていると密告(藤原氏の陰謀と言われている)され、朝廷から謀反の疑いを受けて軍隊に邸宅を囲まれ、729年(神亀6年2月12日)に、妻子とともに自害します。
 詩歌を好み、『懐風藻』に詩3編、『万葉集』に5首が掲載されていました。
 尚、1988年(昭和63)に、奈良市内の平城京左京三条二坊に当たる地の約6万屬鮴蠅瓩訶∥霎廚ら「長屋親王宮鮑 大 贄十編」と記す木簡をはじめ、約6万5千点もの木簡が出土し、そこに長屋王邸があったことが判明します。