イメージ 1

 今日は、江戸時代前期の1604年(慶長9)に、江戸幕府が街道に日本橋を起点とした一里塚の設置を命じた日ですが、新暦では3月4日となります。
 徳川家康が子の徳川秀忠に命じ、金山奉行の大久保長安の指揮の元に設置が開始されました。江戸の日本橋を起点として、東海道・東山道・北陸道をはじめ、全国の街道の1里(約4 km)ごとに一里塚を設置するよう指令が出され、10年ほどで完了します。
 旅行者に便宜を与え、運賃決定の目安とし、度量衡統一政策の一環として設置されたものでした。

〇一里塚とは?
 昔、街道の両側に1里 (36町=約4km) ごとに土を盛り、樹木を植えて、旅人の目印としたものですが、すでに、戦国時代末期に存在していて、織田信長や豊臣秀吉が作ったとも言われていました。
 しかし、1604年(慶長9)に徳川家康が秀忠に命じて、江戸日本橋を起点として、東海、東山、北陸の三道の両側に築いて、制度化されたと考えられています。一里塚の大きさは5間(約9 m)四方、高さ1丈(約1.7 m)に土を盛り上げてつくられ、その上には木が植えられ、木陰で旅人が休息を取れるように配慮されていました。
 一般的に榎(えのき)を植えた一里塚が多いのですが、19世紀末の天保年間の調査による「宿村大概帳」によると、榎(えのき)が一番多くて、過半数を占め、次に松が4分の1強、ついで杉が1割弱で他の栗(くり)、桜(さくら)、檜(ひのき)、樫(かし)は数本程度しか植えられていないのです。
 その後、時代の経過とともに荒廃し、今日でも原形をとどめているものは少なくなりました。旧東海道でも残っているのはわずかで、錦田(静岡県三島市)、大平(愛知県岡崎市)、阿野(愛知県豊明市)、野村(三重県亀山市)の4ヶ所が国の史跡に指定されています。

☆国の史跡に指定されている一里塚(17件)

<旧東海道>
・錦田一里塚(静岡県三島市)
・大平一里塚(愛知県岡崎市)
・阿野一里塚(愛知県豊明市)
・野村一里塚(三重県亀山市)

<旧中山道>
・志村一里塚(東京都板橋区)
・垂井一里塚(岐阜県不破郡垂井町)

<旧奥州街道>
・須賀川一里塚(福島県須賀川市)

<旧日光道中>
・小金井一里塚(栃木県下野市)

<旧日光西街道>
・壬生一里塚(栃木県下都賀郡壬生町)

<旧御成街道>
・西ヶ原一里塚(東京都北区)

<旧美濃路>
・冨田一里塚(愛知県一宮市)

<旧上方街道>
・四箇郷一里塚(和歌山県和歌山市)

<旧山陰道>
・安来一里塚(島根県安来市)
・伊志見一里塚(島根県松江市)
・出西・伊波野一里塚(島根県出雲市)

<旧山陽道>
・真金一里塚(岡山県岡山市)

<旧今町街道>
・今町一里塚(宮崎県都城市)