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 今日は、昭和時代中期の1951年(昭和26)に、小説家宮本百合子の亡くなった日です。
 宮本百合子は、大正時代から昭和時代に活躍した小説家で、本名は宮本ユリ(旧姓は中條)といいました。1899年(明治13)2月13日に建築家中條精一郎の長女として、東京市小石川区(現在の東京都文京区 )に生まれます。
 東京女子師範学校附属高等女学校(現在のお茶の水女子大学附属中学校・お茶の水女子大学附属高等学校)から、日本女子大学英文科予科に進みました。
 在学中の1916年(大正5)に小説『貧しき人々の群』を『中央公論』に発表し、天才少女として注目を集めましたが、日本女子大学を中退しています。
 1918年(大正7)に、父に伴われて渡米し、留学生活を送り、翌年結婚したものの、帰国5年後に離婚しました。その経緯を『伸子』にまとめたのち、湯浅芳子とともにソ連を訪れ (1927~30年) 、ヨーロッパ各地を旅行して、マルクス主義に感銘を受けます。
 1930年(昭和5)に帰国後、日本プロレタリア作家同盟に参加し、1932年(昭和7)に宮本顕治と結婚、弾圧下で、『冬を越す蕾』(1934年)などの評論や『小祝の一家』(1934年)、『乳房』(1935年)などの小説を発表し、抵抗を続け、非転向を貫きました。
 太平洋戦争後は民主主義文化・文学運動の先頭に立ち、1945年(昭和20)の新日本文学会の結成に参加、翌年の婦人民主クラブの結成にも加わります。そして、『風知草』(1946年)、『播州平野』(1946年)、『道標』(1948-51年)などの小説を発表したり、多くの評論を書いたりしましたが、1951年(昭和26)1月21日に51歳で、突然亡くなりました。

〇宮本百合子の主要な作品

・『貧しき人々の群』玄文社(1916年)
・『一つの芽生』 新潮社 (1918年)
・『伸子』改造社(1924年)
・『新しきシベリアを横切る』 内外社 (1931年)
・『一九三二年の春』(1932年) 
・『冬を越す蕾』 現代文化社 (1935年) 
・『乳房』(1935年)  
・『昼夜随筆』 白揚社 (1937年)
・『杉垣』(1939年)
・『三月の第四日曜』金星堂(1940年) 
・『明日への精神』 実業之日本社 (1940年) 
・『朝の風』 河出書房 (1940年)
・『文学の進路』 高山書院 (1941年)
・『私たちの生活』 協力出版社 (1941年)
・『播州平野』河出書房(1946年)   
・『風知草』文藝春秋新社(1946年)  
・『二つの庭』中央公論社(1947年)    
・『私たちの建設』 実業之日本社 (1947年)
・『幸福について』 雄鶏新書 (1947年)  
・『真実に生きた女性達』 創生社 (1947年)
・『白い蚊帳』 新興芸術社 (1948年)
・『歌声よおこれ』 解放社 (1948年)  
・『女靴の跡 随筆集』 高島屋出版部 (1948年)
・『道標 第1-3部』 筑摩書房 (1948-51年)     
・『平和のまもり』 新日本文学会 (1949年)
・『モスクワ印象記』 東京民報出版社 (1949年)
・『十二年の手紙 その1-3』 宮本顕治共著 筑摩書房 (1950-52年)   
・『日本の青春』 春潮社 (1951年)
・『若い女性のために』 河出書房 (1951年)