小堀政一は、一般には小堀遠州と呼ばれ、1579年(天正7)、近江国坂田郡小堀村(現在の滋賀県長浜市)の武将小堀正次の長男として生まれ、幼名は作助でした。
豊臣秀長の小姓を勤めた後、1595年(文禄4)に豊臣秀吉直参となって伏見に移り、そこで、古田織部に茶道を学ぶことになります。
秀吉死後は、徳川家康に仕え、1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いでは、父政次と共に軍功をあげ、備中松山藩1万2000石余に封ぜられました。1604年(慶長9)の父の死後、藩主となりましたが、1619年(元和5)に近江小室藩に移封されたのです。
その前後に、作事奉行として手腕を発揮し、駿府城、名古屋城、仙洞御所、伏見城本丸、二条城などの建築、造園の造作にあたりました。1624年(寛永元)伏見奉行に任じられ、1647年(正保4)に、69歳で没するまで在職したのです。
茶道は、小堀遠州流の祖として知られ、和歌・書・茶器鑑定にもすぐれ、作庭では、以下のものが有名です。
〇小堀遠州の作庭による主要な庭園
・二条城二之丸庭園(京都府京都市中京区)
・南禅寺方丈庭園(京都府京都市左京区)
・金地院庭園(京都府京都市左京区)
・大徳寺孤蓬庵庭園(京都府京都市北区)
・頼久寺庭園(岡山県高梁市)