阿部公房は、大正時代の1924年 (大正13) 3月7日に、医師であった父安部浅吉と母よりみの長男として、東京府北豊島郡滝野川町 (現在の東京都北区西ヶ原) に生まれましたが、本名は、「きみふさ」と読みます。
生後8ヶ月で、家族と共に満洲に渡り、奉天市で少年期を過ごします。旧制奉天第二中学校卒業後、日本に帰国して旧制成城高等学校(現在の成城大学) 理科乙類に入学しました。1943年 (昭和18) 、戦時下による繰上げ卒業後、東京帝国大学医学部医学科に入学します。
一時奉天に戻っていた時に、敗戦を迎え、父が病気で亡くなって、苦労をしながら、1946年(昭和21)に引揚船で帰国しました。その後、大学に復学し、『無名詩集』 を自費出版したりしながら、1948年 (昭和23)に、東京大学医学部を卒業しましたが、医師にはならないことになります。
花田清輝らの「夜の会」に参加、『近代文学』同人となり本格的な作家活動を始め、『終りし道の標べに』によって作家デビューとなりました。
1950年(昭和25)に『赤い繭』で戦後文学賞を受賞、翌年には、『壁-S・カルマ氏の犯罪』 で芥川賞を受賞して注目を浴びます。
1952年(昭和27)に『人民文学』に参加し、『飢餓同盟』(1954年)、戯曲『制服』(1954年)、『けものたちは故郷をめざす』 (1957年) 、『第四間氷期』(1959年)、『石の眼』 (1960年)などの前衛的手法の作品を発表しました。
1962年(昭和37)の「砂の女」で、翌年読売文学賞を受賞、1968年(昭和43)にはフランス最優秀外国文学賞も受け、同書は世界各国で翻訳されて国際的作家となります。
それからは、映画やテレビドラマでも活躍し、晩年はノーベル文学賞の有力候補とされたましたが、1993年 (平成5)1月22日に、東京において、68歳で亡くなりました。
〇阿部公房の主要な作品
<小説>
・『終りし道の標べに』 (真善美社、1948年)
・『壁』 (月曜書房、1951年)
・『闖入者』 (未來社、1952年)
・『飢えた皮膚』 (ユリイカ、1952年)
・『飢餓同盟』 (大日本雄弁会講談社)
・『R62号の発明』 (山内書店、1956年)
・『けものたちは故郷をめざす』 (大日本雄弁会講談社、1957年)
・『第四間氷期』 (講談社、1959年)
・『石の眼』 (新潮社、1960年)
・『砂の女』 (新潮社、1962年)
・『他人の顔』 (講談社、1964年)
・『水中都市』 (新潮社、1964年 )
・『無関係な死』 (新潮社、1964年)
・『榎本武揚』 (中央公論社、1965年)
・『終りし道の標べに (改稿版) 』(冬樹社、1965年)
・『燃えつきた地図』 (新潮社、1967年)
・『人間そっくり』 (早川書房、1967年)
・『夢の逃亡』 (徳間書店、1968年)
・『箱男』 (新潮社、1973年)
・『洪水』 (プレス・ビブリオマーヌ、1973年)
・『事業』 (プレス・ビブリオマーヌ、1974年)
・『密会』 (新潮社、1977年)
・『方舟さくら丸』 (新潮社、1984年)
・『カーブの向う・ユープケッチャ』 (新潮文庫、1988年)
・『カンガルー・ノート』 (新潮社、1991年)
・『飛ぶ男』 (新潮社、1994年)
<戯曲>
・『どれい狩り・快速船・制服』 安部公房創作劇集 (青木書店、1955年)
・『幽霊はここにいる』 (新潮社、1959年 )
・『友達・榎本武揚』 (河出書房、1967年)
・『棒になった男』 (新潮社、1969年)
・『未必の故意』 (新潮社、1971年)
・『愛の眼鏡は色ガラス』 (新潮社、1973年)
・『緑色のストッキング』 (新潮社、1974年)
・『ウエー 新どれい狩り』 (新潮社、1975年)
<評論・随筆>
・『東欧を行く ハンガリア問題の背景』 (大日本雄弁会講談社、1957年)
・『猛獣の心に計算器の手を』 (平凡社、1957年)
・『裁かれる記録 映画芸術論』 (講談社ミリオン・ブックス、1958年)
・『砂漠の思想』 (講談社、1965年)
・『内なる辺境』 (新潮社、1971年)
・『反劇的人間』 (中公新書、1973年)
・『手について』 (プレス・ビブリオマーヌ、1973年)
・『発想の周辺』 (新潮社 1974年)
・『笑う月』 (新潮社、1975年 )
・『都市への回路』 (中央公論社、1980年)
・『死に急ぐ鯨たち』 (新潮社、1986年)
<詩集>
・『無名詩集』 (自費出版、1947年)